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#008 プライドは自分に対してもつ
今日、しごとで反省することがあった。周りからは冷静に対応できていたと言われたが、じぶんでじぶんを認められない。
ずっと、した方がいいなと思うしごとがあった。期日なんてないし、絶対しなくちゃいけないことはない。でもあったほうがいいだろうなというもの。
あたまの片隅にずっとあったのだが、そっと目をつぶってた。期日があって絶対しなくちゃいけないしごとがあったから。
今日、その「した方がいいと思うしごと」が急に必要になったのだった。頭の中に筋書きがあったのでそれなりに対応したのだが、万全を機していた訳ではない。ふりかえるのも恥ずかしい。
周りからはありがとう、良かったと言ってもらったけれど、じぶんだけが知る「後ろめたさ」がある。もっと早く手をつけていたら、もっとスムーズに、漏れもなく事がすすんだのに。じぶんでじぶんを許せない。あ、これが本当のプライドか、と思った。
わたしのバイブル『自分の中に毒を持て』で岡本太郎がこう言っていた。
他人に対してプライドを持つということは、他人を基準において自分を考えているということである。そんなもの本当のプライドじゃない。自分が本当に生きている手ごたえを持つことがプライドなんだ。相対的なプライドではなくて、絶対感をもつこと。それが本当のプライドなんだ。
自分に対して何を貫くかなんだと思う。自分との約束をやぶらないというか。
他の人は認めてくれてもじぶんは認められないこと。じぶんに課している最低限のラインを下回っていないかどうか。
これが生きること、働くことの軸だと思った。他の人にどう思われるかではない。わたしが自分を認められるかだ。
ひょっとすると、これを軸にしたらうんと生きやすくなるんじゃないかなあ。心がけてみようと思う。
おしまい。
ほんじゃ、またね〜!
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