5.17 「知らない」は罪
SNSである学生さんが自ら命を絶った投稿をみた。
その学生さんは夢をもって入学し勉学に励んでいたけれど、教員の言動に心を痛め苦しんでいた。
まだ若いから、思い浮かぶ選択肢が限られていたのだと思う。
抱えきれなかったのだと思う。
夢半ばで自分の命を絶たなければならないくらい追い詰められていたのだろう。
この投稿に対してのコメントをみて久しぶりに苛立ちを覚えた。
「幼少期期から夢を持って専門学校に入ってと言うがそれまでの社会勉強が出来て無い人が専門学校に入ったのが間違えだと思う。選抜方式に問題が有ると思う。夢だけで仕事は、出来ない。」と。
亡くなられた方の何を知っているのか、夢を持って専門学校に入学することの何が悪いのか、どこをみて社会勉強ができてないと言ってるのか。
簡単に人の人生を「間違い」だと言っている。
医療関係者でもない人が言っている。
発言は自由だけど、自由には責任ってものがつきものなんだよ。
このコメントした人のどこに社会性があるのか、
自分が知らない世界のことを自分の色眼鏡でみているだけ。
自分がしたことを理解できない。
何も知らない、は罪だなと思う。
夢や希望を知らない人。
どこかでこの人も誰かに夢や希望を潰されたのかもしれないけれど、
未知の世界を思い込みで判断し、人を傷つける行為、これが憎い。
そして私がこのコメントを見たという事実。
全てに無駄がなく意味があることなら、私は自分を戒めようと思う。
気づかず同じように、自分の色眼鏡で人をみていないかどうか。
無責任な発言をしていないか。
こういうコメントをみると心が苦しくなる。
もっと心と心の繋がりを深めたい。
罵り合ってもそこからは何も生まれない。
生まれるとしたら、絶望と挫折だけ。
せっかくの命を、一度しかない人生を私は無駄にしたくない。そして誰にも無駄にしてほしくない。
どうせ同じ死に向かっているのなら、自分や人を笑顔にしたくない?
「今の人生」を最期に「こうすればよかった」って悔いてもやり直せないんだよ。
文字にしたり、相手に伝える前にほんの少しでもいい「思いやり」という名の愛情を上乗せしてほしい。
きっとその愛情は循環してあなたにいつか還ってくるのだから。
良き事も悪しきことも全部ぜ〜んぶ自分に漏れなく還ってくるのだから。
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