ぼっちを恐れていた私が1人行動を好むようになった理由
初めに
ひとり、という言葉を見ると、あなたはどんな気持ちになるだろうか
不安?
さみしい?
楽しい?
充実している?
結論から言わせてもらう。私にとって
一人の時間というものは大好きで生きていくうえで大切な時間といえる。
今はこのような考え方ができているが、昔は一人という言葉を聞くとマイナスなことしか思い浮かばなかった。
ちなみに今あげた「一人」という言葉から連想される感情は、今まで生きてきてすべて私が感じてきた感情である。
今回は、どのような経緯を得て「ひとり」という言葉に充実という言葉を覚えるようになったのかを話したい
ぼっちに怯える高校生の私
高校生まで、ひとりという言葉を聞くと、言葉に言い換えることができないような不安に襲われた。
もともと、変わった性格をしていることもあり、私の性格や行動が起因で友達をなくしたり
クラス内で孤立することが数回、小・中・高で一回ずつあった。
改めて文面にすると、どうみてもヤバいやつでしかない。
記憶に新しい高校の頃を例に話そうと思う。
クラス内で孤立した時の絶望というのは、ほかのどんなことに変え様がないくらいひどいものだ。
クラスメイトの殺伐とした目つきが痛すぎる。
そういう時は決まってほかのクラスに遊びに行ったり、お弁当を他クラスの友達と共にしていたのだが
対策の施し様がなく、どうしようもないときは、クラスで孤独に自分の席に座っていることも何度かあった。
高校の時に読んだ、朝井リョウが書いた本で、語り手が
(学校、という場所は、どうして一人でいるということがだめだという気持にさせるのだろうかと言っていた。)
当時の私は本当にその通りだなと強く共感したことを今でも鮮明に覚えている。
なんで一人でいる人を見るたびに、皆の目がゴキブリを見るような目つきになってしまうんだろう。
なぜ数字の3や2が1に変わっただけで、こんなにみじめな思いをしないといけないんだろう。
ほかの学校は知らないが、少なくとも私の通っていた生徒の偏差値も低ければ。考え方も民度の低い人ばかりだった高校はそうだった。
きっと学習能力が高く、精神年齢も大人な人たちの集まりである偏差値の高い高校はこんなしょうもないこと、起こりもしないんだろうな。
そもそも、一人でいる。という行動に対して。こんなに引け目を感じたりしないんだろうな。
おかしなことじゃないのに、周りをびくびく気にしながら
なんて思われているんだろうと考えてしまう自分に対しても嫌になった。
一人でいたら嫌われる。
誰かと一緒にいる風を装わないと、周りからおかしな目で見られる。
毎日必死だった。
他人から、一人でいるとみられることを恐れていた。
毎日学校に行くことが嫌だった。
高校時代の私は見ての通りこんな小心者だった。
時々、教室でもすがすがしく、それに同じ教室に友だちがいるのにも関わらず
一人で本を読んでいる女の子を見かけたりすると、本気でかっこいいなと思った
いいなあ、すごいなあ、かっこいいなあ
わたしにはあんなことできない。
と。
もっとも自分の無責任な行動のせいでこんな学生時代を送ることになってしまったのだが
ひとりが楽しかった唯一の時間
かといって、私は完全に一人を恐れている。というわけでもなかった。
こんな私でも、一人が楽しいなと思う時間が一つだけあった
それは、好きな音楽を堪能している時間である、
学校でいくら一人という空間を嫌な気分にさせられても、自分の好きな音楽を好きな人が周りにいなかったことに関しては全く嫌な気持ちになることがなかった。
高校の私はインディーズのバンドが大好きで、毎日のようにいろいろなバンドをyoutubeで漁っては聴いてバンドライフに浸っていた。
たくさんのインディーズバンドの中でも、the shes goneというバンドが好きすぎて、一回だけ一人でライブに行ったことがあった。
初のライブハウス、初の一人ライブだったのだが、高校の時のすべての一人の時間を抜き出した中でもあの時間が一番楽しかったと言い切れるくらい楽しかった。
一人でライブに行くことに対して抵抗があったが、ライブが終わった後は
なんでもっと早く行動に移していなかったんだろうと頭を抱えたくらいだった。
それを周りに話したら、「よく一人でライブに行けるね~」と返された覚えがある。
これは今でも思うが、恥ずかしいとか不安だからと言って、ライブの一人参戦に行けていない人を見ると心底もったいないなと思う。
これは補足だが私はコロナウイルスの最中の高校三年生の時に、YouTubeでDYGLと出会う。
後に1人という時間が、こんなにも楽しいということを気づかせてくれるとは知らずに。
三年間の高校生活、三分の二くらいは嫌な思いでしかないが、
その中でも、こんな私を見捨てないでいてくれた古くからの友達、
ボッチ状態のクラス内で新たにできた素敵な友達のおかげでなんとか高校三年間を乗り切り、無事卒業することができた。
友達と過ごした時間は全く別のものとして、
それにしてもつまらない学生生活だったなと今となってはまあいろんな意味でいい思い出の一つだ。
友達に恵まれていたことを知った専門時代
高校という牢獄から脱出した私は、地獄を見たこともあり、自分なりに工夫を凝らして、人間関係を築いていった。
自分がされたら嬉しいことは何か考えて行動したり。
そして自分にとって居心地良い人と絡むようにすることを意識した。
この人は話していて楽しいし、
何も余計なこと考えないで過ごせるな、とか、
気を使わないで思いっきり爆笑できるな、とか、
悩み事を真剣に聞いてくれる優しい人だ、とか、
この人には普段あまり表では言えないことを打ち明けることができる、とか。
すっごく単純だと思うけど私にとってはこう思える人が友達と呼べると考えている。
ウマが合い、思いっきり爆笑できる友達がいるってすごく幸せなんだと学んだ。
周囲をみると人として素晴らしい人ばかりで、改めて自分は恵まれているなと思う。
家族にも(くるみの周りは本当に性格の良い子ばかりだよね)と言われることが何回かあった。
誰かにそんなふうに言われるなんてなかなか無いから、たとえそれが家族だとしても。
純粋に嬉しいなと思った。
専門時代は、このように周りにいる友達の大切さを改めて知った。
社会人で気づく一人の時間の心地良さ
時は流れ、私は新社会人になるとともに上京した。
慣れない環境、初めての一人暮らし、ということもあり、いっぱいいっぱいの毎日を送っていた。
地元へは月一で帰り、友達とも会ったりして、上京するまで気づかなかった山梨の魅力を知った気がした。
その東京暮しで最近自身の意外なことについて知った。どうやら自分は1人で電車の中でぼうっとしたる、1人で音楽を聴いていることが結構好きみたいだ。
東京住みの知り合いはこういう。
満員電車マジできついよ。
だけど、私は満員電車はきついと感じない。
通勤や仕事終わりに家の方向が一緒の同期と共にすることがある。
平然を装ってはいるが、心の中は全然乗り気でないできていない自分がいるのがわかる。
これは完全なる私情なのだが、気分が乗らない通勤時や、仕事で体力が持っていかれて一刻も早く帰りたい気分の時など、誰かと一緒に帰るのは正直ごめんだ。
1人で帰りたいがために、寄ってくところがあるから〜と言って、わざと帰りを遅らせることもある。
多分そこにはきっと、例の同期とほんの少しだけ会話が噛み合わない部分があることもプラスされているんだろうなと何となく感じている。
だから、満員電車がどうとかではなく、個人的にはそっち関連の方がきつかった。
ある日、研修に遅くまで残っていた私が同期と帰らず、1人で帰った。
その日、私は1人の良さを知った。
電車の中で好きな曲を聴いているとハッピーな気持ちになれる。
仕事で周りに気を配り、疲れたり心を好きなバンドの歌が癒してくれる。
電車から流れる景色を見ながら音楽を聴くことも好きだ。
1人で電車に乗っていると、楽しかったことや身の回りで起きたことを振り返って、自分と向き合える大切な時間だとつい最近感じた。
こうやってnoteをつらつらと書いているのもだいたい電車の中だ。
誰かと一緒では無い。ひとりの時だ。
ひとりで電車に乗っている時にこそ意味がある。
「ひとり」の時だからこそ充実する時間なのだ。
まさかこんな考え方をするようになるとは、高校のころの自分は思わなかっただろう。
高校生のぼっちを恐れていた私にこういってやりたい。
大丈夫だよ。ど田舎にいると視野狭くなりがちだけど、4年後あんたはのびのび生きていけるよ。自分が誰といるなんてことまじで気にならなくなるくらい。
1人の時間を大切にする人が好き
私の恋人と私の親友に1人の時間を大切にしている子がいる。
恋人はよくひとりで映画を観たり、映画館に行ったりしている。
私の親友は、休日はアニメや漫画をみてひとりで過ごすことが多いらしい。
親友はある時こう言った。
(やっぱさ、1人の時間が1番楽しいよ。充実してる。だから恋人ほしいとかあんまり思わないんだよね。自分の楽しい時間が奪われるからさ。)
よい考え方だなと思った。
恋人も親友もそうなのだが、2人とも「自分の芯」をしっかり持って自立しているのだ。
最近は私と同じように1人の時間を尊重している恋人と親友が、もっと好きになった。
1人の良さに既に気がついていた2人は大人だなと思った。
おまけ
そして、7/3。
私はシズゴぶりに、とあるバンドのライブハウスワンマンへ参戦した。
高3の時に出逢ったDYGLのワンマンツアーである。
感想は前の投稿の通りである。
最っ高だった。
生きていて良かったと思った。
大好きな憧れの加地さんに応援メッセージを伝えられたこともプラスすると尚幸せである。
念願のライブは一瞬で終わり、余韻に浸りながら電車に乗っている時に私は気づく
1人の時間って、まじでたのしいやん。
正真正銘、DYGLが私にひとりという時間の楽しさを教えてくれた。
高三のコロナウイルスの最中出会った、山ほど存在する中のひとつのバンドが、3年後の私に1人でいる時間がどれだけ素晴らしいものなのか教えてくれるなんて思ってもいなかった。
Sinkを初めとした心の拠り所である音楽たちは、
秋山さんの書く詩は、
下中さん緩やかなギター調は、
加地さんが弾く心臓の鼓動のような心地の良いベースは、
かもちゃんが鳴らす私の中の何かを奮い立たせるようなドラムは、
楽しい時、悔しい時、嬉しい時、悲しい時、私の持ち合わせている様々な感情を見守っているようだった。
このバンドを知れて良かったと心の底から思う。
DYGLを好きな私が大好きだ。
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