感謝って、喜ばせようとしたときにのみされるものでもないらしい。不思議だ。
こんにちは。
想い発信系大学生 まみごんです。
最近、うれしい出来事がありました。
「昨晩、まみと電話して目が覚めたおかげで徹夜で課題出来て、課題終わらせたから参加できた新歓のビンゴ大会で一眼レフを当てた!なんだか、まみのかげのような気がしてお礼が言いたかったんだ。ありがとう!」
嬉しいです!
でも、わたし何もしていないんです。(笑)
ただ、暇電をかけて、雑談したりしていただけです。
しかし、私は感謝されました。なぜでしょうか。
少し前にも、似たような出来事がありました。
「真美ちゃんが前、東京に住みたいビジョンをとても楽しそうに話しているのを聞いて、『私も本当は東京に住みたかったのかもしれない。』と気づいたので、来月から東京に住むことになりました!なんだか真美ちゃんにお礼が言いたくなりました!ありがとうね。」
どちらの事象も、わたしは相手のことを喜ばせよう、幸せにしようと思っていたわけではありません。しかし、相手は幸せになりました。
どうしてでしょうか。
友達と一緒に「どうしてだろうね」と深ぼっていたところ、
「わかった!まみがいつも活動で頑張っているところや、それに懸けている想いを知っているから、特別なことを話したりしていないときも、真美という存在に刺激を受けているんだ。真美と話したりすると、頑張ろうという気持ちになるんだ。」
という結論になりました。
特に何もしていないけれど感謝してくださった2人に共通していることは、
私の近況を都度知っていて、その時私がどのような気持ちなのかも逐一報告しているような人たちです。
私が何かに取り組んでいる時、どうしてそれに取り組んでいるのかを知っていて、その過程で何を思ったのかを知っていて、その結果どうなったのかを知っている。そんな人たちです。
わたしは感謝され続ける人になりたいと思っています。
もしかしたら、ここにヒントがあるかもしれません。
今はメインコンテンツではなくサブ(プロセス等)が求められる時代だ、とキンコンの西野さんも仰っていました。
今回のような出来事の再現性を上げていき、毎日感謝され続ける人になっていきたいと思っています。
感謝されることって、頑張らなくてもできるんだ。
ただ、普段どのような想いをもって行動しているかは思った以上に人に感じられている。
すると、他人のために生きることではなくて、自分の人生を全力で楽しんじゃったほうが効率もいいし楽しそうじゃない?
自分がやりたいと思うことをやりたいときにやって、外野は無視しちゃって大丈夫。耳を傾ける先だけ選べば。
ターゲット自分にして、自分をめっちゃ喜ばせるようなコンテンツを毎日考えていたら、勝手に周りも幸せになっちゃう気がする。
そんな人生を生きていこう~!
見てくれてありがとうございます。