父の死

6月 父が亡くなりました。

2年前に母が亡くなり、その頃から父が体調を崩しました。
最初は通いで介護を始めましたが、半年前から私は仕事を休業・同居し、介護に専念。
最後まで父に寄り添うことができ、かけがえのない時を過ごしました。

眠るように息を引き取った父の顔を見た時、苦しみからやっと解き放たれたと思うと不思議と悲しみよりも良かったと思いました。
大したことはできなかったけど、やれることはやったという充実感に包まれ、ありがたいことに今もほぼ後悔はありません。

2週間に一度は遠出をし、父がやりたいこと、行きたいところ、リクエストがあれば即行動しました。
父は常に私の負担を考え、亡くなる1週間前までは(寝たきりになってはいけない)と日中ベッドに横たわることはありませんでした。
残された時間がわからない中で、お互いが今できることの最大限をすることができました。

亡母からは、感謝の循環でこの世が成り立っていることを、
そして、今回父からは魂と肉体について感じることができました。

どちらも本などで書かれていることだと思いますが、経験の中で感じられたことは、今後の私に繋がる貴重な体験だったと思いますし、自分自身の中ではこれ以上の確信はありません。

忘れられないエピソードがありますので、少し長くなりますが、よろしければお付き合いください。

***

2年前の夏。
母が亡くなった翌々日の明け方。
私は夢を見た。

私は布団に入って寝ている。
正確には、すやすやと寝ている姿を別の私が少し離れて見ていた。

すると、
亡母が私の体にすーっと入った。

(あ。お母さんになっちゃう)

と思った。

そして、
(わたし、死んじゃうのかも)

とも思った。

けれど、私は死んでいなかった。

夢が覚めて、夢を思い出して、
(お母さんがわたしを守ってくれてるんだ)
と思い直した。

それからつい最近までは、母が私を守ってくれているのだと、ずっとそう思っていた。

でも、数ヶ月前、生前母が言っていたことをふと思い出した。

「お父さんが悪くなったら私(母)が介護する」

40年来持病のある母が父の介護ができるはずもなく、家族は鼻で笑っていた。

でも、違った(のだと思う)。

母は死んだ後、すぐに父が重い病気に罹ることを知っていたのだろう。
私の肉体に母の魂が宿り、生前言っていたことを私の肉体を使って実行したのだ。

現に、何の躊躇もなく、父の介護にあたれたこと。
確かに会社の制度や職場の理解もあったが、迷わず、長期介護休業を取ろうと決断できたこと。
私の心の中には、自分ならできるといつも揺るぎない確信があった。

そして、亡くなる前に父にもこの話をした。
私がお父さんを介護しているのでなく、お母さんがお父さんを看てるのよと。
父は何も言わず、じっと私を見ていた。

***

魂は自由自在でどのようにもあれる。
三次元世界に生きている私たちには分からないが、魂になっても関われることがある。
たとえば、ふと思ったこと。
たとえば、ふと立ち寄った場所。
なぜそう感じたのか説明がつかないことが時々ある。

息を引き取った父の体を見て、もうここに父はいないと思った。
魂が抜けた後の肉体は果物のように腐敗が進む。
肉体はこの世を生きるための舟である、だから、魂が抜けた後の肉体は自然の摂理に従って朽ちるのだ確信した。

人間誰しもいつかは死を迎える。
寿命はわからない。
だから、肉体が動くうちは精一杯生きることだ。
どんな生き方をしたいか。
どうあれば納得できる人生だったと思えるか。
答えは簡単に出ないかもしれないけど、こうしたことを問いながら生きていくしかないと思う。
それが人生の醍醐味かなとも思う。
そして、魂は永遠なのだから死ぬことを極端に恐れず、この世でしかできないこと、やりたいことを存分にやればいい。
自分だけでなく、そばにいる人、遠くにいる人を思いやって生きられたら最高だ。

父の介護に際しては、多くの方にアドバイスや応援をいただきました。
皆さまには御礼の申しようもありません。
介護疲れから少し体調を崩しましたが、これからぼちぼちやっていきますので、よろしくお願いします。

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