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日記10月9日(土) #日記 ドーパミン。

・幸せホルモンであるドーパミンというのは、実は結果に出るのではなく、良い結果が現れそうな期待に出るのです。
・私たちはどうしても幸せな時間だけで1日を塗りつぶすと、将来不幸になるのではないかという疑念がありますが、それはそのようなタイプの幸せを選択してる場合のみであり、最も望ましいものは、今も幸せだし、そしてその幸せが将来も繋がるようなものを積極的に選択することです。
例えば意外なようですが、運動以外にも睡眠というのはそのような幸せをもたらす筆頭です。睡眠中、私たちはとても幸せな気分ですし、さらに十分な睡眠は私たちの頭をシャッキリさせ体を回復し万病を予防します。
勝間和代

勝間さんの文章を拝読していると、なるほど!ということに多く出あう。文章というのは、作者の考えや魂のようなものに触れることであるからして、勝間さんの考え方がわたしに合っている、ということになるのだろうか。

一人の人の中にさまざまな要素がある。私の中にも、男性的、女性的、ボーダー的な要素がある。そしてこの「男性的」「女性的」という分け方自体が、上手く機能する部分もあるだろうが、他人の行動を抑圧する方向に働くこともあり、いまではその分け方には注意が必要となっている。

そんな注意をしながら書くのだが、私はどうやらいわゆる「女性的」な要素があるようだ。だが、「女性的」というと、「男性がそれを求めてはならないし、もし生来持っているのなら隠した方がいい」というのが、従来の世間からのメッセージであったと思う。「男性的」な要素もあるので、別にひとから女性的といわれるようなことはないし、それが本当に「女性的」と呼ばれるべきものなのかにも疑問がある。例えば具体的には「耽美的」「審美的」といった言葉に置き換えられるような部分である。

私はこのnoteで、自作の版画やエスキースも発表させて頂いている。それだけを見ると、「女性の方が描いているのかと思った」というコメントを頂戴することもある。そう思っていただく部分もあるだろうな、と自分でも思う。そういう意味では、好きなことを好きなように、描いている。

女性が男性漫画を描くことがある。逆もある。読者が年若い場合は、少年漫画では作者の性別を隠す場合があるようだ。特に男児の場合は女性名だと気にする、という雑誌側の配慮があるように思うが、この配慮自体どうなのか、という感じはある。まあ、公的な雑誌ではないので、いかようにもハンドルできるのだろうが。

で、幸せだなあ、と感じるのは結果ではなく過程である、ということ。これは我が身に当てはめてみても、実感がある。例えば絵を描くこと。絵を評価されるのはもちろん嬉しいが、日々どのような絵を描いてゆこうか、とアイデアを探している時間、隙間時間を見つけて、アイデアを描いてみる時間、それを仕上げてゆく過程、すべてが大変に楽しいのだ。

それが「プロジェクトとして進行している」という感じ、絵ひとつでプロジェクトとは大げさかもしれないが、自分の中では大真面目にそんな感じだ。

それから、罪悪感についても膝を打つことしきり、であった。

「いいことばかりは続かない」「こんなにいいことが続くと、あとで不幸が来るかもしれないと不安」といったような謎の感覚が個人的にもよくあるのだが、これが「飲酒」や「放蕩」ではなく、健康的な「運動」などによる幸せ感であれば、それは「将来もっとよくなるのでは」「いいことは続く」と思える、という視点は卓見である。そこには裏で感じている罪悪感がない点が重要なのかもしれない。

そして「睡眠」。ここは実はついついおろそかにしている。朝の時間が楽しすぎることが原因だ。4時起床、5時までは自由時間(ここで絵を描いたり構想したりもする)、5-7時で出社準備、としている。2時間の出社準備は長すぎる、というご意見もあるかと思うが、私は朝風呂派で夏も冬も朝風呂で大変すっきり気分転換できている。尾籠な話で恐縮ながら、トイレも時間に追われていては出るものも出ない。じっくり座って初めて「コンニチハ」となるのだ。新聞も時間をかけて読めるし、朝食も焦らずに摂れる。

なので、仮に10時に寝ても、4時起床であれば6時間睡眠。現状ここのところは、様子を見ている感じである。会社員でなければ、10時に寝て、6時起床すれば8時間睡眠となるのだが。

(最近はすこし起きるのが遅くなっています。。)





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