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日記12月16日。 #日記

マスクマンのように、マスクをしていないと不安になる。

マスクマンは押しなべて好きだが、その中でライガーさんこと獣神サンダー・ライガーは別格だ。

ベタ、な誕生でもあっただろう。つじなおき、梶原一騎の生み出したタイガーマスクの成功を踏まえ、永井豪をその母とし父とする、という当時の新日本プロレスの企画の方のアイデア(それがだれなのかは知らないのだが)こそが真のライガーの生みの親となるのだろうか。

山田恵一は、その恵まれない身長のせいで閉められようとするプロのレスラーという扉を、強い意志でもってこじ開けた、という感がある。もちろん当時の道場は山本小鉄が仕切り、それこそのちのタイガーこと佐山聡が在籍していただろう。ジュニアヘビー、という階級が隆々としてあり、そこでは身長が175センチに満たなくとも、技術と気合と才能のどれか、あるいはどれもがあれば、可能性が開けてはいた。だが、広くはないだろう。185センチあれば、そしてきちんと身体を作り、魅せる才能を秘めているなら、もっと楽にレスラーになれる。

その見えない天井を山田が意識していたのかはわからない。だが、その姿を見ると、そこを突破すること、そこから別の世界へと飛躍すること、それを彼は志向しているように、私には感じられた。

山田恵一がリバプールの風になり(記憶はおぼろげ)、ライガー神がリングに、人間界に降臨した。当時のマンガ界のことはよく覚えていないが、たしか他にもアステカイザーのようなプロレスマンガがあった気がする。永井豪は、多分凄の王を脱稿した直後くらいではなかろうか。私見では、ゆっくりと、そのまさに神がかりな創造のピークから、ゆるい下り坂にさしかかろうとしていたころである(私的な感想です)。

ライガーがサンダーライガーとなり、リングでさまざまな人間と戦うことになった。悪魔か幻魔か、といった体のムタとの闘いには心が躍った。ライガーさんは、戦いを神として寿ぎ、喜んで行っていた。

リングを去っても、獣神であることはやめたくともやめられまい。存在と職業は、別々なのだ。マスカラス、タイガー、サスケ、デルフィン。さまざまなマスクマンの名が浮かぶ。そしてついに。

自らもマスクマンとなる時が来た。執務中のみならず、世間で、移動時すべてで、マスクの着用が(ほぼ)義務となったのだ。世間に晒すものは基本的にその双眸のみ。前はマスクで世間を闊歩することは、マスクマンというレスラーのみに許された特別な行為であったように思う。今では誰もがマスクマンだ。

たまにマスクを忘れ(!)、鼻孔と口を世間にさらしてしまうと、なんともいえない羞恥心が沸き起こるようになった。自警警察に糾弾されまいか、という恐れと怯えなのかと、はじめは疑ったわけなのだが、それだけではない、間違いなく、ない。

マスクで日々匿名的存在となって過ごすこと。そのラクチンさ。

なにをしても、誰だかわからない(はずだ)。どこにいても、誰だかわからないはずだ(願望)

この甘美にして禁断の心理状態に、安住しきってしまっている私がいる。

電脳世界ではもうかなり前から匿名が当たり前になった(IN JAPAN)。そして電脳世界が優勢となりつつある、このリアル(?)世界ででも。

匿名は本当にラクチンなのだ。もう、戻れないかも、しれない。

(・・・皮肉のつもりで書きだしたのですが、ほぼ本音100%となってしまいました。しかし顔をかくしていても、結構な割合でばれますね。最近は皆さん眼だけで人を区別する能力が顕著に向上した、といえるのでしょう。そういう意味では、コスプレなんかも変身願望と共に匿名性獲得願望が、あるように思います)

お志本当に嬉しく思います。インプットに努めよきアウトプットが出来るように努力致します。