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日記5月19日(水)。 #日記  紳士とは。

紳士とは、屈辱を甘んじて受けるキャリアのこと。自分をコントロールする能力が、つまりは人間の賢さ、強さである。
森博嗣 つぼやきのテリーヌ P.199

若いころは、”他人に舐められない”ということばかり考えていた。どうしてそうなったのか、と考えてみると、やはり人間関係の恐怖からだろう。

子どもは残酷である。大人になっていろいろ気にかけて見ていると、女性のほうが人間関係では身近で濃密になりがちな分、面倒だという気がするが、例えば高齢男性はひとりになるとそれまでなにもコミュニケーションをとってこなかった分、孤独に陥り長生きできないとも聞く。面倒でもある程度は社会とのかかわりをもつ工夫が必要だろう。

私の場合、小学校では特に運動等をやっていなかった。とにかくボール競技が苦手であった。その結果、皆さんに非常に残念に思われていると推測されることも多く、そういう意味では子供でいることはしんどいな、と思っていた。

その点では、大人のほうが楽な部分がある。

子どもは弱点をみると直撃で攻めてくる。精神的な攻撃に今の言葉でいうと”豆腐メンタル”であった私は、そうした攻撃が少しでもない環境がいいな、と小学校卒業時には思っていたものだ。

年を取る、ということは”厚かましくなる””気にならなくなる”という点では、美しくはないが楽な面もある、と最近思っている。

紳士と言う言葉は、最近あまり聞かなくなった気がする。聞かなくなったのか、それとも”この人は紳士だな”と感じることが少なくなったのかは定かではないが。

私の中で”紳士”といって浮かぶのは、まずは高倉健。映画で見るキャラクターと、漏れ伝わる本人の像が、あまり乖離していない感じがしていた。逆に乖離しているのは”渥美清”である。劇中で見るキャラとは全く違う物静かな人柄であったと聞く。この人も紳士といっていい。

他で思うのは”小林秀雄”。飲むと相手を激しく攻める酒であったとも聞くが、自身を厳しく律する姿勢を感じる。

さて、現在で紳士と言えばだれだろうか。すぐには浮かんでこない。ちょっとイメージが混在するが、例えば坂東玉三郎。女形であるが、男性を演じても懐の深さがにじみ出る。究極を求める孤高の存在、という点では、紳士の名にふさわしいだろう。

上記で挙げた4名が例えば一同に会すれば、とても興味深い会話がなされたことだろうと思う。例えば外人ではチャーリー・チャップリンなどが思い浮かぶ。

すべてが私の勝手なイメージでは、あるのだが。

(作家などでも紳士といって思い浮かぶ人がいますね。無頼作家・チャールズ・ブコウスキーなんかも、定型の紳士の枠をぶち壊す形の紳士という気がします。紳士に必要なのは、ダンディズム、だと思います)

お志本当に嬉しく思います。インプットに努めよきアウトプットが出来るように努力致します。