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一度死んだから言えること!

◎妄想の日々の前に

どれほどの薬が私に投入されたのか?資料は少しありますが、全部は分かりません。意識を無くした私の体調は悪個なるばかりで、緊急の処置が必要になることが度々でした。

担当医はそのたびにゆあんさんい電話しては、投薬の許可を得ていたらしいのですが、それではやり取りのどうしても時間が掛かるのです。その間に危篤となってしまうと、それでもうアウト!となります。そこでゆあんさんは担当医に対してこう伝えたのです。

「いちいち私の許可を得ることはもう要りません」
「先生を信じてますので、その時にベストだと思う事をしてください」

こうして様々な薬が、私に投薬されることになったのです。結果的にそれで私の症状は治まり、生存率30%を切った処から生還したのです。ちなみに私は肺の三分の二がダメになって真っ白な状態でした。あとでCTの画像を見させてもらったときは、我ながらゾッとしました。

その為に自発呼吸が出来ず、人工呼吸器に繋がれていたのですが、意識が戻らず感染症を起こし、皮下血腫となっていました。感染症でも死ぬ状態で、喉を切開して直接肺に酸素を送りこまねば危ない、という判断が成されたのです。

ですが意識が戻らないと喉の切開手術も出来ず、このままでは”エクモ”という装置に、私を繋がなければならなかったのです。太ももの大腿動脈にぶっとい管を入れて、酸素を含んだ血液を強制的に循環させるものです。人工透析のイメージに近いと言えばわかるでしょうか。

これに繋げると生き残れますが意識が戻る確率は下がる・・・つまり植物人間になりかねないという凄まじいものだったそうです。それをする直前に私は運よく意識を取り戻し、九死に一生を得てICUへと移されたのです。

後に転院先のリハビリ病院で、以前ERに居たことなる看護師さんから偶然話が聴けたのですが、本当にそうだったと言われたのを覚えています。

そんなこんなでその時の私に、どんな薬がどれだけ投与されていても、それがたとえ新薬や治験未承認であったとしても、ただただ生き返る為に投薬されたのですし、そのおかげでこうして闘病日記を書いているのです。

ですが、それは私に思ってもない、そして誰にもそれを伝えられない、そして誰もわかってもらえない、副作用による”妄想”の日々の始まりへと繋がっていくのです。


次回こそ"妄想の日々"です。






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