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一度死んだから言えること


◉誕生日の衝撃写真現る!

私には全く無い記憶の期間があります。2021年11月8日から12月中旬くらいかな。クリスマスは朧げに窓越しに、涙ながらに家族と再会したのを覚えてます。

その記憶のない期間は今までに説明した様に、静かに進行していた肺炎により、酸素血中濃度が低くて自力で呼吸しても、酸素が取り入れられない事から、気管挿管を行う為に強力な麻酔で眠らされていたからです。

写真で見てわかる様に、首元が異常に膨れている様に見えると思います。相撲取りか何かの様な膨れ具合ですが、肺に送った酸素が皮下に溢れ出ていて、皮下気腫と言う状態を引き起こしています。

これを回避しないと全身にそれが回ると、それはそれでアウトになるのですが、この時点では喉を切開すると、その気腫によって感染症が起こり、それもアウトだと言う状態だったのです。

しかも、酸素を肺に入れ続けると、純酸素は肺の細胞を痛めるらしく、それを回避するにも喉の切開が必要で、カニューレの装着による人工呼吸器の装着が必要な状態だったのです。

そこで必要なのは皮下気腫が治り、私が麻酔から覚める事が必要で、そこで初めて喉が切開できると言う状況でした。

この時点では生存率は30%くらいで、後は大腿部からとてもぶっといチューブを入れて、酸素を含んだ血液を循環させるエクモってやつに切り替えないといけなかった頃が下記の写真です🤳

生存率30%の頃

お見苦しい写真ですが、ICUの前に居た人工呼吸器専用の特別室を、窓越しに写したものです。

その日が私の誕生日で、家族が揃って窓越しに、「お祝いの言葉と励ましの言葉を伝えていたよ」と後から聞きました。

これだけを見ると悲しい状況ですし、当の本人である私も引いてしまいます。ほんとうに😓

ですが、こう言うのを載せなければ意味は無いと言うか、実態が見えないと思うのです。この闘病日記ももう終わりに近づいてますしね。

もう一度言いますが、あのウイルスって本当にあったのでしょうか?ね。無かったとは言いません。急性肺炎のなり方が通常とはズレてましたし、他にも同じ症状の人たちもおられたのですから。

ただ、あれほどの話だったのか?とは疑うしかありません。報道にあるほど病院は逼迫もしておらず、途方もないお金はどこへどう流れたのか?や、事の審議を未だにマスコミは明らかにせず、結果的にワ〇〇ンだけがいまだにこの国では推奨されています。

私は政府に物申すとかでは無くて、皆さんに脅す様な煽りで真実が見えて無いか、隠された、いや教えられてない情報があるんだと経験を通して言っているのです。

その事の方が怖い事なのだと思うからです。後もう少しこの闘病日記にお付き合いくださいませ〜😉

続く


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