粛々とやるしかない

今朝は6時を過ぎても真っ暗でした。
幼稚園にいる頃は、この時期、お餅つきをしていました。もち米を蒸かすかまどに火を入れるために幼稚園に着いたときに見上げた空も、同じように月が出ていたなと懐かしく思い出しました。


仕事への喪失感は、今も消えません。
でも、懐かしい想いも持ちながら空を見上げている自分の変化も感じています。
別に強くなったわけでも、前向きになったのでもなく、仕方ないなと思うようになったのかな。

朝の散歩で悲しいのは、今まで見たことがない数の吸い殻や、アルコールの空き缶、なぜかマスクまでもがあちらこちらに無造作に転がっているのを毎日見ることです。


感染拡大の影響が医療に及んでいることは、私に届く患者家族の声から感じています。
病院にいることを望んでも、自宅に帰らざるを得なくなった方も増えてきました。
病院に行ったら家族と会えなくなるからと、症状を我慢してしまう人もいます。

この日々にこそ、症状だけではなく、心へも医療、支援が届いてほしいと願って活動していますが、医療者の心身のギリギリも感じています。
気力と責任感だけで持ちこたえ続けることを望むのは、もう限界なんじゃないかと感じています。


スキルス胃がんは小さなお子さんがいる若い世代の罹患も多いがんです。
20代、30代の人たちが、状況を受け入れ、自分が今出来ることを懸命にやっている姿に胸が詰まります。
「嘆いても変わらないから、せめて出来ることをしています。年内もつかな」と、そんな体で家族のために料理をしたり、我が子のこれからの洋服を、成長を予測しながらネットで揃えたり…なんとも胸がつまります。
ここから感染拡大や医療への不満は聴こえないのです。
そのことに対して、「前向き」「私には出来ない」と言われ、人との関りを経ってしまった人もいます。
なんとも哀しいことです。


渋谷はハロウィンで今年は人出が少なかったと報道されていましたが、人出は減っても、それでもやってくる人はいました。数ではないのです。この状況下、スクランブル交差点に集まってきた人のスタンスを考えれば、何が起こっていたのかへの想像は難くないと思います。
例年、渋谷はカウントダウンでも大変なことになります。


Go to とか、マスクへの賛否とか、それぞれの背景で解釈は違うのでしょうし、世界中の誰もが正解がわからない。
『知ること』が大切なのだと思い活動をしてきましたが、例え知っても全員が同じ考えになることはないということもわかります。


ただ、せめて、他人のことは想像しにくいかもしれないけれど、医療がひっ迫すれば、自分や身近な人が明日、緊急手術が必要な状況になっても、それが届かないということなのだという認識は、広がってほしいと願います。

今週は、久しぶりにドカーンと虚しくなることがありました。
パフォーマンスを落とさないためには虚しさを手放すしかなく、粛々とやっていたら、全然違うところから、新たな空気が回り始めました。


『手放す』と『粛々』


嘆いても努力しても変えられないことに心を揺さぶられているエネルギーがない状況とも言えるけれど、手放したからこそ、新しいことが見えてきたんだと思って今日も粛々とやろうと思います。

全国胃がんキャラバン、多くの人にがん情報を届けるグリーンルーペアクションに挑戦しています。藁をもすがるからこそ、根拠のある情報が必要なのだと思い、頑張っています。