私は医療を信じていたから

私がなぜ、今、発信にこだわっているのか。

その根底は後悔です。


私は医師免許を持っている人が

患者に利のない治療を施すとは思っていませんでした。

医療を信じていたから、優しい言葉をかけてくれる方にすがってしまいました。

取り返しがつかない日々です。

こんなに残酷な気付きはありません。


夫のがんの告知の際、データや予測を淡々と話す医師の姿に

冷たさを感じてしまいました。

医師になる人は、基本的に頭脳明晰というイメージがあります。

その人が、横文字、専門用語とともに、数値を交えて伝えることが

ロボットに話され、データで命を切られたように感じてしまったのです。


これには、他にも要因があります。

告知を受けた時、画像を見せる、データを見せるために

パソコンの画面が使われました。

手書きで示すにはホワイトボード。

医師の他には誰もいませんでした。

医師の声と、カチャカチャというパソコンを打つ音と

無機質なホワイトボード。

全てに温度を感じなかったのです。


だから、「あなたたちを見捨てない」という言葉の方にすがりたくなりました。

その人たちは 心ある

温かい医療者だと思ってしまったのです。


今ならわかります。

医療者は、目の前の患者さんに誠実であろうとすればするほど

正確に伝えるためにデータを見せ、数値を示しているということを

今ならわかります。


でも、こうやって惹かれてしまうことは、私が特別なんじゃないとも思うのです。

絶望的な事実を受け止めたくない。

現実を突きつけられた不安。

社会から突然に切り離されてしまったような孤独。


ドラマの中には、失敗しない医師、誰もが無理だと思うことをして命を助ける医師がいます。

探せば、そんな人が世界のどこかに

いるのではないか。

その検索の先に、優しい言葉がありました。


また、抗がん剤への不安もあったので、抗がん剤を「毒」と表現し

口から入るもの、天然由来のものが、あなたの免疫力をあげるのだと言われたら、信じたくなりました。「毒」を施そうとしている医師は、数字しか見ていない冷たい人なんだと思えてきてしまったのです。


医療者と患者

その間にあるボタンの掛け違いを直すのは

患者も知識を持つことが必要なのだと思っています。

それが、私が、今、発信している理由です

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科学的な見地を漠然とでも理解すれば、どんなに玄米を食べても

ニンジンジュースを飲んでも、がんは自滅したりしないことが

理解できます。


今、がん教育が盛んにおこなわれていますが

その多くがナラティブに偏っていることが、私は不安です。

旅立った人が、負けたんじゃない。

生きているだけで金メダル

このようなことを聴いた子供たちは、どう思うのでしょうか


夫は毎年検診を受けていました

早期発見は大切ですが、亡くなった人が、検診を怠っていたわけでもありません。


本来、教育とは、偏見、誤解を正し、

自分で情報を判断し

選択していくための力を養う場だと思うのです。


そして、子どもたちだけではない。

大人の世界にも偏見が溢れているから

私は、【不幸すぎて怖い】と言われ

職場をやめることになり、

【お墓参りを怠っていたんじゃないか】と言われ

天然由来のものを口にすることを勧められたのです。


情報は命を救うこともあれば、

取り返しのつかない選択をさせてしまうこともある。


届く情報は選べないのだから、情報の見極めができるための知識が必要なのだと思います。

報道は、取材した方のフィルターを通して言葉になって、届いて行きます。

持っていきたい結論に向かって切り取られてしまうこともあります。


取材を受ける場合も、そのことを念頭に臨まないといけないことも、この数年の中で

経験してきました。


本当に、いろいろな経験をしてきました。

取材を受ける経験でも、いろいろありました。

情報は切り取られていると感じていることについては、また書きたいと思います




全国胃がんキャラバン、多くの人にがん情報を届けるグリーンルーペアクションに挑戦しています。藁をもすがるからこそ、根拠のある情報が必要なのだと思い、頑張っています。