ひたひたと来てます…

とうとう、ひたひたと自分の周囲にcovid-19が近づいてきているのを感じるようになりました。
直接知っている人が濃厚感染者であることが出てきたのです。
あくまで、これは私が感じていることですが、大体、そのルートに

会食をしている、旅行していたなどの人がいるようです。


そして、共通しているのが『密じゃなかった』


それぞれの判断を責めるつもりはないけれど、
ニュースで、変異種の感染ルートにも会食があったなどと知ると
感染したくてしたわけではないという言葉に虚しさすら感じてきちゃうのです。
「コロナ自警団」というような言葉もあり、正義が暴走しないようにということは理解していますが、『それぞれの判断で』という域なのかな…と思ってしまいます。


私には、今後、感染の可能性は大いにあります。なんといって東京に住んでいるのですから。
不要不急の外出は、もう一年以上していないし、生活必需品を購入するにも時間帯を選び、公共交通機関は片手で数えられるくらいしか利用していません。
それでも、かかるときはかかると覚悟しています。
その時、依頼されているタスクに対して連絡が出来るのか、迷惑をかけてしまうこともあるのではと不安になります。


不安はいくらでも大きくできてしまい、不安な方に気持ちのベクトルを振ると、吹いてくる風すら怖くなってしまうので、出来る限りのことをしているのだ、あとは淡々と暮らしていくしかないと自分に言い聞かせています。

連日、患者さんやご家族から寄せられる声は、例年とは深刻さが違います。医療に行き場のない怒りをぶつけることが増えています。
私に連絡が来る前に、何らかのピアサポートを受けていて、そのやり取りの中で誤解が深まっている事例も出てきており、誰もが主催者、発信者になれるからこその新たな課題をも感じています。

昨夜、さあ、2回目の麒麟がくるを観ようと思った瞬間、電話が鳴りました。親戚からでした。
コロナではないのですが、救急車を呼ぶ状態でした。
私は私的にも頼られる立場にいるのだと痛感し、めまいがしました。


私だって怖い。
私だって不安…。


そんな中、私の日々を支えているのがオンライン英会話。
いろいろな人と話したいと思い、8月に始めてから、ほぼ、毎日、違うtutorを選んでいます。
職を失ったからオンライン英会話のtutorをしているという人が増えています。
自身も大変なのに
『パンデミックに不安を感じる気持ち、わかる』
『あなたの役割はとても大切だと思う』
『私も身内をがんで亡くした。患者会があるなんて、素晴らしいと思う』
言葉に心が救われたりします。


そして、私は英語力が低いからこそ、知っている単語でなんとか伝えようとし、さらに、表情、アクションが『英語的』になってきたような…(笑)


ちょっと距離がある人と対話する時、なぜか正直に自分のことが話せる。

弱音を吐ける場所があってよかったとしみじみ思っています。


全国胃がんキャラバン、多くの人にがん情報を届けるグリーンルーペアクションに挑戦しています。藁をもすがるからこそ、根拠のある情報が必要なのだと思い、頑張っています。