最初にかかる病院で違ってしまうこと
夫がスキルス胃がんにかかり、いつかは別れの時がくることが
受け止めざるを得ない現実であると認識した私は
夫と共に、がんのセミナーに行ったり、検索をするにしても
出展先を確かめるようになりました。
そこには、スキルス胃がんの治療についてはほとんど記載がありませんでした。
あっても、たった一行
【予後の悪いがんである】という内容でした。
そんな中で、臨床試験というものがあることを知りました。
その中に、再発、進行胃がんへの臨床試験があることを知りました。
『これに賭けるしかない❢』
その臨床試験の中心となっている医師に電話をかけました。
まったく面識もなく、今でも、その時、なぜ、ご当人に電話がつながったのかは不思議なのですが、電話の向こうには、その医師がいました。
「夫はスキルス胃がんです。腹膜播種があり、手術は不適応と言われています。先生がなさっている臨床試験に入りたいのです。」
その時、電話の向こうで、とても優しく、落ち着いた話し方で
医師がこう言いました。
「その臨床試験は、もうエントリーが終わっています。
そして、その臨床試験には
一度も抗がん剤をしたことがないことという条件があるのです。
残念なことをお伝えするしかできないのですが、ご主人は、対象外です」
抗がん剤を一度もしたことがない人…
(それは、最初に治療に入る時にしか、選択できないということ?
じゃあ、どうして、その臨床試験を知る人がいるの?)
この時点で、私は、がん診療連携拠点病院というものがあることを知らないでいました。
夫は、家の近くの総合病院にかかっていました。
なぜ、その病院を選んだのかは、公的な胃がん検診を毎年受けており
夫のがんを見つけ、連絡をしてきた医師が、たまたま自宅に一番近い
病院の医師だったからです。
抗がん剤の副作用は大変なのだというイメージはありました。
だからこそ、近くの病院がいいのだと、決定に迷いはありませんでした。
病院には、相談支援室はありませんでした。
ここに至るまで、私たちは、誰にも相談することもありませんでした。
臨床試験をしている病院も、限られているのだとも知りませんでした。
この経緯では、たまたま、最初に、臨床試験をしている病院にかかった人だけが、抗がん剤を一回もしたことがないという条件の臨床試験を知ることができたということになるのではないか。
知らなかった
こんなに残酷なことはありません。
どうして…
どうして…
実は、夫がスキルス胃がんとわかるまでの経緯も
『どうして?』でいっぱいでした。
夫の家系にはがんで亡くなる人が多く、胃がんが多かったので
夫は若い時から、自分も胃がんになるのではないかと考え
毎年、検診を欠かしませんでした。
野菜もたくさん食べ、運動もして、とても気を付けていました。
51歳になった頃、夫は胃の不調を感じました。
そのすぐ後に、検診が控えていました。
今ならわかるのですが、検診と受診は違う。
不調なら、受診すべきだったのだとも思います。
バリウムで引っかかり、要再検になりました。
(この時点で、私は夫から何も知らされていませんでした。
余計な不安を与えずに、決定したら伝えようと思っていたようです。)
夫は胃カメラを受けました。
結果は『胃炎。ピロリ菌あり』でした。
再検査の結果が出てから「実は胃カメラしたんだけれど、胃炎だったよ。」と
ほっとしたように告げました。
「ピロリ菌がいるんだけれど、服薬で除菌すればいいみたい」
よかったね。ちゃんと検査受けてよかったね。
しかし、その後も、どんどん夫の体調は悪くなりました。
医師にも不調を訴え、他の病院にも行きました。
その時に医師が言ったのは
『ピロリ菌の除去をすると、逆流性食道炎のようになることが多い。
あなたは、バリウムも胃カメラもしているのですから。
これ以上、調べたいというのは精神的な不安でしかないです』
この状態で1年が経ち、再び、公的にバリウムを受けに行きました。
その時に、夫は、胃が膨らまず、七転八倒したそうです。
その数日後、読影会会場から、自宅に直接、電話がかかってきました。
受けたのは私です。
「ご主人の胃ですが急を要する状態です。
すぐに私の病院に来てください」
なんで、バリウムの結果が、郵送ではなく電話なの?
どうして、急を要するなんて言われるの?
崩れそうになっている私の横で、夫は静かに言いました。
「やっと、具合が悪い原因がわかる。ほっとするよ。
わかったら治療ができる。行ってくるよ」
この流れに、いくつかの候補からの選択はありません。
そのまま病院に行き、そのまま告知を受け
そのまま治療に入ったのです。
それも、余命と共に、抗がん剤は延命だとも言われながら。
夫は一生懸命に生きてきたと思っています。
予防もしていたし
検診も欠かさず受け、言われたことを全てやってきた。
なのに、なんで、毎回、毎回、網の目をすり抜けるように
堕ちて行ってしまうのでしょう。
この悔しさは、今もぬぐえないし、きっと消えることはないと思います。
【情報に辿り着けなかった、知らなかった自分たちが愚かなんだ】
絶望という言葉では表せないほどの暗闇に堕ちていきました。
でも、こんな状況になっても、夫は冷静でした。
ある行動に出たのです。
これが、希望の会に繋がっていきます。
(つづく)
全国胃がんキャラバン、多くの人にがん情報を届けるグリーンルーペアクションに挑戦しています。藁をもすがるからこそ、根拠のある情報が必要なのだと思い、頑張っています。