「着てはもらえぬセーター」と自分軸で編むセーター

10月になってようやく人間がまともに暮らしていける気温になってきたので、本格的に毛糸や編み棒に触れられるようになりました。

編み物愛好者からすると本来9月の半ばには、手芸店に新作の毛糸や編み図の新刊などが並んで本格的な寒さが到来する12月中旬までにはセーターなりカーディガンなり編み終えていたいなぁと今までは考えていたんですが

昨今、特に今年の本格的に人類を殺りにきている暴力的な暑さの前にはもふもふとした手触りの良い毛糸もつるつる磨かれた滑りの良い編み棒も到底持つ気にならず、ようやく気温が編み物の邪魔にならないころにはもう10月。編もうと思っている物がセーターとかロングカーディガンなどといった大物だとしたら編みあがるころには年が明けてしまうという始末。最悪の場合だと冬中必死で編んで編み終わるころには春になっている…ということもあり得ます。

もっとも昨今は温暖化と機能性インナーの普及のために手編みの衣類を身に着けることも正直、減りました。

それでも「編む」という作業が好きな人からすれば必要性のある、ないの問題ではなく「そこに毛糸があるのならば編みたい」という欲求からは逃れられないのです。

私もそういう思いを持つ人間ではありますが、それでもどうしても受け入れがたいことがあります。

「♪着てはもらえぬセーターを 涙こらえて編んでます♪」

阿久悠先生作詞の、昭和時代の演歌「北の宿から」のこの一節。

報われぬ未練と女心を歌い上げた名曲であることを承知の上で私は思う。

この曲で歌われている「着てはもらえぬセーター」が男性ものであるという前提で考えると、

・極太毛糸12~14玉
・使用棒針 10号
編む面積として、前身頃と後ろ見事、袖二枚。
毛糸代だって決して馬鹿にならない。
最近は100均で扱っている毛糸もそれなりのものが出ていますが、ハマナカやクロバーの毛糸となると一玉1000円近いお値段ですから、それが14玉となると…買った方がいいんじゃないかって気になってきます。

しかも、私もセーター編んだことあるからわかるのですが結構な重労働なんですよ…

これが何の装飾もないプレーンなタイプのセーターならまだ難易度は低いので根気勝負だけで済むとは思うのですが、まさかこのセーターがフィッシャーマンズセーターみたいなアラン模様が入っていたりとか毛糸を編み込んで作る柄が入ってたりしたらと思うと、「着てはもらえぬ」のが前提で編むにしてはあまりにも時間と労力が見合わなすぎます。

ただひたすら何も考えずに編んでいれば形になるマフラーやスヌードとは違い、セーターをはじめとする衣類は
「裾から7㎝までは二目ゴム編み」
「袖ぐりを作るために脇からは減らし目」
とか、編み図と首っ引きでやらないといけない作業があまりにも多く、「女心の未練」に思いをはせている暇なんて正直、ない。

そもそも模様編みなんてやろうものなら一つでも編む目を間違えるとせっかくできた柄が崩れてしまうから何段もほどいて、最悪の場合は1から編みなおしをせざるを得ないこともあるほどの過酷さ。

目は疲れるし手首は痛くなるし根を詰めすぎると頭痛くなるし(私は編み物が原因の緊張性頭痛で救急外来に運び込まれたことがある)で、そんなリスクと戦いながら早い人で一か月、平均すると3か月近くかけてようやく編みあがるのが「手編みのセーター」なんですよ…

阿久悠先生、自力でセーター編んだことないですよね…

そんな思いをしてまで編むのが「手編みのセーター」なのに、「着てはもらえぬ」って何よ(涙)

えぇ、わかってます、わかってますよ。
編むという行為を通じて相手への未練慕情を断ち切らんとする女の哀しみを謳っているんだということは。
だからそこにリアリティなんて持ち込まれても困るだろうと…

でも、どうせ編まないとならないなら自分のために編んだって良くはないですか…?

好きな色や手触りの糸を選んで、セーターでもいいしカーディガンでもいいしベストでもいいですから、ずっとお気に入りにできそうな衣類の編み図を探して、徹底的に編み込めばいいのです。

そして晴れて編みあがった暁には、それを着ておしゃれして
合コンパーティでもどこでも行きましょうよ…。
今のご時世、自分で編んだセーターなりベストなりを着てお出かけできるのってすごく自己肯定感上がりますよ…。
だって、誰にでもできることではないですもん…

昔だったら、「女心の未練」も報われなくても慕い続ける貞女の美談として語られたことでしょう。
ですが人の人生、意外と短い。
もし平均寿命が300歳くらいまであるとしたら報われない相手を思って難易度マックスのフィッシャーマンズセーターを着てもらえないと知っていても編む時間もあるかもですが、
残念ながらどうもそこまでの時間的猶予はないようなので、「自分のため」に貴重な時間と労力を使うほうが幸せへの道は近いのではと、いつも私は思うのでした。



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