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チル系|日々の雑記 #97

キッチンの窓辺に飾った椿、起きると花が落ちていました。崩れぬよう優しく掬い上げ、ごみ箱に放れば新しい一日の始まりです。

日々の暮らしはあれよあれよと過ぎていきます。朝7時、悲しいニュースを聞き流せるのは、強い人間になれたと誇れるのでしょうか。ひとつ、またひとつと歳を重ねていくことに、今ではすっかり慣れました。

集積所にごみを出してから駅に向かいます。道すがら、散り行く桜に心を添わせていたのは何日か前。今朝はもう、満開のつつじに目を奪われていました。我ながら節操ないですね。

晩酌しながらそんな事を思い出し、ひょいと落ちるは酔いのダークサイド。実はお酒が誘う暗黒面も好物でして、普段そむけていた感情に沈むのもいいもんです。時々深みにはまって藻掻くこともありますが、苦味もまた味わいってことで。

さあ、深度を増していきましょう。

思えばいつも、何かに追われている気がするんです。走っていないと、あとからあとからやるべき事柄が追いかけてきて、仕舞いには押し潰される様な感覚。
行き倒れたら花弁に覆い隠され、風が吹いたら跡形も残らない。なんて安っぽい言霊ですが、ちょいと幻想的で惹かれます。

散る散る
満ちる

そうそう。
家族の悩みに寄り添うでなく、効率的な解決策ばかり考える癖がついて、時々ひどく自分が薄情に思えてくるのです。
お互いが支え合って「人」という文字になるはずが、いつしか互いの心を貫き「✕」になってしまうもどかしさ。手の届く距離と傷つける距離が等しいという無情。ちなみにハリネズミのジレンマとか言いますが、あいつらお腹の方は柔らかですからね。騙されちゃいけません。

そんなこんなで、果たして何が正しいのでしょうか。
分かれば有難い気もしますが、分かったとしても、正しく居られない事に悩み、苦しむ姿が目に浮かびます。もしかしたら、世の中そんな人たちばかりかも知れません。

するってぇとほら、年老いた父や母、歳を重ねてきた連れ合いや友、お世話になってる旦那や姐さん方に、若いユーやキミ、みんなあんまし変わらないじゃありませんか。

だとしたら「散る」の中に「チル」を見出す感覚も、ご賛同頂けるやも知れません。そして共感の先には、幾分マシな世界が広がりそうに思えませんか。
まあ草木にしたら、芽吹き、咲き、散り、枯れども、ただそこに在るだけ。人間ばかりが何やかや余計な意味を持たせ、思い悩むんですけどね。

ありきたりの逡巡に心を砕き、いつまでも十代を引きずったまま大人になりました。コナン君にはなれずに見た目は年齢通りですが、今でもあの頃聴いたロックンロールは、心の奥で鳴り響いています。

酔えば世界の彩りは混じり合い、美しく見えてきます。そこに断絶はなく、全てが曖昧なまま溶けていくのです。

もう一杯、彼我の境が無くなるまで呑み、蝶となり花と戯れる夢を見ます。

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