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ブレイディみかこさんの「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」を読んで、多様性について考える

25年以上勤めたお堅い職場を早期退職して、現在、小学生男子を育てながら主婦をしているまめさとです。
子供の頃からの読書好きで、暇にあかせていろんな本を乱読中。

今回手に取ったのは、ブレイディみかこさんの「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」。
「多様性」を知るにはこの本を読んだらいいと、ある方が推薦されていたのがキッカケです。

著者はアイルランド人の夫と息子の3人でイギリスのブライトンに住んでいる九州出身の日本人女性。
「底辺託児所」から「地元の名門カトリック小学校」を経て「元底辺中学校」に通うことになった息子さんとの日常が描かれています。

読書中、日本で言われている多様性なんてちゃんちゃらおかしいわと思うぐらい、何度も強烈なパンチをくらいました。
人種、宗教、経済状況の異なる人たちが混ざり合って暮らすことの軋轢や助け合うことの難しさを示すエピソード満載です。

「多様性」というと、いろんな国籍の人がいるとかいろんな性自認の人がいる、など1元的に捉えてしまいがち。
しかし、現実はそんな単純なものではありませんでした。

たとえば、ヨーロッパでの人種差別問題というと、なんとなく、有色人種が貧困にあえいで、白人に迫害されて・・・みたいな想像をしてしまいがちです。
しかし、同じ白人の中でも、東欧出身者が差別的にみられることがあります。

事業に成功した有色人種の移民もいるし、イギリス生まれの白人でも食べるに事欠くような貧しい人もいます。
かと思えば、代々国を動かすようなエリートを輩出している一族に属するような人たちの存在。

宗教にしてもイスラム教、キリスト教といった単純な区分けで終わりません。
同じキリスト教内でもプロテスタントとカトリックでは考え方が大きく異なるし、イスラム教の中でもシーア派とスンニ派ではちがいます。
もちろんもっと細かい宗派も各宗教に存在しているかと思います。

文化的な背景でLGBTへの差別意識が刷り込まれている人。
家父長制の色が濃く、男尊女卑がしみ込んでいる家庭。

異なるポイントは多岐にわたります。
国籍やルーツの違い、それに加えて人種、宗教、経済力、LGBTに対する考え方・・・。
こうした違いが多元的に複雑に絡み合い、ぶつかり合う。
そのカオスな状況に卒倒しそうでした。

ちなみに著者の息子さんが通うのは、白人の英国人労働者階級出身の子供が多い学校。
中流家庭以上の子供が通う私立学校の様子などもちょくちょく出てきてくるのですが、この2つの学校が交わることは、ほとんどなさそうです。

さらに、この本では触れられていないような上流階級も存在しているはず。
こちらの世界とはお互いの存在を意識することがないほど交流がないのではないか…。
そんなことを考えて、なんとなくヒヤっとするような気持ちになりました。

ここに書かれているイギリス社会は複雑すぎて、何気ない一言が相手の地雷になりえます。
こんな社会でどう人と付き合えばいいの・・・?

ここまで違うと、相手のことは関知せず、そっとしてお互いの生き方を容認するしかうまくやれる方法はないような気が。
でも、もしも自分の容認限度を超える事態に直面したとき、どうすればいいのでしょうか。

自分の考えを主張することはひとつの対応策になるとは思います。
しかし、すべてそれで解決するとは思えないし・・・。
お互い譲り合いの精神を持つ、性善説中心の世界ならうまくいくかもしれないですが、そうでなければ、ギスギスした暮らしにくい世の中になるような気がしてなりません。

それにしても、日本はこんな多様性を受け入れる覚悟があるのだろうか・・・。
そんなことをしみじみと考えさせられた本でした。

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