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迷ったらおもしろい方へ

50歳を機にファンキーに生きることにした私。
そんな私が超絶ファンキーな人と出会った。

同じ会社とはいえ、水域が違うと出会わない人も多い。
飲み会から次の飲み会に誘ってもらい、その飲み会で彼と出会った。
初対面、「え?ほんとにうちの会社の人ですか?」って聞いたくらいのラフさ。「それで通勤してるんですか?」とも聞いた(笑)
そんな彼が主体となる飲み会。まずは居酒屋で飲んで、それからスナックでカラオケ。これがサイコーだった!数週間後、また違う飲み会に誘われ、私とその彼はサプライズで乱入し、その飲み会からまた次の飲み会、またその次へとどんどん広まっていく。おもしろい。
Lizzoがみたくて行きたいと思っていたフジロックにも彼は行っていた。夏はサーフィン、冬はスキーと一年中遊んでいる。なんとまあ行動的!
そして遊び倒した翌日、飲みすぎた翌日には有休を取る。「飲んだ翌日は這ってでもいく」なんてことばは彼の辞書にはないみたい。

昨日「今日飲みに行こう!」と先輩と飲みに行き、飲んでるときにファンキーな彼の話題になった。「二日酔いで休む、上司に好かれてるからって自由にしてる、とにかく変わってる、おかしい人なんだよ」と、半ばご立腹の様子だった。「知ってます~たまに飲みます」って話したら、「え?すっごい変な人なんでしょう?」と言っていた。
日本では、というと大げさかもしれないけど「変わっていること=おかしいこと」と取られがち。変わっている洋服、変わっている髪型・髪色とかね。そういう私も「金髪=怖い人」というイメージだったけど、自分が金髪にしたら金髪サイコーすぎる♪って思ってたよな~。(ちなみに上司に許可をもらったので金髪で出勤してた)

この間、新宿2丁目にいったあと愛するレンタルブラザーから、
「いつもと違う輝いてるLGBTQを心からサポートしてくれてありがとう」
とメッセージが届いた。私は、私の知らなかった世界で楽しい時間を過ごしていただけ。でもきっとレンタルブラザーは、彼の世界の中で私が楽しくいつもと変わらず、またはそれ以上に楽しんでいたことがうれしかったのかもしれない。その中で私は失言をし。ストレートをノーマルと言ってしまい、「なにがノーマルなの?ここではあなたがノーマルじゃないよ」と言われ、ハッとした。
普通でいること。とりわけ私は正しくいることをモットーに生きてきた。
正しくいる私を認めて欲しかったし、きょうだいの中で誰よりも正しくいる自分をほめてもらいたかった。
でももう正しいのやめようと思ったの。
インスタで「年を取って後悔してること」という質問に「行動しなかったこと」と答えている動画を何本かみた。これはもうお告げでしょう!
私がもっともっと年老いたときに同じように思いたくないから、私もやりたいことはやって行きたいところには行くような、自分に制限を求めない生き方をこれからしていく。飲みすぎたら次の日に有休を取ってもいい。理由なんてなんでもいいのだ。

怖いことは、本質を見ていないから怖い。
ひとりで海外旅行に行きたい、でも怖い、なぜ怖いのかって真剣に考えたとき、私は国のイメージをみていて人をみていないことに気がついた。どの国に行くにしてもそこには人がいるわけで、旅は人と出会うものということを全く忘れてしまっていた。

怖くて動けないより、少しでもやってみる。一歩が踏み出せないならそこに意識を向けるだけでもいい。そうすると案外、簡単な方法が見つかる気がしてる。




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