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正しさを求めてた

50歳を機にファンキーに生きることにした私。
好奇心旺盛でなんでもやってみたいのに急ブレーキをかけるところがある。癖みたいなものなのか?大いに盛り上がってはしゃいでる時に「じゃ!門限なんで」って帰る感じに似てる。いつでも正しい方を選択する感じ。
前回の記事で私が「正しさを求めてた」ってことが自分で分かったので深掘りしてみた。

何が一番正しいかをいつも考えてた気がする。
「何飲みますか?」と聞かれた時に飲みたいものより、何を頼むのが正しいのか考えてたと思う。だから、自由に好きなものを言える人が苦手だった。
なんで1杯目から日本酒頼むの?普通ビールじゃん」てイライラしてた。
我が家には母と外食したときに、母が頼むものより値段が高いものは頼んでいけないという暗黙のルールがあった気がする。私と一番下の妹はそう思っていた。でも、すぐ下の妹は普通に好きなものを頼んでて、は?!と思っていた。
正しさって自分の決めたルールだよね。

長女の私は厳しく育てられた。
お箸の持ち方はもちろん、食べ方、雑巾の絞り方、振る舞い、口座の作り方、振込みの仕方、マナー、洋服の選び方、なーんでも。何歳になっても私には課題があった。父が「嫁に行った時に恥をかかないように」って教えこんだ。私は期待に応えるのが楽しかった。父が大好きだから。
23歳の時、父が突然他界した。
もう誰も私に教えてくれない、守ってくれない。たぶん、私はこの時に父が教えてくれたことを守っていくのが私の人生だと決めたんだろう。父の教えをきょうだいたちに伝えたい、教えたい、私が父のようにならなくちゃと思ったんだろうな。(自覚はない)
そして私は厳しくなり、家族と距離ができた。

23歳の私は家族ともうまくいかないし、守ってくれてなんでも教えてくれた父が突然いなくなり、なにを指針にして生きていったらいいのか分からなくなったんだろう。
父の代わりになる人=恋人、という思いになったけど、恋愛もあまりうまくいかなかった。父を求めるあまりすごく年上にだけ興味を持ってたな。

正しさが自分の中で正義でも、その正しさは絶対じゃない。
週一回通っているプールのプログラムを受けているとき、2人組が全然トレーナーのいうことを聞かず、毎回ずっとおしゃべりしながらやっている。
「イライラするな~。早く歩いてよ~」と思っていた時にハッと気がついた。イライラの原因はそれぞれの正しさの違い。
私の正しさは、トレーナーのいうとおりにやること。
でも、この2人は毎週この日にプールにきておしゃべりをすることを目的としているのかもしれない。そう考えると彼女たちは正しいことをしていることになる。

自分こそが正しいと、自分のやっていることが正しいと、ずっと思ってきた。おごり高ぶった思いなのかもしれないけど、私はそうすることでしか生きてこられなかったような気もする。
今、そんな思いにたどりついてとっても穏やか。
今後は、正しいと思ったことを疑問に思い、それでも正しいと思ったのなら絶対に自分の味方でいようと決めた。

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