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東日本大震災から10年で思うこと

今日で東日本大震災から10年。
もう10年とも、まだ10年とも思う。

色々な想いはあれど、
私個人の10年から思うことを書かせていただく。

10年前の今日、私は昼過ぎから美容院へ行ってヘアセットをしてもらっていた。
大学の卒業祝賀パーティーへ行くためだ。
(歳がバレる。)

カタカタ…という音がし始め、次第に店内が揺れ始めた。
揺れはどんどん大きくなり、目の前の鏡がぐらんぐらんと動き出した。
ぐらぐらではない、ぐらんぐらんと。

「出ましょう」
という美容師さんの一言で外に出た。
電柱もぐらんぐらんと揺れ、スーパーから出てきたパートらしきおばさまが抱き合って叫んでいたのをよく覚えている。

揺れがある程度おさまってから、私たちは店内に戻った。
ヘアセットを仕上げてもらっている間に
(今思えばあの状況でセットを続行してくださるなんて、肝の据わった根っからの職人様だ。)
別の美容師さんが携帯のワンセグでニュースを見せてくれた。

そこで私は事の重大さを知る。
黒い波に押され、街が流れていた。
ワンセグの小さな画面からでもものすごい恐怖を感じた。

自分の携帯を見るといくつかのメールが届いていた。
一通は当時付き合い始めた彼氏から、
「駅前でコーヒー飲んで待ってるから。」
一通は少し前に別れた元彼から、
「地震大丈夫?怪我してない?」
この時私は交際相手の選択を間違っているのではと頭を抱えた。

まぁ、そんなことはどうでもいい。

直ぐに両親と祖父母に電話した。
その時はまだ電話が繋がったのだ。
ありがたいことに全員無事だった。

電車も止まっていたので、地震の心配よりも自分がコーヒーを飲んで待っていることを伝えてきた彼氏と家に帰った。
食器棚が半開きになり、お気に入りのお皿やマグカップが割れていた。
ガスも止まっていた。
テレビには形容し難い恐怖に満ち溢れた映像が流れていた。
私はどうすることもできず、可愛いワンピースと可愛い髪型のまま部屋を片付け始めた。
ガラスの破片を踏んで、ストッキングが伝線した。

そこへ、母から電話がかかってきた。
母も外出中だったため、自宅に戻ってテレビを付けてから事の重大さを知ったのだ。

「大丈夫?」

この言葉に張りつめていた何かが切れ、涙が溢れ出した。
怖かった、心配だった、みんな無事でよかった…
色んな感情が溢れ出して止まらなかった。

でも、無事じゃない人もたくさんいた。
震源地近くの方々はもちろん、東京いる友人たちも。

もちろん卒業祝賀パーティーは中止になった。
翌々日に予定されていた卒業式も中止になった。
致し方ないことは十分に理解していたし、そんな場合ではない方々がたくさんいることも把握し始めていたが、とても悲しかった。

あの日から私の生き方に対する意識は変わっていった。

誰とどう生きるか、
何を考えながら生きるか、
何を手放し、何を得て生きるか。

常に考え、選択するようになった。
できるだけ後悔しないために。

私が受けた被害なんて、被害とすら言えないような本当に本当にちっぽけなものだし、震災を語れるような立場ではない。
でも、この時代に生きる者の1人としてこの経験を忘れてはいけないし、今後に活かさねばならない。そして、これからも考え、選択し続けなければならない。

震災から10年。
今、日本は誰も予想しなかった感染症と対峙している。

備えに備えて備えまくり、後悔なく生きたい。
できれば楽しく生きたい。
でも、予想もしないことも起きるものだ。
それならば、今を全力で生きるしかないのではないか。

3月11日。

深い悲しみに包まれた日であることは変わらない。
でも、これからは幸せなことが起きる日にもなりうるだろう。
そう信じて、前を向いて生きていきたい。

とか何とか大きいことを言ってしまったが。

こんな私にもひとつ言えることは、

大変な時に人の心配ではなく自分の状況を伝えてくるやつは、やっぱりどこか何かズレてるぜ。

コーヒーの彼とは何年か付き合って別れました。
(それでも何年か付き合ってはいた。)
その話はまたいつかどこかで。

 #それぞれの10年  

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