自分が人生の主役でなくなった日

「どうしても、子供がほしい」

そんな強い意志を持った人を夫に迎えたからには”子供を作らなくてはいけない”という多少のプレッシャーがあったのは事実。ただ、それは決して後ろ向きな意味ではなく、全く考えていなかった分野の仕事を任されたような感覚だ。

しかし、気負う必要はなかった。結婚式後3ヶ月で、私はあっという間に第1子を授かる。子作りって始めてから少なくとも1年くらいはかかるんじゃないの…?という根拠のない思い込みを裏切り、マタニティライフは突然に訪れた。当然、なんの心の準備もなく、先に妊娠した友人に勧められ慌てて葉酸を飲み始めたほど。

あれだけ子供を切望していた夫は、その報告を聞いても全く喜ばなかった。ドラマでみたワンシーンのように、わーっ!と喜んだりするのを期待していたのに、むしろ「無事に生まれるまでは喜ばない」と頑なな態度。夫にとっては、もし無事に生まれてこなかったら…という心配にさいなまれる十月十日が、この瞬間にスタートしたのだった。

そんな夫とは裏腹に、職場へは自転車通勤。残業あたりまえ。徹夜も何度か。フリーランスのため、自分の仕事を代わってくれる人などいない。たいていの仕事は短い納期で飛び込んでくるし、断ると次につながらなかったりする。そして何より仕事が好きだったこともあり、妊娠とともに仕事をセーブするという考えには至らず、臨月近くなるまでは、ほぼ妊娠前と変わらない生活を送った。

悪阻(つわり)が軽い体質だったため、妊娠によって体調が悪くなるということがほぼなかったというのが幸いだった。強いて言えば、突然カップ焼きそばが食べたくなる”食べ悪阻”くらい。妊婦検診で体重の増加についての注意は受けるものの、妊娠中毒症や、切迫早産など様々なリスクとは無縁。仕事中にとにかく眠くなったり、作業中の激しい胎動で集中力が切れたりと、思い通りに作業が進まないジレンマは多少なりともあったものの、その程度で済んだことは、今考えると奇跡に近い。

また、結婚前~出産まで変わらないペースで仕事を続けられたのは、夫の家事スキルが高いことが大きな要因だったともいえる。病気がちな母を持つ夫は、小学生のころから食事を作ったり、掃除をしたりと家庭を切り盛りしていたらしい。独立してからの一人暮らし、そして1回目の結婚をしてからもそれなりの家事を分担してきたようだ。

そのおかげで結婚後もステレオタイプな”妻の役割”を押し付けられることはなく、できるほうが必要な時に家事をやる、というのが我が家のスタンスになっていた。むしろ、収入がほぼ同等なら、家事も半分…というとても分かりやすい役割分担に助けられた。

妊娠後期は体の自由が利かない私に変わり、夫が多くの家事を引き受けてくれていた。ただでさえ過保護な夫は、変わらず働く私に対してさらに過保護になり、私の送り迎えをはじめたり、「加工食品を減らしてほしい」など私の食べるものに口を出したり、自分は煙草をやめたりと、着々と父になる準備を進めていた。

私が産休に入ったのは、出産予定日の3週間前になったころ。育児を始めるため、家の環境を整えたり、夫婦でおいしいものを食べに行ったりと、最後の”2人の時間”を満喫したのも束の間。予定日より2週間余り早い陣痛が始まり、息子「豆坊」が誕生する。結局産休に入ってから出産まで、仕事をしていない期間はわずか10日余りだった。

出産はとても痛かった。大変だった。でも、助産師さん曰く安産だったとのこと。

この日を境に、私は私の人生の主役ではなくなった。

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