あんぱんママ

家庭と仕事と自分の事と…。全部諦められなくて、全部中途半端な30代。木の温もりのあるダ…

あんぱんママ

家庭と仕事と自分の事と…。全部諦められなくて、全部中途半端な30代。木の温もりのあるダイニングセットでワークライフバランスについて取材される40歳になるまでの軌跡。(あと3年)

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  • 働く母サマリ

    働く母はしんどい。「充実してます!」なんて言えるのはいつの日か…きっと子供が巣立っていってから、そう思えるようになるのかもしれません。

最近の記事

認可保育園は年度途中では入れない

仕事を再開するタイミングは、産休に入る前から、子供が生後5か月くらいからと決めていた。理由はこれまたなんとなくだが、自分にコンスタントに仕事を依頼してくれるお客さんが、よそに移らないで待っていてくれる限度が半年くらいまでだろうと思ったから。 5月生まれの愛息「豆坊」が、生後5カ月になる10月には保育園に預けなきゃなぁ…と、ぼんやり思っていたものの、初めての育児、夜泣き、産後クライシスなどなどで、あっという間に過ぎる毎日。ようやく重い腰を上げたのは、7月も後半になったころで、

    • 自分が人生の主役でなくなった日

      「どうしても、子供がほしい」 そんな強い意志を持った人を夫に迎えたからには”子供を作らなくてはいけない”という多少のプレッシャーがあったのは事実。ただ、それは決して後ろ向きな意味ではなく、全く考えていなかった分野の仕事を任されたような感覚だ。 しかし、気負う必要はなかった。結婚式後3ヶ月で、私はあっという間に第1子を授かる。子作りって始めてから少なくとも1年くらいはかかるんじゃないの…?という根拠のない思い込みを裏切り、マタニティライフは突然に訪れた。当然、なんの心の準備

      • 彼の譲れない条件は「子供を作ること」

        私が合コン100本ノックを行っているころ、既に未来の夫とは出会っていた。 好きなアーティストのライブ終了後に、Twitterで知り合ったファンが集って100名規模の盛大な宴会をすることになった。私の友人がその宴会の幹事を務めることになり、芋づる式に私も雑用などを手伝うことに。そして同じく、幹事の一人として名を連ねていたのが夫だ。 誰とでも分け隔てなく仲が良く、初対面の人とも構えずに話すことができる。声が大きく、いじられ役であり、コミュニティのマスコットのような存在だった。

        • 私の譲れない条件は「仕事を続けること」

          22歳から6年間、私はITベンチャーでWEBディレクターをしていて、プライベートと仕事の境界線がない生活を送っていた。辛いことも多かったけれど、頑張れば頑張るだけ増えるお給料、だんだん大きくなっていくプロジェクトのスケール…なによりも自分の存在が肯定されている気がして嬉しかった。昼夜問わず掛かってくる電話や、少々の徹夜はたしなみくらいに思っていたし、これからもずっとそんな生活を送るものだと漠然と思っていた。 27歳の秋ごろ、8年間も同棲した初めての彼氏と別が訪れる。長く時間

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