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捜索対象

ショパンの「葬送行進曲」が好きだ。

重々しい音色が響くなかで、肩に担がれた棺がゆっくりと進むさまが目に浮かぶ。途中甘く美しいメロディーは、生前の故人との思い出に浸っているのだろうか。

音楽に明るくはない自分でも、そんなシーンが頭に描ける曲だ。

耳に流れる音楽に癒されながら、ふと駅の掲示板に目をやった。今では伝言板というよりも日記のように思い思いの願いが書かれるようになった黒板。その横には写真が大きく映った紙がいくつか貼られている。

『この顔にピンときたら…』
『猫を探しています』
『無断張り紙は撤去いたします』

改札へとたち急ぐ人間たちは、長い間晒されて淵が古ぼけてきたそれらにはほとんど目もくれずに通り過ぎていく。

「あの猫、この間みつけてやったのにまだ貼られてる」
和馬はため息をつきながら真新しい一枚に目をとめた。

『この人を探しています』

人びとの波に乗りながら素早く目を走らせた。

『身長165cm、中肉中背、左目の下にほくろ…』

それらを頭に叩き込んで、和馬は改札を抜けていった。



いつ頃からだろうか、行方不明とか迷子の動物たちを偶然見つけられることが多くなった。彼らはだいたい、街中で普通に歩いていたり、ぽつんと片隅にたたずんでいたりする。忙しい都会人には他人は風景の一部なのだろう、だれも目もくれない。

もともと記憶力がよくて暗記科目の成績はよかった。それでなんとか苦手科目を補い合格を勝ち取って、今は都会で一人暮らしをしながら大学へ通っている。


憧れの都会の生活は、和馬の肌には合わなかった。あれだけ煩わしいと思っていた田舎の人々が今は恋しい。それほど都会の人びとの無関心さに辟易していた。


大学への電車に揺られながら頭に記録してある行方不明の人や動物たちを思い出す。

無関心な人が多い都会でも「大切なもの」は変わらないのだ。行方をくらませた彼らを想って探す人たちがいる。残された家族はどうしているんだろうか、自分を責めたり悲しみに暮れていることだろう。そんな背景に思いをはせると胸が締め付けられる。

「さて、いくか…」

降車する人波にまぎれて大学へ進む。
頭は動かさずに目を動かしてさりげなく道端、通り過ぎる人々の顔を瞬時にみていく。足取り重く下を向いているひと、楽しそうにスマホを眺めているひと、凛と前を向いて風を切っていくひと、いろいろな人がいる。見ていて飽きない、というのも和馬が人間観察をする理由の一つだ。

駅前の雑踏をするりと抜けて大学方面へ向かうにつれて、だんだん人が少なくなっていく。同じ方向に向かうのはやはり同じ大学の学生だろう。

いつものように、日常を終えて、翌日また同じような毎日を送る。行方不明の人びとを探し出すことは、そんな毎日の、ちょっとしたスパイスとも思っていた。

「あれは、確か」

小さな川にかかった石橋の欄干に両腕を乗せて、何を見ているのか川面をじっと見つめている女の人がいる。年の頃は和馬より少し上、20代半ばくらいだろうか、顔に見覚えがある。そこここの電信柱に貼られていた張り紙の女性だ。

「あの、行方不明の人ですよね」

びっくりしたように女性は振り向いた。

「あなた、私を知ってるの?」
「えぇ、行方不明の張り紙を見ました。いろんなところに貼ってあって…ご家族が心配してると思いますよ」
「………ありがとう。でも、戻れないわ」

女性は困ったように笑った。
見つけた人たちの中にこういう人は沢山いた。何か理由があるのだろう、和馬は深く聞き出さないことにしている。

「大丈夫ですよ。ちょっと散歩しませんか」

和馬は戸惑う彼女の手を取り歩き出した。
別にどこに連れていくつもりもない。ただ川沿いを歩いて公園を抜けていく間に、彼女といろいろなことを話した。始めこそ訝しがって重い足取りでいた彼女はぽつぽつと、思い出を語ってくれた。両親の仲が悪かったこと、勤め先がブラックなこと、付き合っていた彼氏に裏切られたこと…

一通りしゃべり終えてすっきりしたのか、突然彼女は足を止めた。

「ありがとう、もう大丈夫。私行くわ。じゃあね」
「うん、さようなら」

力強く歩いていく後ろ姿に、和馬は笑顔で手を振った。

「和馬!」

突然、自分を呼ぶ声に今度は和馬が驚いて振り返った。

「和馬よね?」

「……母さん」

振り返った先に居たのは、皺が増えずいぶんと老けて見えるが、まぎれもなく母だった。いつの間に生えたのだろう、髪には白髪が多くグレーに見える。

「和馬、探したよ」
「…見つけてくれたんだ」

照れたように和馬はふっと微笑んだ。
母親が近くに来るのを待ってから、和馬はからかうように言った。

「母さん、ちょっと白髪増えたんじゃない」
「当たり前でしょ、何年経ったと思ってるのよ」

笑顔の母の目じりには涙が浮かんだ。




「15年よ……あなたが居なくなって」

和馬はその涙を見なかったことにして、母の手を握って歩き出した。

「ありがとう。もう大丈夫だよ。行こう」


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