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JIGGER'S SON『告白』の歌詞解釈

JIGGER’S SON『告白』(1995年11月1日発売シングル)
アルバム「あなたの味方」収録(1995年12月21日発売)

『告白』JIGGER'S SON
作詞・作曲 坂本さとる
編曲 JIGGER’S SON

小さな頃の
君が笑っている写真をいつか見せてくれた時
君が大切にしてきた
思い出ごと抱きしめようと思った

やりきれない思い
胸に閉じたまま生きていたよ
君の代わりを探しても
余計に恋しくなるだけ

君からの電話を待って
眠れない夜に
離れて暮らす意味を朝まで思った
もう待つのはやめよう

今 僕は腕に花束を抱えて
君を迎えに行く
二人で暮らさないか
君を連れていきたい

僕を見ていて欲しい
最期は君だけがそばにいて欲しい
あなたといる時の自分が
とても好きだと言ってくれた
君がそばに

ただ抱き上げて欲しいとせがんで
ただそれだけで泣く子どものように
君といられたらと

「好きだ」と何度でも言えた頃のように
別れのホームで君を見送った時のように
いつまでもいられるように

君を連れていきたい

JIGGER'S SON『告白』

27年目に発覚。歌詞解釈の相違

JIGGER'S SON『告白』は、1995年発売の8枚目のシングルです。
TBS系『噂の!東京マガジン』のエンディングテーマだったこともあり、耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか。

最近、この『告白』について、リスナーの中で、歌詞解釈に相違があったということが発覚する出来事がありました。
坂本サトルさんのオフィシャルファンコミュニティ『サトル部』で、
毎週火曜に放送される配信ラジオ『シューイチラジオ』でのことです。

’22年5月10日配信『シューイチラジオ』で、サトルさんが、JIGGER'S SONの『告白』を「遠距離恋愛の歌」として選曲し、生歌を披露したところ、サトルさんの長いファンであるリスナーより、
「『告白』を遠距離恋愛の歌として聞いたことがなかった」とのチャットコメントが入りました。
サトルさんにとって、それが結構な驚きだったようです。

そして、翌週5月24日配信『シューイチラジオ』では、別のファンの方から届いた、
「私も遠距離恋愛の歌だと思っていなかった。この曲は別れた恋人への未練たらたらな思いを歌った歌だと思っていた」というメールが紹介されました。
この方も、昔からのサトルさんのファンとのことです。

上記のやりとりから、JIGGER'S SONが「遠距離恋愛の歌」としてリリースしたこの曲が、何人かには、意図通りに伝わっていなかったのかも?ということが発覚しました。

サトルさんは、「もちろん歌の受け取り方は、人それぞれで当たり前。だからこそおもしろい。こちらの意図通りに受け取ってもらうことが正解じゃない」と仰っていました。

しかし、『告白』の歌詞については、
・意図して含みを持たせたわけではない、歌詞の前提となるシチュエーション設定のところで齟齬が生じていた
・JIGGER’S SONの長年のファンからの指摘だった
・また同時代のリスナーからの指摘であり、時代の変化による価値観のずれ等が理由ではなかった

などの点から、サトルさんにとっては衝撃的で、「反省だなぁ」と仰るほどの出来事だったようです。

***************

私も、歌の受け止め方はリスナーの自由であり、それこそがポップソングのおもしろさだと思っています。
歌詞解釈大好き人間の自分としては、今回の件がとてもおもしろく興味深いエピソードだったので、自分なりに考察してみたいなと思いました。

『告白』のストーリーとリスナーの解釈

サトルさんのお話によると、『告白』で歌われる歌詞世界は、ざっくり以下となります。(箇条書きですみません)

サトルさんが描いた『告白』の歌詞

1.この歌は、遠距離恋愛中のカップルの歌。
2.歌中のカップルは、もちろん両想い。
3.離れて暮らすのをやめて、恋人へプロポーズを決意した歌である。
4.「抱き上げて欲しいと泣く子どものように」「好きだと何度でも言えた頃のように」そんな純粋でまっすぐな気持ちでいられるように、僕の思いを相手に伝える、という意味でタイトルを『告白』とした。

リリース当時、コロムビアレコードが「僕はこの曲でプロポーズする」というキャッチコピーで、スポットを大量投下してくれたそうです。

リスナーが受け止めた『告白』の歌詞

『シューイチラジオ』内で明かされたリスナーの反応は、おおむね以下のようにわかれました。(こんな風に聞いていたという感想コメントからの抜粋であり、この曲の感想のすべてではありません)

A.遠距離恋愛の歌で、プロポーズの歌であると思った。
B.遠距離恋愛の歌であるとは思わなかったが、愛する人にまっすぐ思いを伝える歌、プロポーズの歌だと思っていた。
C.遠距恋愛の歌であると思わなかった。なおかつ歌の二人は別れており、別れた相手への断ち切れない思いを歌っていると思っていた。

A.「遠距離恋愛&プロポーズの歌」という解釈

Aに関しては、サトルさんの描いたストーリー通りに、リスナーに受け止められたということになります。
サトルさんのお話によると、サトルさんのお知り合いのご夫婦で
「当時、遠距離恋愛をしていたが、この曲を聞いて自分たちのことを歌っているようだと、いてもたってもいられなくなり、かけおちして結婚した」という方がいらっしゃるのだそうです。
サトルさんにとって、とても大切なエピソードであるとお話されていました。

B「遠距離恋愛かどうか」についての解釈

この歌の「遠距離」ポイントと思うところを抜粋していきます。


やりきれない思い 胸に閉じたまま生きていたよ
君の代わりを探しても 余計に恋しくなるだけ

サトルさんの解説によると、
「遠距離恋愛中に寂しくなって、浮気心で手近な相手を探してみたが、余計に恋しくなるだけ。これは遠距離恋愛経験者ならかなりピンとくるんじゃないでしょうか」とのこと。

しかし、あくまでも私の個人的な感想ですが、このフレーズに対し、サトルさんが仰るような共感を大多数のリスナーから得るのは、なかなか難しいんじゃないかなぁと思います。
まず、遠距離恋愛の経験者じゃないとわからない心情、ということ。
そして、この歌の主人公は、歌詞の内容や歌い方も含め、純粋でひたむき、一途な愛、真剣な思いをパートナーに訴えています。
そんな「ひたむきに愛を訴える一途な」人間像が、「遠距離恋愛中に寂しくて浮気心で他の相手を探した」というちょっと軽薄な人間像と、合致しないのではないか、と思うのです。
「♪君の代わりを探しても余計に恋しくなるだけ」というフレーズを、
「距離が離れていたから湧き上がってしまった浮気心」ではなく、
「『君の代わりはいないよ』という意味の愛情表現のいいかえ」のように受け止めるリスナーも、少なくないんじゃないかな…と思いました。
このフレーズについては、後述する「C歌中の二人の関係性」でも取り上げます。


君からの電話を待って 眠れない夜に
離れて暮らす意味を朝まで思った
もう待つのはやめよう

サトルさん曰く、「離れて暮らすと歌っているので、遠距離恋愛のことでしょ?」とのこと。
一方、Bのように思って聞いていたリスナーは、この「離れて暮らす」の意味を、「(近距離・遠距離かかわらず)単なる別居」という捉え方をしたことが想像できます。
なぜなら、「二人で暮らさないか」というフレーズが続いているため、二人で暮らす=「同居」の対として、離れてくらす=「別居」という風に、捉えることができるからです。
二人で暮らす=結婚(プロポーズ)ということですよね。

そして「♪君からの電話を待って 眠れない夜に」というフレーズは、遠距離・近距離関係なく、多くの人が体験したことがある心情ではないかと思います。

①のフレーズは、「遠距離恋愛をした人じゃないとわからない心情」と記載しましたが、
この②のフレーズはその逆で、「遠距離でなくても、恋愛中に感じたことのある共感性の高い歌詞」なのではないかと思います。

遠距離恋愛でなくてもわかりみの深い歌詞であるために、わざわざ遠距離恋愛と思い浮かべなくても共感しながら聞けた、ということなのではないでしょうか


別れのホームで君を見送った時のように

遠距離恋愛中として聞くならば、別れのホーム=新幹線のホーム=遠距離、と連想できそうなフレーズです。
その一方で、電車移動が当たり前の生活圏の方だと、距離感を感じることなく聞き取れてしまいそうなフレーズです。

***************
上記、①~③ともに、「遠距離恋愛の歌」と理解して聞くと、「なるほど~」と、深みのある情景が立ち上がってきます。
一方で、『告白』に描かれている情景や主人公の思いは、実は「遠距離恋愛とわからなくても十分成立する」し、「遠距離・近距離問わず共感性の高い歌詞」だった、とも言えると思います。

C「歌中の二人の関係性について」の解釈

Cに関しては、「両想いでプロポーズの歌」という歌の意図が、まったく真逆に受け取られてしまったわけで、遠距離以上に深刻です。
歌中の二人が相思相愛なら、歌われる思いは、切なく一途でまっすぐな愛として聞こえてきますが、二人が別れているならば、一方通行の思いを述べた「未練たらたらソング」として聞こえてしまうわけです。
恐ろしい紙一重です。

私は、この解釈も、Bで取り上げた以下のフレーズがキーとなってくると思います。

君の代わりを探しても 余計に恋しくなるだけ

以下、個人的な見解です。
Bのところでも記載したように、この歌の主人公の、「ひたむきで純粋な思いを訴える」人間像と、「ちょっと寂しくて浮気心を出して他の人を探した」という人間像が、うまく合致しないと思うリスナーもいるんじゃないかと思います。
どういうことかというと、このひたむきで情熱的な愛を訴える歌の主人公に、無意識に、清廉潔白さまでもを期待して聞いているんじゃないか、ということです。
この歌の主人公の人間性を信頼している、とも言えます。
その信頼が裏目に出て、まさか「恋愛継続中に他の人を探した」のだとは思わずに、「君の代わりを探す」ということは、「当然別れたあとの話なのだろう」「別れたから、代わりの人を探したんだろう」と、ナチュラルに解釈してしまったのではないかと想像します。

別れた後のシチュエーションと認識して歌を聞くと、あら不思議。
どんなに真剣でひたむきな愛の言葉も、すべて未練たらたらに聞こえてきます。

また、この『告白』のメロディや、サトルさんのボーカル、バンドの演奏は、すべて切なげに表現されている印象を受けます。
切なさの中に、真剣で一途な思いを表現したのだと思いますが、
一枚カードをくるりとひっくり返すと、断ち切れない思いや未練といった、印象ががらりと変わる可能性を孕んでいたとも言えます。
おもしろいですね!

作品の多面性は最大限の魅力であること

私は、一枚カードをひっくり返すとまったく逆の印象になる鑑賞体験や、視点を変えることでまったく別の情景が立ち上がってくるような、豊かな可能性を秘めた作品が大好きです。

例えば、映画『ラ・ラ・ランド』。
エンディング・ラスト5分のあのシーンが感動的な作品ですが、あれがもしも、二人共通の思いじゃなくて、男性側の一方的なifストーリーの走馬灯で、女性の方はさっぱり男性のことを忘れていたとしたら…と考えると、映画の印象がガラリと変わります。

また、大瀧詠一さんの名曲『君は天然色』は、一見別れた恋人を思う歌詞に聞こえるのですが、「♪想い出はモノクローム」というフレーズは、作詞の松本隆さんの妹さんが若くして亡くなり、そのどん底の精神状態で見えた街の色のことだったというインタビューを読んで、とても驚き、歌の聞こえ方がまったく変わったことがあります。
神戸新聞NEXT|総合|作詞家・松本隆、名曲「君は天然色」秘話語る 妹の死に直面「目の前の光景白黒に」 (kobe-np.co.jp)


今回、サトルさんが意図しなかったとはいえ、『告白』に多面性が垣間見えて、この曲の魅力がぐっと増したように思えました。
リスナーが多様に、自分の歌として解釈できる歌というのは、とても素晴らしい作品であると思います。

余談ですが、この曲は、当初、カルメン・マキさんの「時には母のない子のように」のオマージュとして、「抱き上げてほしいと泣く子のように」というタイトルにしたかったそうです。
このタイトルだと、ますます曲の意図が伝わらなかったのでは?と思うのですが…。

読んでいただいてありがとうございました。

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