「叱る」ことの難しさ
毎日些細なことでガミガミ叱るのが母親、
日頃あまり口出しはしないが、いざという時に雷を落とすのが父親。
一般的な「子どもの叱り方」って、こういうものだと思われているような気がする。
うちの場合、どちらかといえば夫(父親)が口うるさい。
子どもたちの生活態度や勉強、ドアの開け閉めに至るまで、細かく注意する。
(おかげで?思春期の父娘の関係は姉妹とも最悪だ)
私は注意はするものの、それほどうるさくない、らしい。
ただ、本当にだめだと思ったことは、時間をかけて、理性的に、でも徹底的に叱る。
娘たちは「叱られる時のママほど怖いものはない」と口を揃えて言う。
それは、夫婦の立ち位置は別にしておく方が子どもたちにとっても良いはず、という夫婦の共通認識と、夫の叱り方をどこか批判的に見てしまう私の気持ち、そして長女が幼かった頃にしてしまった「間違った叱り方」へのトラウマが、そうさせているのだと思う。
長女は幼稚園入園と同時にピアノを習い始めた。
何をしても続かなかった私が唯一10年間頑張ったピアノ、子どもが生まれたら絶対習わせようと思っていたから、思い入れもひとしお。
家庭での練習もつきっきりで見ていた。
もともと音楽が好きだった長女、最初はやる気満々で頑張っていたけど、数ヶ月もすると、だんだん練習もさぼりがちに。
タイミングの悪いことに、その時期に行われた発表会。
なんとか娘の初舞台を成功させてあげたい、という親心?も手伝ってか、私の家庭教師もどんどん厳しいものになっていった、ようだ。
(本人にはあまり自覚なし)
もともと、自分がやっていたことを教える時はかなりの忍耐が必要なはず。
気をつけていたつもりなのに、なかなか思うように上手になってくれない娘の姿についイライラが募ってしまい…
とうとうある日、大声で「言ってはならない一言」を娘にぶつけてしまった。
「こんな簡単なこと、どうしてできないの!?」
そして…
叩くつもりなど、全然なかった。
でも、私の手が動いた瞬間、娘はおびえた顔で自分の頭を抱えた。
叩くなんて、全然思ってなかったのに…
この子は私に叩かれる、と思ったんだ。娘の姿にショックを受けた。
その日から、私は娘に頼まれた時以外、練習を見ることをやめた。
感情的に叱ることは、間違っていると思う。
それは「叱る」ではなく、「怒る」になってしまうから。
叱られた方も叱った方も、何も得るものはない。
あの日の娘の姿がそう教えてくれた。
だから、「叱る」時はなるべく平常心で、落ち着いた口調で、
相手に理解し、納得してもらえるように心がけるようになった。
(もちろん、そうやって叱っても、娘が受け付けない場合も多々あるけど)
最近は、夫も叱っている私が、たまにいる。
「そんなに感情的に怒ったら、伝わることも伝わらなくなるよ?」
納得してもらえることもあれば、してもらえないこともある。
私の叱り方も、まだまだだなあ、と苦笑。
でも、この叱り方は、私が幼かった長女に教えてもらった大切な教訓だから、いつの日か娘たちが母親になった時に受け継いでほしいな、とも願っている。
もちろん、これが100%正解なのかどうかは、まだわからない。
100点がもらえるかどうかは、私の人生が終わる時に娘たちに聞いて初めてわかること、かもしれない。
でも、「いつも優しいママが、本気で叱る時は本当に怖い」と言う娘たちの言葉は、私の小さな勲章だ。
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