言葉は生きている
和菓子屋で10年の修行を経て現在お店を開いて6年になります。
何気なく発したひと言で人の人生に影響与えてるかも?という話です。
説教は響かない
若い頃はありがたいことによく説教されまして…今思うと人に対してのエネルギーが強くてすごいな…と関心してしまうのですが。
当時は周りからまた何かやらかしたの?とかまた呼ばれたの?とか心当たりないんですけど普通に生きてるだけなんで…。
怒鳴られるとか怒られるとかではなく、諭されるような言い方なんですよ。
若い時はそうなんだぁくらいにしか思ってなくて普通に生きてるだけなんだけどなあとキョトンとしてました。
全く響いてない。
でも根気よく諭されるわけですよ。たまに諦められることもありますけど。
当時は響いてなくても後々に響くようになります。
その方たちと自分が同じくらいの年齢になって今若い人みても、諭すだなんて思わない。ちょっとこの子…と思ってもその子にそんなにエネルギーを向けられない。
そう思うと赤の他人の私にエネルギーを向けることがどれだけ大変なことかわかるんですけど、ただ言いたいだけの人とか怒りたいだけの人ではないことくらいは若かった私でも区別はできましたので。
何を私に伝えようとしてるんだろう?
そんな風に思っていました。
言葉の重み
私を動かすことになった言葉って結構何気なく言われたことだったり、皮肉を言われてるのにそう捉えなかったりとポンッて発した言葉の方が多い。
私が和菓子職人になろうとお店に面接に行ったら女の子はちょっと…的な感じで向こうは断ろうとしてたのに、私は何とかイエスと言わせようと必死に説得したんですよ。
↓その時のお話です
そのお店の女将さんが面接してくれたんですけど、後から話聞くと何とか諦めさせようとしてたらしく、なぜわざわざしんどい目をしようとするのか…どうしたら諦めてくれるかなと思ってたところに私の発したひと言で採用を決めたらしいのです。
その言葉はもう忘れてしまったみたいで、私も必死にあれこれ言って説得してたのでどれかわからない。
お互いその肝心の言葉は覚えてないということなんですけど、あなたの発したそのひと言で決めたと話してくれました。
最近その女将さんとゆっくり話す機会があって、初めてお互いの話をしたんですけど和菓子屋に来る前はどうしてたの?と聞かれ今までの経緯を話すと
あなたがたとえば京大を卒業してるとかいうなら話は分かるんだけど、今まで何もなくフラフラしてたのに、ある日突然やろうって決めて10年やってお店やり続けてるってなんで?あなた何も持ってないじゃない?どうしてそんなことできるの?
今まで自分探ししてる人見てきたけど未だに見つけられずにいる人なんていっぱいいるのに!!決めただけ?えっ?なんで!?
と思わぬところに食いつかれまして…そこ?
食いつくとこそこですか?と聞くとすっごく気になる、なんでそんなことできるのか。
考えたこともなかったのでこれを聞いてもしかしたら私の経験が誰かの何かきっかけとかになるかもしれない…女将さんは私を知ってるから食いついただけかもしれないけど今まで友達にすら話したこともないけど出してみようかな…とnoteのネタにしています。
こんなふうに何気なく話してたところで思わぬ展開に発展することもある。
自分の発した言葉が何かのスイッチになってるのかもしれないなと思うようになって。
言葉って重いな…と。
いい言葉も悪い言葉も…
そんなこと考えてたらしゃべれないじゃん!と思われるかもしれませんがこれ、言う側の問題というより受け取る側の問題なんです。
私も女将さんも意図して発言してたわけではないので、いちいちそんなこと考えてしゃべってるわけではない。
ただ相手に「どう受け止められるか」を考慮する必要はあるかと思ってて。
受け取る側次第なのでこっちは投げたらおしまいなんですけど、どう投げるかくらいは考えることはできる。
そんなふうに考えられるようになったとき、もう今では説教されるようなこともなくなったのであの時諦めずに伝えようとしてくれた方々に出会えたのはほんとに運がよかったなと思います。
言葉は生きている
いい言葉も悪い言葉も私の中で。
それがきっかけになったり、いつまでも気にしてたり、なんかスッキリしたり、笑ったり。
できるだけ自分の中にも相手の中にもいい言葉で生きられたらいいなあと思います。
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