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記念艦「三笠」を観てきた話

お久しぶりです、埜々宮です。前回の更新からかなり時間が空いてしまいました。何せ、現地調査という名の遠征が全くできてなかったのです。とにかく世間と自分の身の回りが落ち着いたら真っ先に網走に行ってやる。。。

㊟毎度のことですが当記事はゴールデンカムイ・本誌最新話までのネタを含みますので、ネタバレを踏みたくない方はそっとお戻りください。


世界三大記念艦三笠

公益財団法人 三笠保存会 神奈川県横須賀市稲岡町82-19
アクセス
・京急横須賀中央駅より三笠循環バス「三笠公園」バス停下車
・JR横須賀駅より「大滝町」バス停下車徒歩7分
観覧料金
一般:600円  高校生:300円  小・中学生:無料
※現在通常通り開艦しています、開艦時間が時期によって変わりますので公式サイトでご確認ください。

まあなんで突然戦艦なんて見に行ったのかって、ツイッター上の有識人が「277話のオフロが記念艦三笠の!!!」「鯉登少尉のハンモック!!!」などとツイートされていたので、え、これは見に行かないとと思ったわけです。オタク、すぐ行動に移す。近くなのでね。ゴールデンカムイって日露戦争関わってるから、三笠の資料も使われてたらすごいなーでも登場するの基本的に陸軍だし海軍の資料使う部分てもすパパが出てくる場面くらいだよなー…と思って観に行こうと思って行ってませんでした。(許可取ってないのでツイートのリンク載せません、文面も変えてます。いつもありがとうございますツイッター上の有識人達)。

記念艦「三笠」について(公式情報より抜粋)
日本海海戦(明治38年/1905年)において東郷平八郎司令長官率いる連合艦隊が、ロシアのバルチック艦隊を撃滅し、ポーツマス条約が締結され両国の講和が成立した。当時最新鋭の戦艦であった「三笠」は連合艦隊の旗艦として戦い、日本の歴史的な大勝利に貢献した。現在の場所に固定し保存されたのは大正15年(1926年)のことである。太平洋戦争後には荒れ果ててしまったが、昭和36年(1961年)に国の予算とアメリカ海軍の支援により復元された。イギリスの「ヴィクトリー号」、アメリカの「コンスティテューション号」と共に、世界三大記念艦として広く知られている。


いざ艦内へ

入場してすぐに、主砲に「本艦戦歴」が貼られています。とはいえ日露戦争での戦いのみが刻まれているので、半分くらい空欄になっています。順路通りに進むと(途中から順路ごちゃごちゃになりましたうふふ)、15センチ副砲と砲員が展示されています。あるの知ってたけどびっくりしました。

砲員(白いセーラー服のあんちゃん達)は砲室の中に釣床(ハンモック)を吊して寝起きし、食事を摂り、砲の手入れを行って“ピカピカに”磨き上げていたそうです。このハンモックが、22巻216話で「情けんなか…」ってなっている鯉登少尉がくるまっているハンモックのようです。この部屋はそんなに広い場所じゃ無いんですけど、10人の砲員がここでぶらぶら揺られながら寝ていたようです。ちなみに釣床でぶらぶらされるのは海軍中尉以下の人たちでした。船って今でこそ技術が発達してちゃんと水平を保ててますけど、この時代の主流だった帆船では、船体が傾いたまま進むのもよくあることだったようで、船の傾きに応じて揺れる釣床は落っこちたり転がってどっか行っちゃう(!?)のを阻止するのに有用だったみたいです。あと、就寝時以外は畳めるっていうのも、限られたスペースである艦内ではかなりのメリットになります。戦闘時の被弾の際に、炸裂した砲弾の破片から船体や乗員を守るためにも使われたそうです。釣床、めっちゃ有能説。

寝床つながりで偉い人(司令長官)の寝床と救急室の寝床も貼っておきました。カプセルホテルみたいなギュンッてした寝床が好きな私としては、この箱形のベッドめっちゃいいなって思ったんですけど、救急室のベッドを見た感じ、オフトンが箱の縁と同じ高さなのよね。これ、船が揺れたら落っこちてどっか行っちゃうよね??翌朝、「あれ!?司令長官転がってどっか行っちゃった!?」って船内がざわつくよね??(戦艦あるある)


寝床の話はこの辺でおしまい。続いて、雷型駆逐艦が登場する場面で確認することができる資料を見ていきます。


司令塔(13巻130話 雷型駆逐艦の司令塔?)

広角レンズ+白ホリで近未来感満々になってしまった司令塔。本編で網走川をぐいぐい進んできた雷型駆逐艦の司令塔に当たると思われる場所で、「もすッ」って言うパパの背後にこれらがあります。真ん中の羅針盤、操舵機、速力指示器があり、もすパパはおそらく羅針盤の向かって左前で「もすッ」したようです。こことは別に、同じ装備がされている操舵室というのもありました。部屋としては司令塔よりも広い操舵室を想像しますが、速度指示器が1段高くなっているので、機器の資料としては司令塔の方かなと予想します。

1枚目が操舵室、2枚目が最上艦橋で、日本海海戦時には東郷平八郎連合艦隊司令長官が実際に指揮を執ったそうです。ちなみにこの写真で、海を挟んだ反対側の土地は米軍基地です。


60cm信号探照灯(22巻214話 発光信号用意ッ)

モブ兵が「直チニ機関ヲ停止セヨ」って樺太連絡船に信号を送っているあれです。前方と中間地点、後方と、何カ所かに設置されています。細かい部品が若干違うのでもしかしたらこれじゃ無いかも?他の位置の信号探照灯まで細かく見てこなかったので不明ということで。


8cm砲台(22巻214話 流氷を打ち砕いた艦砲射撃)

当時は12听㍀砲と呼ばれていたそうで、三笠には現在10門(模造砲)残っており、右舷・左舷に設置されている8門は自由に向きを動かせるらしいです(この情報知らなくて触りすらしなかったショボン)。本編では40口径7.6cm砲台と書かれているのと、見た目が若干違うのでこちらをモデルにしたわけでは無いと思われます。
2枚目は左舷の8cm砲ですが、1番手前に金属の板が張ってあります。ここに限らず結構いろんなところに戦死者の名前が書かれていて、追悼室もありました。追悼室は名前だけじゃ無くて、戦死した方達の生前の写真も残されていたりして、戦争が現実にあったことを物語っていました。私たちにはなかなかピンと来ないけど、実在した出来事ってことをすごく感じました。


ちょっとしんみりしちゃったので、最新話(277話)の場面へ行きましょう。ここからは本誌の内容に触れていますので、見たくない方は飛ばすかお戻りください。


全部お脱ぎくださいまし!!全部ズドンと!!

帝国ホテルにて花沢勇作(ノラ坊)と2度目の食事を楽しむ花枝子嬢。侍女がノラ坊にわざとビーフスチウをぶっこぼして、取ってあるお部屋に誘い、ズドンでオギャーに持って行く作戦、の時のオフロ。花枝子嬢の「絶対に逃がさない」感が伝わってきますね、ドアちょっと開けてのぞき込む花枝子嬢の目がランランしてるのよ。澄ましたお嬢だけど好奇心ダダ漏れなのよ、ちょっとかわいいって思えてきたわ。

いい顔のノラ坊がフリチンで「嫌ぁ!!」ってお嬢よりお嬢な声を発した現場。そして花枝子嬢、どの隙間から軍服をバリバリしたんですか。。。
こちら戦艦内の船なのでごらんの通りの窓で、チンをフリフリしながら菊田さんにバツ信号を送った窓は残念ながら存在しておりませんでした。ところで、この床のタイルがとってもモダンで好みだなあって思っていたところ、自宅の床にこちらを敷いていたことにこの記事を書きながら気づきました。


こんな感じで、私が確認できた範囲でのゴールデンカムイに登場する資料は以上です。もし機会があったら、いらしてください。最後に記念撮影と船体の写真を載せておきます。記念艦三笠(三笠公園)へのアクセス方法ですが、公式からは記事冒頭のとおりの方法が紹介されていますが、京急線で横須賀中央からバスで来る場合の「中央1系統三笠循環」は本数がかなり少ないので注意してください。徒歩でも全然行ける距離なので、今にも倒れそうという場合を除いて徒歩をおすすめします。


おまけ!!カレーを食べた話!!

いや、終わらないのかよて。私ね、カレーが好きなんですよ~というわけでカレービュッヘに行ってきました。三笠公園から徒歩で行ける距離にあるショッピングモール内にあるお店です。

横須賀海軍カレー本舗 BAYSIDE KITCHEN 公式サイト
神奈川県横須賀市本町2-1-12 Coaska Bayside Stores 1F
大人 1980円で90分食べ放題 ほか

カレーはもちろん、揚げ物、サラダ、ゆで卵、アイス、飲み物(アルコールは別料金)全部放題です。写真の左から「よこすか海軍カレー」「横須賀海自カレー」「大人のキーマカレー」写真にはありませんが「東京音楽隊チキンカレー」の4種類のカレーが並んでいます。カレーを永遠に食べていたい私としては、おかずと米でお腹の余白を埋めてしまったのが失敗だったなと、皆様お気をつけて。それでは、さようなら。


-終-

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