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あっさりと事は済んだのか

2020.6.25

通話終了のボタンを押した。
ホーム画面に戻ったケータイを枕元に投げた。
私は、部屋の真ん中に立っていた。
軽い。不思議と体はとても軽かった。全身からどばっと嫌なものが流れ落ちた様だった。残った私の身体は、とても軽くてゆらゆらしていた。

想像していたよりも、あっさり事は済んだ。
色々な理由も考えたし、読み原稿だってパソコンのメモに打ち込んだ。今までお世話になった気持ちも込めて、感謝の言葉も伝えようと思っていた。
用意していたもの達を何一つ使うこともなく
“でしたら、手続き関係の事は後日郵送で…”
思っていたよりも、やけにあっさりだったのだ。

大学時代に社会福祉士の資格を取得した私は
社会人1年目、新天地の東京で医療機関のソーシャルワーカーとして働く事を選んだ。

憧れていた医療機関での仕事は、想像していたよりも
凄くやりがいもあり、凄く苦しかった。
そうはいっても…と突きつけられる現実に、どんな感情を持てばよいのかよくわからなかった。負の感情や、人の人生観と向き合い続ける毎日
ほんの一瞬のありがとうが私のがんばる力だった。

いつまで続くのだろうか…

何だかモヤモヤする。何かが違う気がする。
このままでいいのか。
消化され続ける感覚を見逃し続けるのだろうか

逃げ腰モードの私に追い討ちをかける様に
体の不調が重なった。
この仕事でキャリアを積んで行った時に
仕事を楽しんでいる自分の姿が全く想像できなかった。
働くことは、歯を食いしばって耐え続けることだけではないはずだ。


そんなこんなで
私は”仕事を辞める”ことにした。
不思議と迷いはなかった。
感覚的に、”違う”という自分のセンサーに気づき、行動出来てよかったと思う。私は、99%感覚人間なので、理由は後からついてくるものだと思っている。


友人や大切な人たちが次々と舵を切って
自分の航路を切り開いていくのを眺めて
広いひろい海の真ん中で取り残された気持ちだった

ぽつんと1人残されてしまった感覚。
でも、そこから初めて行けばいい、と今は思う。
自分が感じたこと、その取り残された海の真ん中で、透き通る水の美しさ、風の湿度や、海の匂い、流れる雲の移り変わる様を、自分のペースでただひたすらに感受しよう。
今の気持ちや、これからに馳せる想い、湧き上がってくる欲や、心地いい熱量を。感じ、しっかりと言葉に落として、今まで過ごした時間全部がつながっている事を忘れないでいたい。

前職では、これからの足を踏み出すために、自分で舵をとるために必要なことを沢山の人から教わった。


失礼な言葉遣いで患者さんには良く怒られた。それからは、理由を先に伝えてから質問をする様になった。相手との信頼関係は会話から始まる。

患者さんのご家族には、夫婦の絆を教えてもらった。夫婦の形は1つでは無い事を改めて知った。「あたり前」は自分が作り上げた空論に過ぎない。

師長には、”素直に相手の感情を受け止めて、丁寧に対応すれば必ず伝わるから”と教えてもらい。話す時の相手の表情、仕草にも目が行くようになった。丁寧な対応とは、言葉を交わす相手の細部にまで目を配れる様になって初めてそれについて考えられる様になる。

上司には、”あくまで伴走者である事。誰がランナーなのかを見失わず、ソーシャルワーカーは道の形やゴールまでの距離、ランナーの特徴をきちんと把握して共に走る人なのだ”と言われた。そうして、客観的に物事を捉え、わかりやすく伝わる様、一生懸命工夫した。物事の全体を見る視点を大切にしたいと感じる様になった。

友人は”幸せな人生ってきっとあるんだよね。無理して仕事をしたり、誰かのために自分を犠牲にしなくても、あるんだよ。”と話していた。それからは、幸せな人生がある事を信じている。

手放す勇気は、踏み出す勇気よりも凄く力が篭る。
奮起する力よりも、何かに踏ん切りをつける時の力の方が、凄く大変なのだと今初めて実感する。

部屋にぽつんと取り残された私は、
ただ今のこの時間、この感覚を大事にしたいと思った。

これから作っていく、生活や働き方はどんなだろうか。
大切な人達への恩返しがしたいな

頑張ろう、楽しもう。ひたむきに進もう。
軽くなった身体で、どこへだって行こう。

部屋の窓を開けると、外は細い柔らかい雨が降っていて、
ひんやりとした、湿っぽい風が入り込んできた。
スッと息を吸い込んだ私は、いつもより良い笑顔をしていたと思う。


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