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ラニーエッグボイラー 第8話「雨の日はエッグノックに限る」

「……雨」

昼寝して起きたら強めの雨が降っていた。
こんな雨の日にわざわざ用もないのに外に出たがる人がいないけど、私は別に用はないけど外に出ないといけないので、こういう時は夜眠る用の部屋には直行せず、あえて寄り道なんかしてみる。
そう、私は生まれつき半径30メートル以内で24時間離れず過ごしたものを自然死させる謎の伝染病みたいなものを患っているから、無駄な死人を出さないために起きてる間に過ごす部屋と夜眠るための部屋の2拠点生活をしている。
普段だったら、この古めの商店街のすぐ裏手にある趣深い部屋で、夕方過ぎまでゲームしたり漫画読んだりして、暗くなったら眠る用の部屋に移動して、ついでにどこかで晩ご飯食べて寝るんだけど、今日みたいな日は濡れるっていうめんどくさい行事がついてくるから、要はどこかで酒でも飲まなきゃやってられないわけなのだ。

せっかく寄り道するんだったらしばらく行ってなかった店にしようと決めて、どちらの部屋からも3キロくらいの距離にあって、前に住んでた歓楽街の中に佇む1軒のバー【聖書・仏陀・義理】へと足を運ぶことにした。その店はいわゆる酒を飲むためだけの店なので、先にある程度おなかを満たしておこうとチェーン系居酒屋お気に入りランキング第3位の豚貴族で、豚串とネギ塩豚タンと明太ポテトサラダとホルモン煮込みとメガレモンサワーとメガジョッキビールを胃に放り込んで、ほどよくいい感じに酔っぱらってバーの扉を潜った。赤提灯をぶら提げた居酒屋で暖簾を潜る要領で、右手をひょいっと振りながら、暖簾ついてないけど。
「あら、いらっしゃーい。お嬢さん、見ない顔ねえ」
「半年くらいぶりだけど50回目くらいかなあ」
これは店主のカオルちゃんが悪いわけではない。私は目の前に立っているのに気づかれないくらい究極的に影が薄くて、絶望的に顔を覚えてもらえないタイプらしいので、50回やそこらで覚えてもらえると思うほど自惚れたりしない。むしろ毎日が初めましてみたいと考えたら、毎日新鮮な気持ちで出会えるじゃないか。いや、こっちはカビ生えたチーズくらい新鮮さゼロだけどね。
「エッグノックちょーだい」
エッグノックはブランデーとラムと卵と砂糖と牛乳で作るカクテルで、カオルちゃんの作るエッグノックは魔女が作ったのかと疑うくらい絶妙に甘い。美人寄りな男なのか、イケメンよりの女なのか、性別は未だにわからないけど。

『はい、どーもー! 馬鹿∞でーす! 名前だけでも覚えて帰ってください!』

バーの片隅に掛けられたモニターから、売れない漫才コンビの馬鹿∞のライブが流れている。
馬鹿∞、バカ・インフィニティーという絶妙に売れる気のない上にダサさと抜け感のある中年男ふたりのコンビで、今年で芸歴20年。全然若手でもないのに名前だけでも覚えてくださいって言ってのけるベタベタなクラシカルスタイルなのに、ネタはどうしようもなくズレてて、隙間の住人みたいな人にしか刺さらないから、その辺のミスマッチもあって一向に売れる気配もなく、いつまでも世間が気づかない自分だけが好きなインディーズバンド的な味わいがある。ちなみに私の好きなインディーズバンドはジョニー・ヘレナ・リトルアンっていう、よくよく考えたら中々どうして悪趣味な名前のバンドだけど、そっちも一切売れる気配はないから味わい深い。
そう、私は意外とニッチな個性派好きなのだ。好きな動物はベタに猫だけど。

『この間ね、ゴリラみたいなおっさんに詰められましてね』
『ちょっとやってみよか、お前ゴリラやって。俺、74丁目の絹川餅さんやるから』
『番地キモッ! そんでその苗字、何?』
『ウホッウホウホッ』
『絹川餅さん、ゴリラやったんかい!』

「あっはっはっはっは!」
画面からも店内からも笑い声は一切聞こえないけど、私の中では馬鹿∞はめちゃくちゃ面白いからいいのだ。爆笑したっていいじゃない、暗く陰気に飲むよりは。
「変わった趣味ね。この人たち、うちの常連だけど、未だにさっぱりわからないわ」
「えー……私の中では、ぶふふぉぅ……だいぶ、ぶぷぷふふ……おもしろ、ぶふぉー!」
カオルちゃんにも面白さは伝わってないみたいだけど、私はもう会話も出来ないくらいツボに嵌っちゃって、雨の日はやっぱり寄り道してみるものだなーって思ったりした。


~ ~ ~


4月1日
養成所を卒業した俺たちは、ようやくプロの芸人としての第1歩を歩み始めた。
コンビ名は相方と俺の苗字を取って、馬野と鹿島で馬鹿∞、お笑い芸人は馬鹿なほど売れるから一生遊んで暮らせるくらい売れるように∞もくっつけた。芸名はンが入ると売れるってジンクスからインフィニティーって読むことにした。
今日は第1歩にふさわしい足跡をつけるために、屋根の上からコンクリ塗り立てのところに飛んでみた。
馬野のバイト先の親方に、顔の形が変わるんじゃないかってくらい怒られた。

4月10日
今日はライブがあった。なぜかわからないけど意味わからんくらい滑った。
プロの世界は厳しいぜ。
あと顔中包帯だらけでライブに出る奴があるか、って社員さんに怒られた。仕方ないから明日のライブはスケキヨスタイルで出る。

4月11日
スケキヨスタイルで猟奇殺人鬼のコントをやったら客席から悲鳴が上がった。
滑ってなんのリアクションもないよりはいいので、思い切って指の爪を剥がしてみたら最前列のお客さんに絶叫された。
出番2回目にして劇場を出禁になる。俺たち天才かもしれない。
あと今更気づいたけど無限大でもンが入ってた!

5月5日
世間はGWだけど、ひたすらネタ作り。
馬野は観光地でアイスを売るバイトをしてた。俺もバイトしたほうがいいのかって悩んでたら、馬野からお前はネタ作りをやれって言ってくれた。
最高の相方だぜ、あいつは。


~ ~ ~


「キャリコ、馬鹿共の居場所がわかりそうなもんはあったか?」
「ナイネー、ボス。ネタ帳ト日記ナラアッタ」
「ブリストルに連絡しろ。こっちは外れだったってな」
「オッケー、ボス」

色黒の男が電話を掛けるその背後で、背丈が2メートル近くありそうな大男が苛立ちを隠さずに本棚やテーブルを引っ繰り返す。
大男は半グレの組織のボスの金御寺で、部下の不良外国人のキャリコと一緒に、つい先日行方をくらました薬の売人の身元を押さえに来たのだ。
薬の売人はろくに仕事もない芸人で、5年前から薬にはまって、2年前から売人になった。それ自体はよくある話だ。売れてないとはいえ隣の芝生は青いどころか金色の派手な世界、それなりにやんちゃな奴と付き合いってそれなりに長い年月を過ごすと、悪い誘いのひとつやふたつは箸よりも簡単に転がってくる。
小遣い欲しさに売人になるのも珍しい話ではなく、その金額に恐ろしくなって逃げ出そうとするのも珍しくない話だ。

「ボス、ブリストルガ見ツケタッテ」
「そうか。じゃあ、俺たちも今すぐ向かうぞ」
金御寺がギョロリとした目を見開いて、獣のような獰猛な笑みを浮かべた。
半グレ組織のボスだけあって金御寺は恐ろしい男だ。暴力と残酷さが最も大切な資本だと語り、裏切り者は絶対に許さない。過去には敵対勢力も含めて20人以上も消している。しかも機械で生きたままミンチにして、犬の餌にする念の入り用だ。
部下のキャリコとブリストルも上司に勝らずともさほど劣らぬ凶暴な人種で、命令されたらどんな悪事でも笑ってこなす。そんな連中に狙われているのだ、馬鹿∞は。


~ ~ ~


4月11日
劇場の出番をクビになった。
デビューしたての頃も出禁になったことがあったが、あの時とは違って今回は需要がないから。
馬野に連絡したら「わかった」とだけ言ってた。あいつは俺と違ってちょっと賢いから、俺たちがこのままずっと売れないってとっくに気づいていたのかもしれない。
だったらもっと早く言えよ!

5月1日
ネタ作りをしないGWなんて高校生の頃以来だ。
馬野はもう10年以上ネタ作りなんてしてないし、今日も売れてる先輩やガラの悪い奴らと遊んでる。俺とはもう何年も遊んでないし、顔を合わせてもほとんど話すことが無くなった。
でもあいつのおかげで先輩から小遣いやタクシー代がもらえて、それで飯食ってんだから文句は言えない。

10月15日
仕事がないから、ひたすらバイトをする。
馬野に久しぶりに会ったら、いい金になる仕事を始めたらしく、派手な金ネックレスと腕時計なんてつけてた。
金もあるとこにはあるんだなーって思いながら、今日も食パンにジャムを塗って食べる。

12月24日
クリスマスなのでトナカイの格好をしてひたすらケーキを売った。
ケーキは完売したけど、俺にはライブのチケットを完売する才能が欲しかった。
いや、お笑いの才能の方が欲しい。


~ ~ ~


「いたぞ、こっちだ!」

くそっ! なんでこんなことになっちまったんだ!
俺と馬野は今、怖い連中に追いかけ回されている。俺は追いかけられる理由はないので、正確には相方の馬野だけが追いかけられているのだが、馬野は俺の相方で俺たちはふたりで馬鹿∞だ。20年も一緒にやってきた、子どもの頃から数えたら30年以上も友達で相方の馬野を見捨てることなんてできない。
「なんで覚醒剤の売買なんてやるかなあ!?」
「シャブじゃねーよ! LSDとMDMAだ!」
「知らねーよ! 俺、お笑い以外わかんねえんだから!」
2年くらい前から馬野の羽振りが急に良くなって、その時はどこかの社長のケツでも舐めてるのかと思ってたが、つい先日、馬野と仲の良い先輩芸人が薬のなんかで逮捕されて、マネージャーから俺たちにも連絡があって、なんかすげー慌ててたから問い詰めたら売人やってた。だからそんなもん今すぐやめろっつって、もうやりたくないって頭を下げに行こうと売人の上の方の奴に電話したら、なんか超こえー元締めみたいなのが出てきて、こうやって逃げてるのだ。
荷物を取りに戻ろうかと思ったら馬野の部屋も俺のアパートにも怖い奴がうろうろしてたし、反社の激詰めマジこええ。あんな奴らに囲まれたら、お笑いどころじゃなくなっちまう。
不幸中の幸いは、向こうはだいたい不健康な不良、こっちは日々肉体労働に精を出す体力だけは自信のあるアラフォーだ。体力としぶとさで逃げ続けて、今のところ捕まらずに済んでる。

「カオルちゃん、ちょっと匿って!」
「あんたたちねえ、あれだけ借金だけはやめなさいって……」
「違うんだって! 反社だよ、反社!」
ついこの前も、昔から芸人仲間とよく集まっているバー【聖書・仏陀・義理】のカオルちゃんに匿ってもらったり、そのまま店のごんぶとなご立派様を固定装備したお姉さまたちに、タクシーにこっそり相乗りさせてもらったりして、どうにか難を逃れてきた。
「私に四の五の言いたかったら、金御寺を連れてくるんだね、この三下の雑魚が!」
まさかのカオルちゃんが啖呵切って、半グレの下っ端の頭をウィスキーの瓶でかち割った時はマジこええっておしっこちびったが、もしかしてカオルちゃんも反社会的な人だったりするんだろうか。
ちなみに匿ってもらったカウンター内のスタッフルームに、明らかに使用済みの斧が何本もあって振るえた。尾野薫って名前だからって斧を持たなくてもいいんだぜ、カオルちゃん、とか思った。

でも半グレはやっぱり怖い連中で、どこの誰に繋がってるかわからなくて、泊めてくれた後輩芸人の家にギリ日本語無理そうな外人がふたり来て、そのまま何発かぶん殴られて、ガムテープでぐるぐる巻きにされて車に押し込まれちまった。


~ ~ ~


日付なし
このまま芸人続けてどうなるんだろうって最近毎日考える。このままだと一生売れないのはわかってる。
だけど、どうしたらいいのかさっぱりわからない。
昨日も実家から芸人やめてこっちで仕事しなさいって電話が掛かってきた。馬野のお父さんとお母さんも年が年だから、もういい加減に家業を継いで欲しいらしい。
馬野はもうやる気ないみたいだから芸人やめるかもしれない。、俺は他の誰かと組む気はないし、あいつより面白い奴はいないと思ってる。売れないのは俺の書くネタが悪いせいだ。ごめん、馬野。


~ ~ ~


鹿島には何度謝っても謝り足りないことをしてしまった。
俺は馬鹿だけど才能のある鹿島と違って、マジでなんの取り柄もない馬鹿だから、先輩芸人の太鼓持ちしたり合コン組んだり、そういうことで気に入られる道を選んでしまった。
気がつけば鹿島とはお笑い筋肉で大きな差がついていて、俺はいつまで経ってもガリガリなのに、鹿島はマニアックだけどピンポイントでバッキバキなお笑い筋を手に入れていた。俺たちはいつの間にかセンスとか知識量だけじゃなくて、瞬発力とか頭の回転でも圧倒的な差が出来てて、前みたいに好きなお笑いの話とか即興漫才とかそういうのが出来なくなってしまった。
だけど金を稼ぐ能力だけは俺の方が優れてるから、金の力で鹿島の上に立ってやろうって違法薬物の売人になってしまい、その挙句、ふたりして半グレの車の中に監禁されることになってしまった。

ごめんなさい、神様。薬始めてから幻覚で見える空中の卵でもいい。
1回でいいから奇跡を起こして、俺たちを助けてください。

車の中で金持ってる芸人の住所を吐かされたり、火遊びが好きな女優のクラブに行く時間を聞き出されたり、気分転換にぶん殴られたりしながら、俺はどこまでも甘ったれたことを願った。
どうしようもない人間だ。人生で1回も本気になったことないせいで、最期の最期まで他の誰かや自分の力じゃない何かに頼りっきりのクソ野郎になってしまった。

でも神様はいるようで、なんと俺たちが監禁されている間に、金御寺の事務所がマンションごと吹っ飛んだ。
そして車のトランクに俺たちを放り込んだまま、遠くに逃げ出そうとした半グレを、茶髪に赤と銀との混ざった奇抜な髪をした、背の低いまだ未成年っぽい女の銃弾が襲ったのだ。
「待て! 待ってくれ!」
「待つわけないだろ、ヴァーカ」
パスンと空気が抜けるような独特な音がして、命乞いする半グレに銃弾が突き刺さった。
トランクを開けられて、その女の子から銃を突き付けられた時は失禁しながら命乞いをした。
「んー! んんー!」
顔にまでガムテープを巻かれてるから全然喋れない。
でも涙を流しながら必死に命乞いをして誠意だけでも通じてくれたのか、トランクの外に放り出されて、そのままどこかに行ってくれた。
俺たちは運よく、本当に運よく、死なずに済んだのだ。


~ ~ ~


『もうええわ! どうも、ありがとちゃんやでー!』

「あーっはっはっは! おなか痛い! おなか痛い!」
ふたりとも関東の人なのにあえて使ってる関西弁が、この締めの部分だけ強烈にわざとらしくて、私のおなかにボディーブローを打ち込むくらいにピンポイントで刺さってくれる。
カオルちゃんはドン引きしてるけど、馴染みの芸人がここまで笑ってもらえるのを良しとしたのか、サービスでジャイアントコーンを小皿に盛って、アイ・オープナーっていうラムベースの卵カクテルを注いでくれる。
カオルちゃんは実はハチェットって呼ばれる投げ斧使いの殺し屋もやってるんだけど、殺しよりもカクテル作りの方がずっと似合ってる。殺しなんてやるもんじゃない、人間を自動的に殺してしまう私が言うことでもないけど。
ちなみに私が死神ヨハネと呼ばれてることは当然秘密だし、カオルちゃんも知らない。

「あー、めっちゃ笑った。今日はいい日だー」

『えー、実はみなさんにお知らせがあります。俺たちは馬鹿∞ってコンビで20年やってきたんですけど、俺たち馬鹿だから間違えちゃったんです。馬野が馬鹿だから薬の売人やってて、俺が馬鹿だから気づかなかったんです。だから馬野、このあと自首します。俺の相方は馬野だけなんで、俺もこの世界辞めます。お笑い出来なくなってすみません、今までありがとうございました』

……なんだって?
待ってよ! お前らいなくなったら私は誰で爆笑したらいいの! いや、でも悪いことは悪いことだし、本人が決めたことだし、でも辞めてほしくないし……私はさっきまで爆笑したのに、急に脳みそに氷をぶち込むような報告を聞かされて、ただただ呆然とするしかなくて、
「あんた、泣かなくてもいいじゃない」
「泣いてないけど」
私はずびーっと大きな音を立てて洟をかんで、なんともいえない悲しい気持ちで甘いカクテルを飲み干したのだった。


今日のカクテルは妙にしょっぱい。


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