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短編小説「メガ恐竜ガール」

彼女との出会いは、今はもう取り壊された雑居ビルにあったラウンジ【コビトカバ】だった。俺は厨房と送迎の黒服で、彼女はラウンジ嬢。
彼女は一言で言うと不器用な人だった。
料理も皿洗いもろくに出来なかったし、気の利いた話も出来なかった。簡単な水割りも作れず、指名もまったく取れなくて、いつも周りの嬢たちから虐められていた。
俺も要領が良い方ではなかったから、彼女にはなんとなく親近感を抱いていた。
俺と違うのは、俺は飽き性で諦めも早く何でも長続きしないこと、彼女は頑張り屋で決して諦めないこと。
そんな彼女に恋にするのはあっという間だった。一か月もかからなかったと思う。俺たちはどこの店でも当たり前にあるように、いつしかお互いに恋に落ち、男の女の関係になった。
俺は彼女と、コビトカバで働くティラノサウルスと結ばれた。

「そうして生まれたのがお前なんだよ」

私の目の前に腰かけたお父さんが、ぷかぷかとアメスピをふかしながら煙の輪っかを作り、照れくさそうに、同時に誇らしげに語った。
どうやら私は人間とティラノサウルスのハーフらしい。
私も16年も生きてるから、自分が普通の人間じゃないことは薄々勘付いてたけど、まさか母親がティラノサウルスだなんて思うわけがないし、父親がティラノサウルスとヤったなんて、そんな馬鹿な話があるとは考えもしないわけよ。

「リアルでドラゴンカーセックスを超えるな! この変態クソ親父!」
「ひどい! 父さんも真剣に母さんとまぐわったのに!」
「うるさい! 馬鹿! 変態! ネットミーム以下!」
「うわあぁぁぁぁぁぁ!!!!」

思いのほか傷ついて泣き喚く父を置いて、私は町へと飛び出した。
16歳の少女は、やり場のない怒りを感じた時に町へと飛び出すものなのだ。だって16歳だから。


私は山田ティラノ、つい先日16歳になったばかり。好きな食べ物は牛肉と豚肉と鶏肉。好きな飲み物は肉汁デミグラスソース。
高校はワケあって初日で退学になって、バイトも15連敗で落ちたから、今はお父さんのやってるガールズバー【ステテコサウルス】で働いてる。
ちなみに友達はいません!

そう、私が高校退学になったのも、友達がいないのも、バイトの面接15連敗なのも、すべては私の出生に理由がある。

生まれた時から普通の子と少し違った。なぜか恐竜とパーカーを合わせたみたいな長袖を着て産まれて、しかも首と肩のところで骨と繋がってるから脱ぐことも出来ず、小中学校ではずっと恐竜ちゃんとかコスプレ女とか年中ハロウィン気取りとか言われながら育ち、事あるごとに先生から脱ぐように怒られて、そんな感じで周りに一切なじめずに現在に至る。
今までずっとお父さんに聞いてもはぐらかされてきたので、16歳になって今日こそは答えてもらうぞって迫ったら、とんでもないド変態な性癖カミングアウトをされちゃったわけ。

お父さんは昔から周りの、背中や腕にラクガキの多い系のお友達に、山田さんでも名前のビッグマン、あ、お父さんは大男って書いてビッグマンって読むウルトラくそ馬鹿キラキラネームで、ビッグな男になるんだって背中にアメリカの大統領の顔が描いてあるような、だいぶ馬鹿なタイプのお父さんなんだけど、名前のビッグマンでもなく、なぜか勇者って呼ばれてたけど、その理由も今日察しちゃったよ。
あれ尊敬じゃなくていじられてたんだね。
勇者(笑)とか勇者(性)みたいな。

なんか最悪だなーって気分で、公園の子どもがまたがって遊ぶやつの恐竜っぽいゆらゆらに座って煙草を吸ってると――あ、言われなくても煙草は20歳過ぎてからって法律は知ってるよ。でも、父親が半グレで、その娘は中卒で、母親はティラノサウルスなんだから煙草くらい見逃して欲しい。中学の時から吸ってるけど――とにかくタバコを吸ってたら、向かいのベンチで鬱だわーって顔をしたお姉さんが煙草を吸ってたので、公園はきっと最悪と鬱が集まってくる場所なんだな、鳩とかじゃなくて、って思ったりした。

って、ベンチの鬱お姉さん、ステテコサウルスで働いてる人だ。
確か名前は、酒田すごいも。ヘビースモーカーで大酒飲みで、いわゆる自称サバサバ系のサバ女だ。名前は芋だけど。

「あれ? 山田さんじゃん、何してんの?」
「すごいもさんこそ、なにやってんすか?」

すごいもさんは一瞬なにか考えながら、目玉を上にずずずいって向けて、すぐに目線を落としてゆっくりと煙草の煙を吐き出して、うあぁぁぁって唸り声みたいなのをこぼしている。
なにかすごい悩みがあるみたいだけど、私は私でどうしていいかわからない悩みがある。みんな悩みがあるんだなー、公園はきっと悩める女が集まるんだな、野良猫とかじゃなくて。
まあ、悩みをカミングアウトされても困るんだけど。すごいもさんのこと、よく知らないし。

「実はさあ、ちょっと困ってんだよね」
いや、悩み早速きた。やめて、私は悩みに答える余裕なんてないの。
だって母親ティラノサウルスだぞ。

「先月まで働いてたカストリとシケモクって覚えてる?」
覚えてるもなにも、私が働きだしたの今月からなんだけど。あと、なにそのヤングキングの紙面にしかいなさそうな名前。

「あいつら問題起こしまくって系列店に移籍したんだけど、なんか私のせいにしてるっぽいんだよね」
ステテコサウルスなんてふざけた名前のガールズバーに系列店とかあったんだ。

「鬼飯田(オニパンダ)がぶがぶって人が店長やってる、モサモササウルスってノーパンパブなんだけどね」
店長が苗字が鬼パンダで、名前がガブガブで、店名がモサモササウルスで、ジャンルが半裸って、この辺には馬鹿しか住んでないのかな。

「鬼飯田さんに呼び出されてんだよね。マジ、ウゼー……」
「シカトしとけば?」
「そんなわけにもいかないの。うちの店長、鬼飯田さんに頭が上がらないし、鬼飯田さん店にもよく顔出してくるし」

洗濯機から出したばかりの毛布くらいじめっとうなだれてたすごいもさんが、パーラメントを肺の奥までゆっくりと吸いこんで、ふひゅーって長く吐き出して、よし、と一言呟いた。

「山田さん、パーラメント1ダースあげるから、私とここで会ったの黙っててね」
「いいですけど?」
「絶対言わないでね。もし店長や鬼飯田さんに聞かれたら、モサモササウルスに向かってるって答えといて」
鞄の中から出てきた大量のパーラメントを押し付けて、そのまますごいもさんは走り去っていった。

どうやら逃げることにしたっぽい。うん、それが正解。馬鹿な揉め事に巻き込まれるくらいなら、どこか遠くの町に飛んだ方が全然マシ。
逃げるが勝ちなんて、幼稚園児でも知ってる。

逃げれなかったら? その時は戦うか命乞いするかのどっちかだよ。この町の治安、控えめにいってうんこだから。


公園で黄昏れるのも飽きたしお腹も減ったから、じゃあちょっと駅前のガストでハンバーグでも食うかって向かってると、路地を変な二人組が歩いていた。
ひとりは外国人格闘家みたいな背丈と肉付きのバカでかい上下真っ黒な服の女、もうひとりは目がヤク中みたいに異常にキマッテる右手に鉄パイプを巻きつけているジャージの女。

ああいうのとは目を合わせちゃいけないし同じ歩道も歩いちゃいけない、っていうのがこの町の常識だ。
そそくさと通りに面した煙草屋に避難すると、閉まる自動ドアの向こうから漂ってくる腐った魚みたいな臭いと、それを掻き消すような店内に充満した煙草の香り。

「いらっしゃいませー」
「シガローネちょうだい、ロイヤルスリム・ブラック」
シガローネは私の愛用の煙草だ。高いけどうまい。高いからあんまりパカパカ吸えないので健康によい。
「お嬢ちゃん、何歳?」
「16っす」
「1040円になりまーす」

特に意味のない年齢確認をして、シガローネを鞄に突っ込んで通りに戻ると、さっきの二人組が猛烈な勢いで誰かに絡んでいた。ああいうのと同じ道を歩いていると、ああいう目に遭う。
『裏路地を歩く時は、酔っ払いと狂犬に気をつけなさい』
『人気の少ない道は避けて、大通りを歩きましょう』
『注意1秒、後遺症一生』
電信柱に貼ってある交通安全のポスターにもそう書いてある。

「こらこら、お前たち。一般人に絡むんじゃありません」
絡まれていた人が土下座を始めたあたりで、もう長袖の季節なのに上半身タンクトップで、手首にまでびっしりと鬼と熊のラクガキが描かれた、目の隈がマジックで線引いたくらい黒いスキンヘッドの男が、二人組のところまで歩いて行って、なにやら二言三言交わして場を収めた。
「そこの恐竜パーカーのお嬢ちゃん、君、ビッグマンくんの娘だろ?」
うわぁ、お父さんの知り合いかよ。こんな物騒なのと知り合いになるなよ、知り合っても縁切ってよ。

「僕はお父さんのお友達で鬼飯田ってもんだけどね」
「はぁ、お世話になってます」
どうやらこの季節外れ鬼熊タトゥーハゲが、すごいもさんの話していた鬼パンダって人らしい。
面倒事は嫌なので素直に頭を少し下げて挨拶すると、二人組が礼儀がどうとかギャンギャン吠えている。頭の悪いブルドッグと目つきの悪いチワワが
絡んできたら、多分こんな感じなんだろうな。

「お前たち、やめなさい。でだね、お嬢ちゃん。ビッグマンくんのお店で酒田さんって人が働いてるんだけど、知ってる?」
「はい、ちょっとだけ。モサモササウルスに行くって言ってましたよ」

嘘は言ってない。
確かにモサモササウルスに向かってるって言ってたから。
言ってただけで、実際に行くわけじゃないけど。

「お前ら、やっぱり店に来るって言ってるじゃねーか! サボってないで、とっとと店に行け!」
「そんな小娘の言うこと信じるんすか?」
「頭バグってんじゃないっすか?」
鬼パンダに尻を蹴られながら、駅と反対方向に歩いていく二人組を見送って、私は私でガストに行ってハンバーグを食べた。

私の言葉を100パーセント信じたとも思えないけど、あいつらが店で待ってる間に電車でもバスでも車でもなんでも、とにかくどこか遠くへ飛べたならラッキーだ。
そう考えると、今日はいいことをしたなって気持ちにちょっとだけなったので、ハンバーグに和風ハンバーグも追加した。

肉に肉を足すなって? 関西人だってうどんにご飯を追加するって聞いたよ、関西人に謝れ。


すごいもさんが店の前で転がされていたのは、それから数時間後の夕方のことだ。


お父さんに事情を聴いたら、昼間の二人組、大きい方がカストリ、目がやばい方がシケモク、その二人と揉めてたすごいもさんは駅前で鬼パンダに見つかって、モサモササウルスに連れていかれて、
「お前らタイマンしたらいいじゃねえか。場所用意してやったから」
と殴り合いの決闘をさせられて、約5分間の殴り合いの結果、鼻とあばらを折られてしまった、ってことらしい。

「で、お父さんはどうするの?」

お父さんはさっきからソファーに腰かけたまま、ずーっと真面目な顔をして腕を組んでいる。考えるふりだ。
お父さんは困った時は、とりあえず考えるふりをする。考えてるふりをして時間を潰して、周りの誰かが意見を言ったら、今そう言おうと思ってた、とか言って自分の手柄にしようとする。
そして今まさに、その考えるふりをして、誰かの意見を待ってる。
昔の人は指示待ち人間だ、とかよく言われてたらしいけど、お父さんは指示待ちどころか、なにもかも待つ。

「病院に運んだら警察沙汰になるし、どうしようかな」
ようやく何か喋ったと思ったら、こんなわんこの餌にもならないような言葉だから、店中のみんなが呆れてしまって、
「いや、普通に病院連れてって警察に被害届だしたらいいでしょ」
「店が守ってくれないんだったら、私たち全員今すぐ辞めますよ」
「とりあえず店長、今日から勇者じゃなくてゴミクズって呼んでいいっすか?」
「おい、ロダンのモノマネ。ちょっとペプシ買ってこいや」
って罵倒されながら吊し上げられてる。なんだったら、脛とかちょっと蹴られたりしてる。

お父さんが言うには、鬼パンダは同じ半グレグループの先輩で、ステテコサウルスも鬼パンダに任されて店長になった。
しかも仮にも半グレなので、警察に探られたら痛いところがいっぱいあって、これまでの数々の悪事であるとか店の売り上げ誤魔化してるとか、脱税してるとか、深めに酔っぱらってる人から多めにお金取ってたとか、近所の酒屋で売ってる安酒を高いお酒の空き瓶に移し替えて騙してたとか。
全部自業自得だけど、とにかく警察は困る、の一点張りだ。

「お父さんさあ、少しはしっかりしてよ。大人なんでしょ」
「子どもは黙ってなさい!」
お父さんが珍しく怒鳴り声をあげる。これは相当テンパってる証拠だ。お父さんはテンパると声が大きくなる、肝は反対にガンガン小さくなって、最後は丸めたハナクソくらいになるけど。
「ゴミクズ、サイテー」
「娘に八つ当たりとかマジだせえ」
「生まれ変わってもう1回シネ」
「おめーがモサモササウルス行ってこいよ」
みんなからの株価も急降下してる。グラフにしたらサスペンスドラマの崖、そんな感じになると思う。

「とにかく! 父さんは警察にもモサモササウルスにも行かないから!」
「わかったよ! 私が代わりに行ってくるから、お父さんはそこで一生ケツ穴ミニマリストやってればいいよ!」
そう啖呵を切って、私はパーラメントと闘志に火をつけて、モサモササウルスに乗り込んだのだ。


別に恩があるわけでも義理があるわけでもない。でも貰った煙草の代金分くらいは返しをしてもいいわけで。


モサモササウルスは商店街のアーケードから2つ3つ奥の路地の一角にあって、ファンシー雑貨店・風俗店・焼肉屋・焼肉屋・地下格闘技場・フィリピンパブ・アニメ専門店、っていう酔っ払いが二日酔いのところにストロングゼロ流し込んで作ったような並びの、地下格のある雑居ビルの3階に店を構えている。
ちなみに1階は花屋、2階はぼったくりバー、4階は半グレの事務所。ピンポイントでも二日酔いな作り。

私はフードを目深に被って、3階に上がり、店のドアをノックする。
「ステテコサウルスの山田ですけど」
返事はない。だけど、中に人がいる気配は感じる。耳を澄ませば物音も聞こえてくるし、その物音が近づいてくる足音だというのもわかる。
私はドアに足をかけて、ぐっと力を込めて蹴り開けた。

正面から殴るように力のかかったドアは、ぐるんと2回転3回転しながら店の中を転がり、グラスや酒を薙ぎ倒していく。
「なんだぁ、おめーは!」
ドアに近づいてきてたカストリが怒鳴り声で尋ねてくる。カストリの頬からはすーっと血が垂れていて、飛んできたドアで切ったらしい。
「ステテコサウルスの山田ティラノです。おめーらをボコしに来ました」
そう告げる私の真横から、シケモクの鉄パイプが襲いかかってきた。

私は普段喧嘩とかしない。理由は簡単、シンプルによくないから。それと不公平だから。
人間には性別の差があるし、体重の差があるし、生まれ持った運動神経とかパワーにも差がある。
さらに生物にはもっと差があって、人間は素手ではヒグマやライオンには勝てない。ゾウにはもっと勝てないし、仮に大暴れするゾウに向かって金属バットを振り回しても、誰も卑怯とは言わないと思う。
それくらい生き物には大なり小なり、けれども絶対的な差がある。

その差を使って弱い相手にイキリ倒すような人間は、正直ゴミクズだと思う。
自分はそうはなりたくないから、無駄なケンカはしないって決めてる。
でも相手がそういう差を使って大上段からぶん殴るような相手だったら、その時は容赦しないとも決めてる。

だから武器でも人数でも好きに使って抵抗したらいい。
ナイフでも銃でも好きに持ってきたらいい。
私とお前たちにはそれくらい全然許されるような差があるし、鉄パイプ持ったくらいだと1ミリくらいしか差は埋まらない。

モサモササウルスの店内に入って5秒足らず、カストリは窓枠ごと壁を突き破り、何メートルも向こうの路地へと飛び出して、シケモクは真っ二つに割れた床に頭から突き刺さって、下の階のぼったくりバーでバウンドして酒瓶を片っ端から粉砕した。

繰り返し言うけど私は普段喧嘩とかしない。なぜなら、とっても不公平だから。
不公平は嫌いだ。不公平は嫌な気持ちになる。脱げない恐竜パーカーでさんざん苦労したからわかる。バイトの面接もたくさん落ちると死にたい気持ちになるし、高校だって通えないとわかると悲しくてたまらない。
そんな不公平を利用して、自分より弱い相手を殴るなんて最低な行為だ。
「助けてくぶへぇっ!」
「ごめんなさぶふぁっ!」
「許して下さびゃはぁっ!」
私は店内にいた黒服たちと、上から降りてきた全身ラクガキだらけの連中も、片っ端から横面張り回して、次々とテーブルごと、椅子ごと、壁ごと、床ごと、天井ごと、ことごとく店の外へと放り出した。

店の奥から滝のような汗を流しながら、日本刀を手に持った鬼パンダが、うわぁぁと叫びながら私に向かってくる。
ワンチャン、刀なら私を斬れるかもしれないと判断したらしい。でもその判断、子犬くらい甘いんだよね。

私はパーカーの袖を掴んで引っ張りながら腕を振り回して、日本刀をパキンと叩き折る。
生まれた時から着てる恐竜パーカーは、成長するに従って表面が段々と硬く強くなり、中学生の頃にはワイヤーを何重にも編み込んだような質感になった。さらに表面は小石みたいな、めちゃくちゃ細かい鉄板みたいな鱗がびっしりと生えてきて、1回試しにお父さんの持ってたドスで突いてみたけど、先端がボロボロに欠けただけで全然平気だった。
この頑丈さだけは、まだ顔も知らない上にティラノサウルスなお母さんに感謝してる。

がじゅっ。

掴んで来ようとする鬼パンダの手を齧り、ぺっと骨と肉片を吐き出す。
多分お母さんがティラノサウルスだからだけど、昔から歯は頑丈だし、物を噛むのは余裕だった。硬い牛筋やあずきバーも全然余裕だし、骨付き肉もおっとっと感覚でいけた。
本気を出せば人間の肉と骨くらい楽勝だ。

親指と人差し指を残して食いちぎられた指3本分の断面を無様に晒しながら、鬼パンダが噴き出る血を撒き散らして、どたばたと床を転がりながら踊ってる。
私は鬼パンダの首を掴んで持ち上げて、あばばあばばと壊れた笛みたいな音を漏らすだけの顔を覗き込んだ。


物心ついた頃から、ずーっと思ってた。

人間は殴るには軽すぎる。
本気で殴るには脆すぎる。
恐竜と戦うには弱すぎる。


「二度と私らの前に顔出すなよ。あと今すぐこの町……この地方から出て行け、めざわりだから」
私は鬼パンダの首根っこを掴んで、警告の言葉を耳元で囁いて、そのまま窓の外に落とした。

シガローネを1本咥えて、しゅぼっと火をつけて、胸いっぱいに涼しく甘い煙を吸い込んで、今日は最低だけど存外悪くない仕事をしたなあ、なんて考えたりした。
モサモササウルスのあったビルは3階から上はほとんどの壁が無くなって、2階より下も半分以上崩れ落ちて、剥き出しの鉄骨が墓標みたいに突き立っている。
さすがにちょっとやり過ぎた。ビル壊して少年院に入った人とかいるのか知らないけど、私もそういうところに入れられたりするのかな……?

「ティラノちゃん! え、なにが起きたの、これ?」
金属バットを抱えて走ってきたお父さんが、崩壊寸前の雑居ビルだったものを見上げて、私の顔を見下ろして、何度も交互に目線を向けたり外したりして、足はずっと小刻みに震えてて、なんだか安物のおもちゃみたいな動きをしている。

「えーと、まあ色々だよ」
「色々でビルって壊れたりするもんなの? 米軍とか来た?」
いや、米軍は来ないでしょ。戦争じゃないんだから。

そんなことより、お父さんが抱えてる金属バットだ。もしかして鬼パンダとやるつもりで来たのかな。
「お父さん、なんでバット持ってるの?」
「これはアレだよ。出てきたところをひとりずつ物陰からぶん殴って倒そう作戦だよ、賢いだろ。父さん、必死に考えてきたんだから」

私はふひひって笑いながら、地面に転がってる鬼パンダや黒服たちを指指して、もう倒す相手が残っていないことを教えてあげる。
「うわ、鬼飯田さん! なにこれ、生きてんの!?」
お父さんが鬼パンダをバットの先でツンツン突いて、かろうじて息があるのを確認して、ほっと安心の溜息を吐く。
「金属バットで殴ろうとしてたのに、生きてるか心配するの?」
「おかしいかな?」
「うん、馬鹿みたい!」
私は再び笑いながら、お父さんの腕にしがみついた。

「今日は焼き肉が食べたい!」



数日後、私とお父さんは車に乗って、山奥へと向かっていた。

ちなみに防犯カメラには私が雑居ビルに入るところが映ってたものの、ちょうど同時刻に地下格でイベントがあったのと、そもそも爆弾でも使わないとこんな破壊は出来ないと結論づけられて、未成年がうろうろしないように、あと煙草は20歳になってから、と簡単な注意を受けるだけで済んだ。
鬼パンダたちはまとめて入院して、治療が終わったら色々な罪の容疑で取り調べを受けて、おそらく当分はシャバの空気も煙草も吸えないことになると思う。

そんなわけで半グレグループは壊滅して、お父さんはしばらく身を隠す意味でも旅行することにして、お母さんが暮らしている山奥の恐竜マニアの私有地【奥日光ジュラシックパーク】に向かっているというわけ。
そこでは秘密裏にティラノサウルスや他の恐竜が飼育されている、らしいけど、世の中には変な場所も変な人もいるもんだ。
私もそこにカテゴライズされるんだけど。

「はい、着いたよ」
「……酔った……吐きそう……」
「山道だったからねー」

私は気持ち悪さを隠すためにペットボトルの水で何度も口をゆすいで、すごいもさんから貰ったパーラメントをぷかぷかと吹かし続ける。
空は青空、山は紅葉、切り開かれた草原には闊歩する恐竜の姿。

しかし、今更だけど、母親が恐竜って実感ないなあ。こんな体質に生まれてなかったら絶対信じてないし、お父さんを精神科に入院させてる。
それくらい現実感がない。

「ほら、ティラノちゃん! こっちこっち、お母さんだよ!」

お父さんが手招きする先には、まさに映画やゲームで見た通りのティラノサウルスが歩いていて、久しぶりに会うお父さんに一切気付かずに、高揚してはしゃいでいたお父さんを頭からバクリと噛みついて、そのままムシャムシャと噛み潰して飲み込んだ。

「あ……」

山田大男(山田ビッグマン)、享年40歳。好きな煙草はアメリカンスピリット、背中のタトゥーは歴代アメリカ大統領。
戒名は恐竜院殿合体結合大勇者。

私はなんとなくティラノサウルスに向かって手を合わせて、シガローネを1本ゆっくりと吸って、しょうがないから走って帰った。
大丈夫、私は時速50キロで走れるから。東京まで4時間ちょっとかかったけど。



それからステテコサウルスのアルバイト兼店長代理としてお店を継いで、今日も今日とて働いてる。
今日は新人さんの面接の日。
私には人の良し悪しもさっぱりわからないし、どこでなにを判断すればいいかもわからないので、まだ怪我が治ってないすごいもさんに無理言って出てきてもらった。

「すごいもさん、面接ってなに聞けばいいの?」
「いや、私も知らないって。こちとら19よ、納税の仕方もわからんってのに」
「それ言ったら私なんて16だから」
なんて役割を押し付け合っていると、ドアがガチャリと開いて、恐竜のパーカーを着た背の高い女子が入ってきた。

「よろしくお願いします、草野ブラキオ、18歳です。恐竜と人間のハーフでも働けるって聞いてきました」

私は唖然としながら、目の前の恐竜ガールと履歴書を交互に見比べて、無意識にシガローネを咥えて火をつけたのだった。


(終わり)


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短編書きました。

大本の発想は、なんだっけ? ツイッターで次の短編はティラノサウルスを主役にしよう、とか気づいたら呟いてました。たぶんティラノサウルスの画像かなにか見たのでしょう。

シガローネという煙草は、チョコみたいなパッケージに入ってて、長くておしゃれな煙草だったので、人生のご褒美じゃんって思ったので、ティラノちゃんの愛用品にしました。
私の愛用品はキリン一番搾りと檸檬堂です。

ティラノちゃんは本名、
山田究極最強暴君(山田アルティメットティラノサウルス)
なのですが、本編中に書く機会がないので結局名乗らなかったです。
でも名乗らなくて正解だなって書いた後で思いました。

ちなみにティラノサウルスの咬合力は全体でも人間の50倍、ピンポイントだと500倍くらいなのだそうです。
拳くらい余裕で一撃ですね。
絶対恐竜には逆らわんとこって思いました。


最後に
未成年の喫煙はダメ絶対!