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抜けば粉散る赤鰯の群れ~森ノ黒百舌鳥怪奇収集録~

妖刀というものは大陸数多の武器の中でも、類を見ない強力な力と認識されている。だが、決して最強ではないし、ましてや好まれるものでもない。その力を行使するには大きな代償を払わねばならず、結果として使い手の道を狂わせてしまう。拠り所としては松明の方が余程頼りになり、携えるなら鋼鉄の刃が最善で最良と言わざるを得ない。それでもなお、妖刀は剣士にとって憧憬であり誉れで在り続けた。命知らずの求道者だけが提げるに値する呪われた武器、それが妖刀なのだ。

廃界に限らず黒社会の人間は、実益と同時に見栄を重視する。体に彫り込んだ刺青はその最たる例で、精神の高揚や魔除けや加護といった効果もあるが、如何に強く雄々しく猛々しく魅せるか、本質は威嚇と威容の為にあるともいえる。それは手に握る武器も同じで、実用を考えれば飾りっ気のない武骨な剣や槍でも握れば済む話だが、鞘や刃の腹に不要な意匠を凝らすのは見栄の最たる例だ。その見栄も行き着くところまで行けば、過去の名称が使った武器や禍々しい伝承の残る妖刀の類に至る。つまり所持することに意味があるってやつだ。
「うちの首領が妖刀を欲しがってんだ、曰くつきの一振りなんか置いてないか?」
「ない。餅は餅屋、武器は武器屋だ。あっちの鍛冶屋にでも尋ねてくれ」
店に妖刀を求めてきた武侠の男を突っ返す。ボクの店、森ノ黒百舌鳥に今のところ妖刀は無い、強いていえば壁に刺さって抜けないままでいる大姦婦の血錆包丁がそうなのかもしれないが、客が求めている代物でないことは解る。おそらく名を聞けば誰もが恐れおののくような曰くつきの妖刀であって、寝た男の数だけ竿を切り落とした生臭い包丁では無いのだ。いや、この包丁だって猟奇趣味の愛好家なら喉から手が出るほど欲しがるのだぞ、ちょっと手元が滑って壁から抜けなくなっただけで。
「なんか最近多くないっすか? 流行ってんすかね?」
「なんでだろうな、何処ぞの馬鹿が革命でも目論んでるのか?」
店番の鴉爪の言う通り、最近は妙に妖刀だの呪われた武具だのを求める客が多い。いよいよ壁に刺さった包丁を抜く時が来たのかもしれない。根元まで飲み込まれた包丁の柄に視線を移し、やはり無理だと諦めて目を逸らし、偶然反対側の壁に飾ってある龍の意匠を施された青銅製の楯に気が付く。厳密には楯にではない、龍絡みの野暮用にだ。
「……妖刀で思い出した。青龍(チンロン)を迎えに行くんだった」
「青龍? 誰っすか?」
「おい、口を弁えろ。四獣のひとりだぞ」
四獣、ボクも含めたフェイレンの四人の龍頭にして、老舗の暗殺組織の誇る十二人の技能保有者の一角。四凶は身体の強化と改造を突き詰めた人面獣身の怪物、四罪は呪詛や呪術を極めた術者だが、四獣は格闘や武器の技に特化している。朱雀であるボクは暗器の扱いと軽業を磨き上げたが、青龍は武器術、特に刀剣の腕を磨き上げた。二十半ばと四十過ぎという年季の違いもあるが、ボクと彼との腕を比べたら大きな差がある。それこそ技量だけで考えれば針と方天戟程の差だ。
刀を持てば並ぶ者無し、偃月刀を持てば立ちはだかる者すら居ない。それが当代の青龍の虚飾無しの評価だ。
「まあ、武術以外は本当にどうしようもないが」
これもまた忌憚のない評価というものだ。そう、本当に武術以外の全てにおいて駄目な人間なのだ。

廃界の入り口には、千年前に建てられた石造りの巨大な凱旋門とかつての戦争の名残の穴だらけの城壁がある。役人や正規の商人は堂々と凱旋門を通り、流民や闇商人は城壁に開いた骸門と呼ばれる穴を通る。当然ボクらみたいなのは骸門を選ぶのだが、青龍という男は遠慮がないというか縄張り意識が希薄というか、分かりやすいという理由で毎回毎回凱旋門を抜けて入ってくる。当然、警備局の門番や兵士に絡まれて揉めることになるが、青龍を止められる武力を持つ者は殆どいない。複数の兵士に囲まれようと剣一本で斬り抜ける力があれば、法にも慣習にも権力にも縛られずに済むのだが、普通は気を遣って面倒事を避けるものだ。
「お、いたいた」
凱旋門の付近に解りやすく武装した男たちが転がっていて、判りやすく警備兵が怪我人を運んでいて、その先には男にしては小柄な薄汚れた男が立っている。伸ばしっぱなしの髪は何日も梳いてないのか無造作に乱れ、顔の下半分は無精髭で覆われ、身形は無作法で砂埃で汚れているが、一振りの青龍刀を腰に提げ、一振りの偃月刀を背にした立ち姿には地面に突き立てられた名刀のような美しさがある。
「おい、なにかあったのか?」
「新参の破落戸共が龍に喧嘩を売っちまったんだよ。真っ昼間から仕事増やしやがって、迷惑な話だぜ」
怪我人を運んでいた兵士が、喉に絡んだ痰でも吐くような顔をして答えてくれた。
この町の兵士は四獣を含めた黒社会の実力者に喧嘩を売らないが、流れ者や破落戸はその限りではない。流れ者は相手がどんな生き物かを知らないし、破落戸は万が一でも強者に勝てたら名が上がる。大抵は今みたいに頭でも打たれて診療所に運ばれることになるわけだが、それでも成り上がりを夢見て挑む馬鹿が居なくなることはない。治安維持をすっかり諦められた暴力と汚職に満ちた廃界で、それでも往来を兵士が闊歩しているのはそういうことだ。なるべく死人を出さないでくれという嘆願と、事故が起きた時の清掃のためだ。
兵士が青龍に声を掛けて、何度か言葉を交わした後、あっさりと引き下がっていく。おそらく事情聴取という名目で連行を試みて、多分めんどくさいという理由で拒否されて、じゃあしょうがないなって引き下がったのだろう。破落戸からしたら仕事してくれという状況だが、廃界ではこれが普通の光景だ。圧倒的な武力や権力に対しては、同等以上の力を持ってこないと対処できない。警備局からしても破落戸なんぞの為に軍隊を動員してくれ、なんて話はお断りなのだ。
そんな誰も望まない慌ただしさの中、青龍がボクと目印代わりに連れてきた鴉爪に気づいて、こちらに近づいてくる。鴉爪も含めた店番たちは嘴のような面を被っていて、独特な恰好は雑踏の中でも目に付き易い。更に鴉爪は背も高いので嫌でも目立つ。青龍からすれば見つけ易い目印になるし、背丈がそれほどでもないボクとしても余計な手間が省けて便利だ。
だが、何時まで経っても一向にボクらに気づく気配がないので、仕方なく槍の間合い程の距離まで近づいて声を掛けることにした。一体この男はどこを見て生きてるのだろうか。もしかして前髪が邪魔で見えてないのか。
「久しぶりだな、青龍」
「……ああ、朱雀か。久しぶりだな」
絶対忘れてただろ、お前、と問い質したくなる間と反応だが、こんなことで目くじらを立てても果てが無い。青龍相手に引っ掛かりを作ったら負けだ、本題に入る前に日が暮れてしまう。
「そうだ、御前試合の結果だが負けた」
「大陸は広いな、お前に勝つ奴がいるなんて」
「そうだな、まさかあんな負け方があったとは」
青龍は帝都で行われる御前試合に出るために半年ほど前に廃界を旅立った。青龍含めた四獣を龍頭に添えるフェイレンは匪賊集団で、匪賊はいつだって権力者を倒すためにある。もちろん最終的な目標は皇帝の暗殺で、その為にボクは直接献上するに値する価値ある物を探し、青龍は皇帝の目の前で繰り広げられる御前試合に参加しようと目論んだ。とある地方都市で予選に出場した青龍だが、世界は広く、上には上がいるらしく、負けてしまったのだそうだ。
「それで、どんな強敵だったんだ?」
「試合自体は三秒ほどで終わった。そこまでは良かったんだが……」
青龍の話によると、第一回戦で優勝候補と騒がれていた男を一刀の下に斬り伏せ、瞬く間に二回戦へと歩を進めた。しかし次の試合まで暇を持て余した結果、ふと自分が戦えるのは精々数人、他の出場者と戦えないのは剣士として勿体ない、ならば全員と戦ってしまおう、と考えて木剣を手に片っ端から叩きのめしてしまった。出場者と止めに入った警備の兵士も含めて百人ほど気絶させたところで、主催者から地面に頭が埋まる程の土下座を披露され、お願いだから帰ってくださいと懇願されてしまい、賞金と旅費を渡された上で追い出されてしまった。
要するに反則負けだ。勝ったのだから御前試合に出る権利はあるだろうと主張もしてみたが、頼むから出ないでくれと領主にまで頭を下げられてしまい、このまま出ようとしても中止になるだけだと判断して帰ってきたそうだ。
「……解せない話だ」
「いや、解るだろ。皇帝は強い奴が見たいわけじゃなくて、それなりに腕のある者同士の野蛮な殺し合いが見たいだけだからな。そんな騒ぎ起こすような奴、呼ばれるわけないだろ」
せめて手加減してくれとも思ったが、おそらくこいつは手加減をしたのだろうし、その上で秒殺という結果になったのだろう。あまり物事に動じない、というより武術以外に関心のない青龍も、さすがに不服そうな表情をしている。乱れた髪から覗く両の目は藪の中に潜む毒蛇のような暗い光を宿し、纏った空気には明らかな不満が燻っている。このまま辻斬りでもしそうな危うさもあるが、流石に帰って早々、そんな無意味なことはしないだろう。この男は気狂いに刃物を地で行く生き方をしているが、これでも四獣の中では穏健な方で、単に常識と関心が無いだけなのだ。ただそれ故に斬ってはいけない者でも、少しの間違いで簡単に斬り捨ててしまい、戦ってはいけない相手とも当たり前に争ってしまうのだが。
ついでにいうと生活力と想像力と共感力も無いのだが、そこまで指摘すると言い過ぎるというもの。ボクもそれ以上は口を紡ぐようにしている。

「ところで店主、なんでさっきから微妙に距離を開けてるんすか?」
刀と槍の中間程度の一定の距離を保つボクらに向けて、鴉爪が知らないなら当然の疑問を投げかけてくる。特段これといった因縁があるわけでも仲が悪いわけでもなく、お互いに実力者を見かけたら問答無用で襲い掛かる類の戦闘狂でもなく、どちらかというと無駄な争いを嫌う平和主義者だ、少なくともボクは。では何故、近過ぎず遠過ぎずの距離を保っているかというと、偏に目の前の見るからに無作法で薄汚れた男の、意外と繊細な体質が原因なのだ。
手をひらひらと振って鴉爪を数歩ほど後ろに退かせ、一足飛びに青龍との距離を詰め、服の袖や裾を手で払い、すぐさま後方へと大きく飛び退いた。
「なんすか、今の?」
「見てれば解る。いや、見ても解らないが、とにかく見てれば解る」
自分でも矛盾していると思うが見ていれば解るし、事実として見たところで解らないのだ。
青龍が背を丸めて大きなくしゃみを吐き出した瞬間、ボクと奴の間にあった地面に浅く鋭い裂け目が走る。再びくしゃみが起きると、たまたま近くに刺さっていた立て札が真っ二つに割れ、三度くしゃみを鳴らすと斜め上にあった欄干が脱力したように落ちた。もちろんボクの目にはくしゃみが起きたと同時にそういう現象が起きたようにしか見えないし、鴉爪の目にも奇異な出来事としか映らないだろう。
しかし事実はそうではない。くしゃみを吐き出す際に上半身に伝わる緊張と硬直で、反射的に偃月刀や青龍刀で辺りの物体を斬っているのだ。しかも本人には斬る意思も無く、あくまでも反射の動作で斬っているだけなので敵意や集中といった技の起こりは生じないまま、一切の予備動作無しに抜刀と斬撃と納刀を行えてしまうのだ。本人が言うには、この居合いの技は無拍子撃ちと呼ぶらしく、他にも高熱や睡魔で意識が朦朧とした時に太刀筋が不自然にうねる蛇道剣や、暗闇や砂嵐で視界が失われた際に気配を察知したものを無意識のうちに斬る無明剣といった数々の技があるが、それはそれでまた別の話だ。
なお、原因はボクの衣服に引っ付いた細く柔らかい糸のような猫の毛だ。ボクは一匹の猫を飼っていて、青龍はどういうわけか体質的に猫の毛を受け付けない。くしゃみが止まらなくなり、本人の意思と無関係に無拍子撃ちを多発させてしまうのだ。ちなみに花粉の時期には目が痒くなり、蕎麦を食べたら喉が詰まり、青魚を食うと全身が痒くなり、その都度その都度、目にも止まらない高速の斬撃を繰り出してしまうので、もういっそ近づくこと自体やめておこうと四獣の間で決めたのだ。
「猫飼ってたんすね」
「奴に悪いが猫を手放す気はないぞ、猫は一度飼うと猫無しの生活には二度と戻れない。酒や拉麺と一緒だな」
「いや、猫と拉麺は全く違うと思うっすけど、それにしても厄介な技っすね」
鴉爪が否定してくるが、猫と拉麺は同じなのだから仕方ない。ボクの人生に必要なものを上から順に並べると、猫と拉麺と酒だ。ついでに復讐心も必要だが、猫を上回ることはない。猫、拉麺、酒、寿司、餃子、復讐心、せいぜいこのくらいの位置だ。
「っくしょい! ああ、やっと治まった……」
青龍がようやく発作を治めて、手当たり次第に引き裂かれた周囲を見回している。まったくもって迷惑な技だが、ひとつだけ感心する事があり、奴はくしゃみの原因である猫を倒そうとは考えないのだ。猫が悪いのではなく自分が悪い、と殊勝な考えを持っているのか、それとも犬でも狸でも狐でも猿でも猪でも、毛のある生物は大抵反応してしまうから果てが無いからなのか、どちらにせよ猫飼いのボクとしては頭が下がる。
「すまないな。怒るならボクじゃなくて、こっちの嘴に怒ってくれ」
だがボクも悪くないので怒らないで欲しい。
「怒りはしないが……顔を洗いたい、しんどい」
洟を啜って喉の奥から低い音を吐き出しながら、青龍が水を要求する。相当くしゃみが辛かったのか、顔が赤みを帯びているし、蛇のような目が赤色に染まって一層不気味に見える。それ以外は破れた雑巾同然だが。

「あー、やっと落ち着いた……」
その辺りの屋台で水を貰って、ついでに詫び代わりに小籠包を買ってやったのだが、聞けばうっかり一昨日から食事を忘れていたらしく、相当腹が減っていたそうだ。何をどうしたら食べ忘れるのか不思議だが、この男に疑問を持ってはいけない。何度でも言うが気にしたら負けだ。
「詫びついでに鍛冶屋か武器屋に連れて行ってくれないか」
「それは詫びる側の台詞だと思うが、剣の具合でも悪いのか?」
「偃月刀に少し違和感があってな。手入れしながら誤魔化し誤魔化し使ってきたが、さっき石畳を斬ったせいか、いよいよ駄目になったらしい」
青龍は偃月刀の刃に被せた革製の鞘を外し、ボクの目の前に差し出してくる。刃と柄を繋ぐ留め金が不安定そうに揺れ、連結部分は布を詰めて隙間を塞いでいるが、それでもなお僅かに傾く程度に噛み合わなくなっている。
「一度本格的に修理に出すか、いっそ新調してしまうか考えてたところだ」
「金はあるんだろうな? ボクには偃月刀買う程の余裕はないぞ」
「追い出される時に大金を積まれたからな。旅費で多少使ったが、武器代くらいは残ってる」
だったらなんで飯を食ってないんだ、と言いたくなったが、言葉を飲み込んで鍛冶屋と武器屋の場所を思い浮かべる。何軒か心当たりはあるが、どうせなら間接的にボクの懐が温かくなるか、ボクのこの町での待遇が上がる方が良い。となると、同じ逢魔小路に店を構えている工房なんて、実におあつらえ向きだ。あそこの店主は金に五月蠅いが、同時に義理を大事にする義侠心もある。上客を紹介したとなれば短剣の一本も提供してくれるかもしれないし、そうでなくとも周りの店に良い噂話くらいなら流してくれるだろう。
「店主、悪い顔してるっすよ」
「悪い顔じゃないぞ。良い顔と自惚れるつもりも無いが」
そう、あくまでも親切と利益と、ついでに僅かな欲得なのだ。
しかし物事というのは櫂を忘れた船のようなもので、要するに上手く運んでくれないもので、予期せぬ落とし穴だったり障害だったりが付き物だ。嘴面を着けている内は飯を食えない鴉爪を脇に置いて、小籠包を頬張りながら歩いていると、路地の奥、廃屋同然の建物の屋根から鋭利な刃物が飛んできて、鴉爪の嘴を斬り落としていったのだ。本来は首が落とされる確度だったが、咄嗟に襟首を掴んで引っ張って生き永らえさせた。
刃が飛んできた方向には雨も降っていないのに傘を差した人影が佇んでいて、目を凝らして観察すると傘の表面は紙や布ではなく金属のような光沢を帯び、薄く伸ばされた板状の刃が重なっている。その傘がくるりと風車のように回り始めると、次々に板が外れて燕のような鋭さで襲い掛かってくるのだ。
ボクも暗器は色々と使うが、傘状の暗器はそう多くない。せいぜい柄や骨組みに細剣を仕込むくらいで、薄刃を貼りつけて自在に飛ばすなんてのは初めて目にする類だ。しかし種が明かされれば暗器は恐るるに足らず。尻餅を着いた鴉爪を足蹴にして退かせ、身を捩って刃を避けてみせる。青龍に至っては刃を片っ端から叩き落とし、相手に見せつけるかのように最後の一枚を大上段から両断した。どうやら敵の放った攻撃に興味津々のようで、普段の姿からは考えられないくらい目が爛々と輝き、愉悦で口角が上がっている。
「俺は出草族タルタイのサ・ロア! 四獣がひとり、青龍殿とお見受けする!」
「出草?」
「なんで知らないんだよ、先住民の首狩り族のことだろ」
廃界で長く暮らす者なら誰しも一度や二度は耳にする名前だが、出草族というのは廃界周辺に暮らしていた先住諸部族の総称で、その名の通り出草という所謂首狩りの風習を持つ連中だ。細かく分けたら三十近い数の部族があり、中でもタルタイというのは首狩りの誇りを重んじている少数部族だ。ちなみに文字にすると足体、首が無くても体があれば足りる、という死ぬまで戦えという意味合いの諺が由来となっている。先祖代々より強い敵の首を狩った者が偉大であるとする慣習があり、族長を選ぶ際も、伴侶を娶る際も、土地や家屋を得る際も、ありとあらゆる交渉事が生前の首の武勇で決まる。
「個人的な恨みは無いが、強き者の首は部族の誉れ! 潔く首を差し出せ!」
名乗りを終えた人影は撃ち止めとなった傘を投げ捨てて、大きく跳躍しながら腰や背中に括りつけた数多の刀剣から一振り選んで抜き、
「我が妖刀の錆になるがいい!」
腕を大きく回して明後日の方向に放り投げたのだ。空中へと飛び出した刀は不自然なまでに軌道を変えて、先程の傘の暗器よりも鋭く、猪を走らせるかの如き勢いで向かってくる。
「この百年目、相手がどこまで逃げようと延々と追いかける呪われし剣! 運の尽きと諦めて、その首寄越せぇ!」
「へー、便利な武器だな」
青龍は百年目を叩き落とし、同時に足を高く上げてから柄を踏みつけ、地面に深々と簡単に抜けないように突き立てる。そのまま左手を前に突き出して、指を内側へと動かして挑発し、次の攻撃を要求する。
「ならば七十七夜で相手になろう! この妖刀は斬った相手を七十七後に確実に死に至らしめる呪われし刃。掠っただけでも最後だと思え!」
次は獣の骨を搔き集めたような歪な剣を振りかざし、上半身を前に乗り出すように腕を伸ばした体勢で遠間から仕掛けてくる。独特な太刀筋は普通の武器では効果を発揮しないだろうが、掠めれば済むのであれば速くて遠いことだけに全てを注力できる。不安定な打ち方なので、当然、簡単に払われて横薙ぎに折られてしまうのだが。
「だったら魔湖泉怪魚ならどうだ! この柄だけの妖刀は空気中の水分を吸収して刃と成すのだ!」
秋刀魚を模した柄から伸びた短刀程度の細くて弱弱しい刃が振るわれるが、そんなものを振るくらいなら初めから鉄製の短刀を振るった方が早い。瞬く間に真下から払われて、そのまま路地の向こうへと飛んで行ってしまう。
「ええい、次は……」
「なあ、いちいち説明しないといけないのか!?」
あまりに緊張感の失せた空気のせいで思ったよりも大きい声が出てしまったが、それくらい吐き出したい気持ちにもなる。よく見ろ、青龍も攻撃される前に説明されるものだから、酷く退屈で面白くなさそうな顔をして、おまけに呆れ果てて溜息まで吐いているだろうが。
「見てみろ、おらぁ! うちの青龍さんが不満過ぎてがっかりしてるじゃねえか! どう落とし前つけるつもりだ、あぁ!?」
さっきまで腰を抜かしていた鴉爪が、流れに便乗して輩のように怒鳴り声を投げつける。有利になった途端に調子の良い奴だな、こいつは。その図々しさ、人間としては駄目だが悪党としては正解だぞ。

その後も、曇天祈祷という天候を僅かに操って洗濯物が湿る程度の小雨を呼ぶ複雑な模様の儀礼刀だの、鳥討矢陣という刃が十分割されて一個一個飛ばしていく輪状の武器だの、罪人虐という刀身の中程から伸びた鉤が自在に動く長巻だの、五行剣という先端から水を撒いたり蔓を伸ばしたり石飛礫を飛ばしたりする木剣だの、古代大王という斬った者を急速に老化させる平らな銅板だの、二枚舌という刃の真下にもう一枚の刃を隠した連刃剣だの、犠牲杖という生命力を破壊力に変える錫杖だのと、飽きもせずというか懲りもせずというか、とにかく次々に繰り出されはしたが、悲しいかな腕が足りていない。
決して弱くもなく、身のこなしや武器を何本も抱えて動ける筋力からして、鴉爪や他の店番よりかは数段上の使い手なのだが、如何せん相手は四獣のひとり、それも刀の達人である青龍だ。まだボクや他の四獣相手であれば善戦出来たかもしれないが、正直言って挑むのが無謀なくらい差は歴然としている。
「暇潰しには面白かったが、そろそろ日も暮れるからな。終わるとするか」
完全に飽きてしまったのか青龍が欠伸を噛み殺して青龍刀を構え、無造作に出草の剣士へと振るったが、剣士は今までにない素早い身のこなしで刃を避けて、残った一振りを構えて斬り返してみせる。どうやら全身に纏わりつくように結ばれていた武器が外れ、動きを阻害する物と余計な重さが無くなったことで、本来の速さと鋭さを発揮したのだろう。それまでの鈍足に慣れてしまった青龍は意表を突かれる形になり、しかも後ろに跳んで避けたはずの、更には間に青龍刀を挟んだはずの軌道の先で、浅めではあるが左肩辺りで鮮血が舞ったのだ。
最後の一振りも妖刀のようで、それまでの我楽多とは異なり、別格の強みを備えている。なにせ見えない刃だ、しかも障害物を無視するときた。剣士としては卑怯過ぎて振るうのを躊躇われるのだろうが、暗器としては百点満点の武器だ。奴が青龍に負けた後でこっそり拝借しよう、当然返すわけもないが。
「妖刀菜切……剣士としてはあるまじき見ることも防ぐことも出来ない最強の刃、悪いが首を落とさせろ!」
出草の剣士が次々と斬撃を繰り出す。しかし先程の一撃、あれで仕留めきれなかったのが良くなかった。青龍は完全に妖刀菜切の間合いを捉え、辛うじて服に掠る間合いを保ち続け、相手が焦って大きく踏み込んだのに合わせて偃月刀を繰り出した。偃月刀の重量と速度を真正面から受けてしまった妖刀は大きく歪み、間合いと軌道が狂い、それに焦った剣士の頭蓋に青龍刀が突き刺さる。
噴水のように血を撒き散らして剣士は地に伏せ、奴の持っていた妖刀の数々は当たりから外れまで片っ端から壊されてしまったのだ。そう、ボクが貰うはずだった分まで。
おい、青龍、どうしてくれるんだ。ボクの妖刀が畑仕事の後の老人の腰みたいになってるじゃないか。
「店主、また良からぬこと考えてないっすか?」
「考えてない!」
ボクが考えているのは真っ当で正当な抗議だ。断じて良からぬ事などではない。


【妖刀菜切】
かつて海の向こうの島国から流れ着いたと伝わる妖刀。形状は鋭く尖った短剣で、柄には黄金色の鮫皮状の、鞘には夜光貝を用いた螺鈿が施されている。
凄まじい切れ味を誇り、最初に所有していた農夫は泣き喚く赤子を脅かしてやろうと、遠く離れた位置から戯れに振って斬殺してしまった。その後、検証に立ち会った役人、裁判官、革命家、暗殺者、収集家、貿易商と様々な者の手に渡り、例外なく不慮の事故を巻き越し続け、流浪の果てに所在不明となった。
現在確認されている菜切は全部で五本だが、そのどれもが間合いが大きく異なり、内二本は戦争の最中に焼失してしまったと記録されている。本物の菜切は屋内から振って隣家の飼っていた山羊の首を落としたこともあり、その間合いは長柄槍の数倍に達する為、五本全てが誰かの複製した偽物と考えられている。
つい最近また一本失われてしまった。


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