見出し画像

河童巻きは河童を巻いているわけではない~森ノ黒百舌鳥怪奇収集録~

鮨というのは大陸の東端地域を発祥とする郷土料理だ。炊いた米に酢と塩と砂糖を混ぜて、新鮮な生魚や酢で締めた青魚、炙った魚の切り身などを乗せたもので、食材による差異はあれど概ね醤油と摺り下ろした山葵をつけて食べる。生魚を乗せる都合上どうしても海岸部でしか流行らず、大陸中央部の帝都ではまずお目に掛かれない希少な料理であり、味の虜になった高官の中には貴重な休暇を費やしてまで港湾に出向く者もいるのだとか。それも解らないではない、かくいう自分も寿司に出会った時、まるで人生が変わるくらいの感動を覚えた。もっと様々な寿司を食べたいと海岸沿いを渡り歩き、幾つもの名店を探し当て、この十年で美食家として相応の名声と信用を得た。それこそ皇帝の側近からも知られる程に。
まさに今人生で最も輝いている、そう確信するくらいの成功を手にしたのだった。しかし盛者必衰、諸行無常、色即是空になんたらかんたら、成功者が転落するのは一瞬、ほんの些細な失敗や傲慢、或いは避けようのない天変地異のようなものとか。あの日、あの店にさえ行かなければ、他の店を選んでおけば、そもそもあんな地の果てのような場所に行かなければ……今もそう悔やまずにはいられないのだ。

「へらっしぇーい!」
凄まじい達筆で河童鮨と書かれた看板の、しかし達筆ぶりに似つかわしくない金箔で塗りたくられた派手でけばけばしい構えの、されど建物自体の古さを隠しきれない店は、まったくもって実に奇妙な店だった。暖簾を捲くると頭に皿を乗せて亀の甲羅を背負い、手足には水掻きのついた緑色の奇妙な生き物が店内を所狭しと忙しくなく駆け回り、その生き物を率いているのは年の頃は五十を過ぎていそうな男。しかも頭頂部の髪は金色で短く側頭部と後頭部の銀色に染めた髪を長く伸ばして三つ編みにし、その恰好は年の割に若々しく、というよりはむしろ軽率で、花柄の褌一丁の上半身には威圧するような七色に輝く龍の刺青を彫って、胸には人類皆穴兄弟などと書いている。一方で、右の脇腹から左腰に掛けて槍に巻きついた蛇、更に左脚に掛けて槍を支える剛力の亀が彫られ、そちらは実に見事な燻し銀な出来栄え。
自分の経験上、こういう相反する刺青を彫った輩はどうしようもない社会不適合者、或いは碌でもない異常者に違いない。きっと何処ぞの博徒の親分の放蕩息子か何かで、あの年になるまで親の脛を齧り続けて、そのまま年だけ食ったような屑人間。全身から醸し出される生産性のない非労働力の気配、顔に滲んだ無駄飯ぐらいそのものの知性を感じさせない風貌。更に阿呆が馬鹿丸出しの恰好をしているのだ。ああいう勘違い野郎が蔓延るから、この国は一向に良くならないのだ。この店も絶対に不味いに決まっている。
「おい、なに食うんだ!?」
しかし店に入ってしまったからには鮨のひとつも頼まねばならぬ。いくら社会不適合者と奇妙な生き物の店とはいえ、暖簾を潜ったからには食べて帰るのが礼儀だ。己の魂の位置を下げてはならない、郷に入っては郷に従えというやつだ。
「そうだな……この店は、何がお勧めだ?」
「そうだなー、お勧めは炒飯と餃子だな!」
「ここは鮨屋なんだよな?」
「だから、酢飯の上に炒飯と餃子乗っけんだろ? 結局それが一番うめえんだよ! 騙されたと思って食ってみな!」
これ以上こいつと喋ってると頭がおかしくなりそうだ。酢飯の上に炒飯を乗せた鮨など、この十年で見たことも聞いたことも無い。餃子も右に同じだ、しかし目の前のこの社会不適合者は、妙な生き物に雑に酢飯を握らせて、その上に握り飯のように仕立て上げた炒飯を子亀のように乗せ、孫亀のように餃子を盛り、おおよそ鮨とは呼べぬ食材への冒涜を目の前に突き出してきた。しかも冒涜はそれだけに留まらず、おおよそ鮨とは呼べない料理の上で丸みを帯びた茸を乾燥さえたような何かを削り始め、鮨擬きの上に大雑把に降り掛けてみせるのだ。
「ほらよ、河童鮨名物、炒飯餃子鮨の削り尻子玉節乗せだ! ほら、食ってみな!」
「え? 何を乗せてるって?」
「尻子玉だよ、尻子玉! こいつが効くんだ、一匙食べただけでも寝たきり死にかけ爺が発情期の馬並みよ! 男ってもんは、いつだって金玉はみっちみちに積めとかねえとなあ!」
どうやら乾燥茸のような何かは精力剤に等しい働きがあるようだ。その説明を聞いた緑色の奇妙な生き物が、股座に箒を挟んで上下に動かしながら下品に笑っている。それにしても奇妙な生き物だ、人間に近い姿をしているのに知性を一切感じさせない。いや、知性を感じさせないのは目の前の社会不適合者も同じ、或いはそれ以上なわけだが。
「なあ、大将。さっきから走り回ってるあの生き物はなんだ?」
「あぁん? おめえ、河童知らねえのかよ? 河童も知らねえとは、さては田舎者だな?」

【河童】
物を知らねえ田舎者にも解りやすく教えてやると、河童ってのは妖怪の類だな。頭に皿を乗せて背中に甲羅、手足の指には水掻きが生えてて、大きさは十歳程度の餓鬼ぐらい。見ての通り泳いだり潜ったりが得意なくせに、相撲が趣味でしょっちゅう陸に上がって人間と遊んでやがる。性格は獰猛で口汚く、一の言葉を投げたら十の糞を擦り付けてくるが、恐らくこの廃界の水が汚ねえからだと俺は睨んでいる。
ちなみにこの店で働く河童の給金は胡瓜だ。鮨を握る河童も運ぶ河童も、地下で御仏のちんちんより野太い謎の棒をぐるぐる回してる河童も、全員一律で一日胡瓜三本、それ以上は蔓でも蔕でも食わせねえ。上下関係がだらしないと河童はすぐに調子に乗って、尻子玉を抜こうとしやがるからだ。

「河童は全員、俺の子分だからよ! おかげで俺は何にもしねえで済んでるわけだ! 楽な商売だぜ、ぎゃはははははっ! 今度よお、魚を裸の女に乗っけたの出そうと思ってんだよ! 名付けて女体盛り、助平で旨い! 最高だろ! 馬鹿売れ間違い無しだぜ、ぎゃあっはっはっ!」 
なにが可笑しいのか男はぎゃはぎゃはと爆笑しながら、そのまま表に飛び出して、道行く女性に声を掛けては横っ面を叩かれている。一体どういう人生を送ったら、こんな下品で下劣で下等な生き物が産まれてくるのだ。しかも横っ面を叩かれても懲りもせず、勢いを衰えさせることなく女を口説き、また横っ面を叩かれている。どうやら学習能力は持ち合わせていないようだ。
そうこうしている内に男連れの派手な女に声を掛けてしまい、しかもよりによってその男が、廃界でも名の通った無頼の輩。毒蛙と名付けた破落戸軍団を引き連れて暴れ回り、最低でも十人、一説によると三十の敵をこの世から消しているとの噂もある、まさに最低最悪の男だ。しかし社会不適合者は殴られた途端、思い切り毒蛙の頭目に殴り返し、そのまま馬乗りになって獣のように拳を振り下ろし、さらに何発も頭突きを喰らわせ、執拗に股間を踏みつけて腹を抱えて笑っているのだ。さらに駆けつけた部下たちをも次々と殴り倒し、店に戻って椅子や机を持ち上げて思い切り叩きつけ、更には客である自分の足を掴んで上下左右に振り回し、即席の人間棍棒に仕立て上げる始末。
「三十人殺しの毒蛙だぁ!? 知らねえなあ! 少ねえなあ! なんだ、その小銭みたいな人数は、糞沼の雑魚の稚魚がよぉ! 俺はなあ、千人より先は! めんどくさくて数えるのやめちまったぜえ!」
そんな悪魔の化身のような者がいるはずはない。当然はったりに決まっていると思うが、そんなことより今は凄惨極まるこの状況、店の中も外も叩き伏せられた破落戸が血反吐を吐いてのた打ち回り、表の路地だけで済まされず近隣の店も被害甚大、おまけに何処からか火の手が上がり、辺り一面が真っ赤な炎に包まれている。ついでに振り回されている自分は、頭も顔も瘤だらけで全身痣だらけ、今まさに前歯が飛んで行ったところだ。
「ぎゃっはははぁっ! おい河童共! この炎で魚焼いてよお! 酢飯の上に乗せちまおうぜえ!」

馬鹿が! 寿司はそういうのじゃない、そういうのじゃないんだ!

そういうこともあり、自分は廃界でも客の絶えない腕利きの医者のところへ運び込まれ、しばらく入院して行きなさいと寝台の上に乗せられ、どういうわけか河童たちに囲まれている。
「なんなんだ、あの男は……どういう教育を受けたら、ああなるんだ?」
「あのおっさんはよぉ、昔は一本筋の通った堅気に迷惑を掛けない、武侠の鑑みたいな男だったんだけどよぉ! ある日を境に人間が変わっちまったみてぇに、河童みてぇになっちまったんだよな!」
「なんでそうなったか、だぁ!? 河童がわかるわけねえだろうがよぉ! ギャッハハァ!」
「俺たち河童はよぉ、胡瓜と相撲以外はなんにもわかんねえからよぉ! ギャハッギャハッ!」
誰だ、そんな風にした犯人は? 見つけたらぶん殴ってやる!
鼻息荒くしながらも、どういうわけか全身が強烈な虚脱感に襲われて未だに起き上がれない自分の横で、本能的に苛立たせる人を舐め腐った顔をした河童たちが、ぎゃはぎゃはとまるであの男と同じように下品に笑いながら、掌大の謎の球体を掲げて酔っぱらったように飛び跳ねているのだった。


主話へ▶▶▶