こころをころす

幼稚園時代は、授業をさぼって園長先生と散歩をしていた。

小学校時代は、だれとも仲良くなりたくなくて、図書室でからすのぱんやさんを読んでいた。

中学時代は、まあまあだった。

高校時代は、思い出したくないことが半分、素敵な出会いが半分だ。

そんなかんじだったけど、家に帰れば大好きな両親がいて、安心で、守られていた。おかあさんは私にとって親友だった。

でも両親は、「こんな場所、はやく出ていくべきだ」と、毎日のように口にしていた。私が生まれ育ったのは、畑が広がる田舎。おとうさんはそんな田舎が大嫌いだった。ご近所さんはみんな他人の噂話が大好きで、そんな村にうんざりしていたため、幼少のころから「こんな場所に住むんじゃない、18歳になったら家を出なさい。」と言っていた。わたしは、自分が好きなのか嫌いなのかもわからなかった村を18歳で出ることになった。出た方が、両親が喜ぶと思ったからだ。大学も行きたいとは思わなかったけど、行った方が両親が喜ぶと思ったから行ったのだ。ずっと両親が喜ぶ選択をしてきた。両親が喜ぶ道を生きることができるほどの技量が自分には無いことを知らずに。

大学という場所は高校よりも自由がきくから、IBSを患っていても卒業できるよ。もしだめでもいってごらん。行ってダメだったら、やめていいから。と、高校の先生、両親に言われたけれど、高校時代の比にならないくらい、大学も苦労の連続だった。

授業中は、絶対に端っこの席に座った。真ん中に座ると途中でトイレに行く際に、隣の人にどいてもらわないといけないから。体調を整えるために早く起きた、遅刻しないように早く寝た。友達にも言えずに、健康を装った。友達に嫌われないように、健康を装った。笑顔を振りまいていた。自分が誰だかわからなくなった。そこまでして大学を卒業したかった理由は、ただ一つ、両親が喜ぶと思ったから。両親が大好きだったからこそ、両親のために生活をしてきた。でもそれは、誰のためでもなかった。結局わたしは両親を喜ばせることが出来ないのだ。両親が喜ぶことをわたしのからだではできないことを知ってしまった。知ってしまったけれど、言えなかった。頑張る以外に方法はなかった。こころをころしてまで、わたしは大学を辞めなかった。

1年休学し、1年留年した結果、ことし、同級生より2年遅れて卒業できる。と思ったら、就職が決まっていないじゃないか!正社員になれだって?勘弁してくれよ、もう無理だよ、わたしはパン屋さんでのんびり働きながら自分の生活がしたいんだ、わたしのからだじゃ、正社員という責任感だけで潰されてしまうよ。不安定な生活を送ってほしくない気持ちはわかるが、もう「両親が喜ぶ顔」を求めていない。じゃあなんのために大学に行って苦労して大学を卒業したんだ?

そんなこと、もう考えたくない。ごめんなさい、こんな娘でごめんなさい。許してください。正社員になんてなれないわたしをどうか、どうか

許してください。

と考えながら、「正社員」「パン屋」「求人」のキーワードをインディードで検索している。

正解が分からないけれど、こころをころして生きてゆく。わたしはいつになっても、両親が大好きなのだ。


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