はじめまして。

忘備録として。そして自分の気持ちの整理のため。

コツコツ気が向いた時に書いていきたいと思います。

※ネガティブどころか、妊娠を望まれている方にはとても不快な内容が続く予定です。そのような方は読まれないことを強くおすすめします。



2020年。この未知の見えないウイルスが暴れている中、子どもを授かりました。

結婚式を春の終わりに控えていたのですが、こんな世の中ではできないね、と総意により延期。

子どもは、いつできてもいいねなんて主人と話していました。

主人は子どもが大好き。私も子どもと関わる仕事をしているため、友人や同僚から、保護者の方々からこぞって「子育てに困ることはなさそう!」「いいお母さんになりそう!」などと言ってもらい、私自身ももちろんその気でいました。

何より、友人や周りの人の子どもが可愛いくて可愛くて仕方なかったし、その人達がそろって、「自分の子は特別だよ」と言うので、自分の子どもはどうなんだろう?なんてわくわくすらしていたのでした。

ですが、周りには不妊治療をしている友人もいますし、子どもを諦めた先輩もいました。心のどこかで、自分は33歳だし、20代の女性達のようにすぐには出来ないだろう。できなかった場合、治療するかしないか、選択をしなければいけない時もくるかもしれないね。などと考えていたし、主人とも相談していました。二人の考えは、やっぱり子どもは可愛いしできれば欲しいね。とそのときはまとまりました。主人は、子どもができなかったときはきっと二人でも楽しいよ。と言ってくれたのですが、子どもが大好きな主人に自分の子どもを抱かせてあげられないことは、とても不安に思いましたし、心の底から主人のために子どもを産みたい。と願いました。

ですが、そんな不安を吹っ飛ばすようなスピードで妊娠してしまいました。

生理が一週間も遅れることは、生理がきた小学6年生から今まで一度もありませんでした。新居に引っ越して次の月の話でしたので、引越しや新生活、世の中のコロナの不安で遅れているに違いない、生理前の症状はバッチリあるし!と自分を落ち着かせてみるものの、心のどこかで、妊娠していたらどうしよう…と、湧き上がる不安はどんどん大きくなり、すがるような気持ちで妊娠判定キットをドラッグストアに買いに行ったのでした。

主人のほうは覚悟ができていて、妊娠判定キットを手になかなかトイレに行けない私を見て、「陽性だったら嬉しいな」と励ましてくれるのですが、私は全く逆で、どうか陽性でありませんように。まだ仕事もしたい。お酒だって飲みたい。お寿司も食べたい。なんて思う始末。

できていたように思った覚悟は、実は全くできていませんでした。

尿をかけて5秒もせず、くっきりと出た線を見て、手が震えました。

どうしていいか分からず、トイレに3分ほどいたでしょうか。どんな顔をして主人になんと言えばいいのか分からない。

とりあえずトイレの洗面所で検査キットを軽く洗い、主人に「これって陽性だよね?」と尋ねるのが精一杯でした。

主人は確か、よかった、よかったと言っていたように思います。私がいち早く捨てようとする検査キットの写真を撮りたい!と言ったことに心底引いたことを強く覚えています。

間違いでありますようにと、それだけの気持ちで病院に行き、正しく妊娠だと告げられたのは、5週に入ったところでした。

みんな、病院で泣いて喜ぶと聞いた。まして、大好きな主人との子どもだ。いつできてもいいと話していたしそう私も思っていた、はずでした。

私が先生に妊娠してますねー、と一言言われ持った感情は、望まない妊娠のそれによく似ている気がしました。

戸惑いと、不安と、絶望感。

こんな気持ちを持たなくていいのに持ってしまう私はおかしいんだ。

いきなり「してはいけない・食べてはいけない」制限が増えた生活と、熱っぽく常にだるい、そして気持ち悪さに襲われて、私は今度は流産について熱心に調べ始めました。

調べてみたところどうやら、心拍確認が一つのハードルらしい。

そういえば同期も、何人かの友達も心拍が確認できず流産になったと話を聞いたことを思い出した。あのときはきっと友達は辛いに違いないと仮定してしか話を聞けなかった。

まだ大丈夫だ、この時期の流産の確率は高い。

私の大丈夫は、世の中の人のそれとは真逆でした。


ここまでを読んで、こいつはクソだな、と思う方もいらっしゃることは重々承知しています。

でもあのとき私は、同じことを考えている人がいないか夜な夜な検索し続けていました。

妊娠 喜べない 、妊娠 嬉しくない 、流産 したい

自分が異常なのではないかということはとてもよく分かっていたので、同じ考えの人を見つけて安心したかったのです。

本来妊娠は喜ばしいことで、それを待ち望んでいる人や、待ち望み続けて諦めた人を知っているから、誰にも相談できませんでした。

もちろん、主人にも。

誰に向ける言葉でもなく、言葉の節々に「流産の可能性があるから。まだわからないから。」と独り言のように言い続け、夜な夜な産まれた子どもが可愛くないという某知恵袋の相談を見ては、私もこうなるに違いないと震えましたし、その回答を見て母親失格というワードを見つけては、私のことだ。世の中には私でなくお母さんに向いている人はたくさんいるのに…と一人夜中に起きては寝室を抜け出し泣き続ける日が続きました。