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バンクシー展 体験型ラットレースという愉快!絶望☆なアトラクション。


横浜アソビルで開催中 -9/27まで のバンクシー展のレポートです。


■最初に問題提起をしたい。

これは、ぱっと見、お祭り的なイベントにみえるけど、実は「体験型ラットレースという愉快!絶望☆なアトラクション」というメタ遊戯なのではないか?と。


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皮肉めいた絶望的ストーリーを隠喩的にアトラクション仕立てにしてるんだけど、それを理解せずに、あるいは認知してもケアせずに、鑑賞者やメディアはコンテンツ消費として、資本家や商売人は金儲けの手段として無邪気に楽しむことができる。

けど、そもそも楽しめるテーマなんだっけ?それを利用したり楽しんでるってどういうことなんだっけ?という思いに至ったとき、むしろここは「資本主義中毒者が我を忘れて楽しめる退廃的な動物園、という構図を俯瞰してみるための場」という一つの作品のではないか?と思うのです。そして、自分もそこに参加していることに気付いて絶望する。

それを象徴するのが最後にあるネズミ車の作品「ラットレース」です。この作品について本人は「種族と競争という意味を持つ多義語のrace」を使って

「愚かで不公平なレース。水もシューズも持たないランナーもいれば、手厚いケアつきで審判まで味方のランナーもいる。諦めて座り込み、ジャンクフードや食べながらヤジを飛ばすのも不思議じゃない」といっています。

遊園地や映画のセットのようなカッコいい没入型の展示空間で、動画や音声解説も充実(しかも20時間超のボリュームが無料!)もったいぶった荘厳さ、額装、意味深な照明の演出。最後に待っているのが、お土産売り場とこの作品です。私はデカダンスを感じずにはいられませんでした。


こういった演出って現実とどうしても乖離しませんか。作り物だし外部要因を引き込んで真実を歪めるから無理くりだなって違和感が出る。壁の落書きを、額装したりありがたがって美術館で展示する行為・・・。グラフィティ哲学やその壁を使う必然性を失った展示について、バンクシーはこういった(宣伝的なアソビルの)展示は本意ではないと声明しています。

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グラフィティの本懐は「娯楽の普及、享受」でも「庶民芸術の賛美」でも「観光地化、ばえ~狙い」でもなくて、「HIPHOP(グラフィティ)哲学」にのっとった、公共空間のありかた、公民権へのメッセージ。「俺たち(BLM)の都市、居場所はどうあるべきか」っていう問いかけなんじゃないかとおもうんですよね。

と、論をぶったところで・・・

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■バンクシー鑑賞のキモ3点。


・反体制、アナキズム(資本主義や権威への)

・サブカルチャーとの親和性(pop、hiphop、ストリート)

・どこまでが演出か?その正体は?


「反体制、アナキズム」

その作品群に資本主義の象徴(Mドナルド、ショッピングカート)や暴走する権威(町中にある監視カメラ、警察のモチーフ、戦争の道具)が大半を占めるように、制作の核心は幸福な(様に見えて誰かが必ず辛酸をなめなきゃならないFxxkな)現代へのアンチテーゼとしてのビーフです。

※ビーフ=殺しあう身体的暴力より、言語でののしりあう知的暴力としての戦争武器。論理をすっ飛ばして逆上してしまうことが敗北とされる。とあるハンバーガー屋の競合への煽り広告「どこに肉があるの?(ちっちゃくてみえなかったわー)」に由来する。

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「サブカルチャー、周縁、社会課題との親和性」

作家の出自において切り離せない、UKうまれHIPHOP育ち。ただの落書きと思うなかれ。アートの歴史も、HIPHOPの哲学も、UK特有のウィットなジョークも、最も目を向けるべき社会課題も、アンダーグランドなやりかたで今昔並列にREMIXする。BLUR、マッシヴ・アタックとの協創、紛争地域や移民キャンプでの活動と、権威主義的モチーフを茶化すような作品がそれを物語っています。

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「どこまでが演出か?その正体は?」

本音と建前、粋と無粋を縦横無尽に駆け巡るのがアーナーキズムのなせる業。私たちは観客として参加することで、高速道路を降りた瞬間のような、ディズニーランド帰りの瞬間のような夢うつつの「本当はアッチの体験がただしいのではないか」という揺さぶりを強いられます。それにくらくらしてしまうのは現代社会というシステムの複雑性だったり、私たち鑑賞者の脳内が慣れない全力疾走したせいであって、懸念すべき不調ではない。ただ懸念すべきシステム、ヘルシーでない私たちの身体と思考があるだけの話です。

そのヴァンダリスト(破壊者、無法者)を戦友が擁護し「俺たちが創造する信用社会という美意識であったり、「権威やピント外れで時代遅れな仕組みを超越する」という価値観への賞賛が作品を成り立たせているという事実だったりが、その正体として、それで十分なのではないでしょうか。


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■補助線

「黒人を筆頭とした周縁の人間が自由を取り戻す文化的活動」である「HIPHOP」の起点、哲学の詳細はココ ↓

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