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介護申請のきっかけ

母の介護と旅立ち、そして向こうの世界とこちらの世界の架け橋⑭

新しい出会いから始まった、新しい時間。

その後のことはいろんなことがありすぎて、思いつくままに書いていってしまうと思います。

まずは、介護保険申請のことから。

それまで母は、介護保険にはお世話にならずに、ずっと払う側でいればいい、と言っていました。

だから介護保険の申請をしないままでいました。

大丈夫、母のことは私ができるから!母の希望通りでいい。

そう思い込んでいました。

でもある時、ついに介護保険のお世話になろうと決めました。

きっかけは母が背骨を圧迫骨折して痛みで動けなくなってしまったことでした。

それまでも圧迫骨折をしたことは何回もあり、手術をしたこともありました。でも前と違うことは、より年齢を重ねていたこと、そして特に大きな違いは認知機能的なことでした。

ある日突然ご近所にまで聞こえるのではと思うくらいの大きな声で、痛い!痛い!と大騒ぎ💦

最初は突然どうしたのか、どこがどう痛いのかもわからず、とにかく病院へ連れて行こうにも全く動けない、かと言って救急車だけは絶対に乗らない!と大騒ぎ💦

いつも通っている整形外科に電話して相談しても、本人がそんな状態ではどうすることもできないから・・・って。そうですよね~

触れることさえ激しく拒まれてしまう、じゃあ、やっぱり救急車しかないと電話しようとすれば、またまた大騒ぎ・・・

仕方なく必死に母を抱きかかえ、なんとか整形外科にたどり着けたけど、もう帰る!と、またまた大騒ぎ。

混雑した待合室に響く大きな声。

もう周りの人たちの視線を気にする余裕もなく、すでに心も身体も疲れ切っていた私はどうしていいのかわからなくなってしまい、ついに大泣きしてしまいました。

待合室にいた平均年齢高めの患者さん達はきっと同情や、あるいは共感、または、うっとおしさを感じて見てたかもしれません。

こんな人が大勢いる場で泣いてしまうなんて・・・

その時、いつも顔を合わせる看護師さん達が心配して声をかけて、話を聴いて下さったおかげで、なんとかまた気持ちを切り替えることができました。

どうしようもなくしんどくて辛い時、誰かが声を掛けてくれる、話を聴いてくれるということが、どれほど救いになるか・・・

本当にありがたかったです。

こんな状態だから一度入院してきちんと治してもらった方がいいかも、と思っていたのですが、医師は入院は必要ないとの判断でした。

その頃の母は24時間在宅酸素も必要だったので、そこの病院では対応できないこと、大きな病院を紹介することはできるけど、そんなひどい状態でもないし、この年齢の人を入院させたら一気に認知能力が低下してしまう可能性が高いからとの理由でした。

その時は突き放されたような気持で途方に暮れてしまったのですが、後から考えるとその時の先生の判断は正しかったんだと思います。

もしそのまま入院していたら、身体はもっと弱って、本当に認知能力が低下していたと思います。だから、その時の先生の判断はとてもありがたかったと、後からそう思えました。

でも、それからの日々は寝たきり状態の母の介護と仕事でますます忙しくなり、睡眠時間もどんどん削られていって、それでも平気な風を装って自分で自分を追い詰めて、結局体調を崩してしまうことになってしまいました。前に充分反省したはずだったのに・・・

もっと誰かに相談したり、職場の人達にその時の状況を話したりすることができていたら、少しは違っていたかもしれません。

でも、それができない。

周りの人達に余計な心配をかけたくない、今の母の状況を誰かに話す勇気がない・・・

だから、自分でなんとかするしかない。

そう思い込んでいました。

その結果、微熱が続いてふらふらの状態で病院へたどり着いた時には、良くここまで歩いてこれましたねと先生に言われてしまうような状態でした。

このままでは共倒れになってしまうと思い、やっと母の主治医の先生に介護保険申請のことを話しました。先生はずっとそのことを気にかけてくれていたので、すぐに意見書も用意してくれました。

介護保険についての知識もなかったので、役所などに聞きながら手続きを進めることもできました。

また申請のことの続きも書いていこうと思っています。







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