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それこそがしあわせなのでございます

いつまでも楽ができる王様がいた。
王といっても石油王だが。

その王は体を動かすのが嫌いで侍女や召使に身の回りの事は全てさせていた。
けれど彼は満足しなかった。
次から次へと不満が出てきて仕方がない。
常にイライラしているのだった。

侍女や召使は全てにおいて文句の付けようのない働きをしていた。
彼に対しても不満を抱くこともなかった。
なのに彼は身の回りのこと全てに腹が立って仕方がなかった。

原因はなんだろう?
考えるが答えは出ない。
どうすればいいんだ。
わからなくて考えるのが嫌になる。

王は今までしたこともないことをした。
子女たちに聞いたのだ。

「おい、おまえ」
「どういたしましたか、旦那様」
「おまえは、しあわせか」
「はい、しあわせでございます」
「なぜだ、おまえは私のためにいつも動き回っているではないか」
「それがしあわせなのでございます」
「疲れないのか」
「疲れます」
「それでしあわせだというのか」
「はい、しあわせです」
「理由を申せ」
「仕事をすれば疲れます」
「でも、そのおかげでご飯が美味しくて、ぐっすり寝ることができます」
「それに旦那様のおかげで家族を十分に養うことができて教育もすることができますし、夫にも仕事を与えてくださいます」
「それに旦那様はお優しいです」
「申し上げればきりがございません。」
「それでしあわせなのか」
「いいえ違います。旦那様。わたくしにとってそれこそがしあわせなのでございます。」
「…」

彼にはわからなかった。
そんな経験をしたことがないから。
そんなことは自分のやることではなくて、下の者たち、つまり雇われている者たちのすることだと教わり実際にそうしてきたからだ。

彼らがしあわせだなどと考えたことはなかった。
不幸せだとも考えたことも。
彼にとってそういう次元の話ではなく、日が登れば夜は明けるのと同様に当たり前のことだったからだ。

彼はこの時、初めて人が様々なことを考えて、感じているのだと実感できた。
そして、それは自分が考えてたり感じたりしていることとは違うのだと。

はっとした。
何かが彼の中に芽生え始めた。

その日から王は人が変わったように自ら疲れを強いるようになった。

もちろん少しずつ。
何年も動いてなかったから、まずは体を動かすことから。
関節は毎日動かしてもらってたから滑らかに動く。
筋肉もよく伸ばしてマッサージしてもらってたから力強く動く。

だけど動かしてもらってたのと自分で動かすのとでは訳が違う。
ちょっと動かすだけでも一苦労。

それでも王は感じた。
『生きてる』と。

そういうことだったのか。

呼吸をして、食べて、睡眠をとって排泄するだけ。

それだけでは人は満足できない。
いや、できなくなるのか。

自分で生きるための行動を取らないと、生きてるのか死んでるのかわからなくなる。

生きるために考えて、動く。

それだけが、しあわせになる唯一の方法だ。

王は久方ぶりに生きていることを実感できるようになっていた。

「そうだ、こんなにしあわせなことはない」

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