DJの選曲って表現だろうか?

体感として、明らかに「おもしろいDJ」と「つまらないDJ」がいる。

しかしそのことを第三者に伝えることが難しい。
大変に難しい。
DJのおもしろさって、数値化やエビデンス(証拠)を
みせられるモノでは無いからだ。

数値やエビデンスがしめせれば、それが第三者に分かりやすければ、
DJでお金も稼げるようになるだろう。社会的地位だって向上する。

ここでいっているDJの面白さって「DJの選曲」についていっている。
ターンテーブルを楽器的に操る「ターンテーブリスト」は技能としては凄いが、ここでいう「DJの面白さ」からは外す。そこでの感心は楽器やスポーツの技能修練的なモノに近いと思うからだ。

また「レア盤自慢コレクター」も外す。
レア盤かけて面白がってよってくるのは同じ穴のムジナの(大抵キモい中年のオッサンの)レコオタだけだ。
(確実に自分に帰ってくるであろうブーメランを 力いっぱい投げるこの勇気に拍手を!!!)

また、「過剰なまでにBPMあわせるぜ」「BPMずれたな警察」みたいなのも外す。
BPMをキッチリあわせてミックスできることはよいDJの要素かと思うが
必ずしも必須ではないと思っている。
(まあでも下がゴインゴインに出ている系ダンスミュージックは低音(キック)を合わせてもらわないと気持ち悪くてしょうがないんだけど…)

上の要素を外してもいいDJと呼べる人は多くいる。
つまり「スクラッチもしないし、安いレコードばかりだし、ミックスぶれたりするけど現場を鬼盛り上げるDJはいる」ということを言いたい。

その盛り上がる要因ってなんだろうか?

多分この事について書いた人はあまりいないんじゃないかと思う。自分が調べたかぎりでは発見できなかった。

当のDJ側からも、現場で遊んでいるダンサー&クラウド側からも、アカデミックな方面からも、あまり誰も語ってないと思う。 
言語化する努力も誰もしていないと思う。

はっぴえんど/YMOの細野晴臣さんの本に「アンビエント・ドライバー」という本がある。
複数の雑誌に掲載していたエッセイをまとめたものだそう。
YMO終了後 ~ ソロのNewAge/アンビエントの時期に書かれた文章。
当時のプレッシャーやストレス、退避場所としてアンビエント音楽の発見
ネイティブアメリカンの教え… 等々

クリエイターとして、また人としての苦しみや特有の視点などが書いてあって面白い。

その本に「面白さの元は何か?」という一節がある。

 “ 人間というものは"完全な混乱"と"完全な整合性"については あまり興味を持たない。その二つの間に横たわる複雑性という領域で「なにかルールがあるんじゃないか?」と思う時に俄然興味をもつ ”

こんな内容だったと思う。

これ、そのまんまDJの選曲のおもしろさのことを言ってるんじゃないかな?と自分は思った。
あらかじめ全部セットを決めてあるDJには意外性が少なく、その場で場当たり的に曲を決めていくDJもそれが分かってしまい選曲に深みがない。
そして、どちらのタイプもあまり面白いとは感じない。

自分が現場で遊んでいた体感からも、面白いDJはその選曲に「何かの意図やメッセージ」があるように感じることが多い。
それをDJ当人が意識的におこなっているか、無意識的に行っているのかは分からないけれど。

観察していると、面白いDJだなと思う時に必ず発生してる現象がある。
フロアの人達が”その音”について喋りだすのだ。(もしくは没頭して踊る)
単に「ヤバイ!」と感情を吐露するだけの人もいるし、分析的な話し合いをする人たちもいる。

いままでも同じ様なタイプの音で、同じ様な音量で空間が埋め尽くされていたのにも関わらず、鳴っている音が「BGM」ではなく「聞くべき音楽」になる。
その境界線は何だろう?

その境界線を越境し、「聞くべき音楽」を空間に充満させられるのであれば
それは「DJが表現している」と言っていいのではなかろうかと思う。

「表現しているDJ」はおもしろい。ジャンルがなんであろうと。

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