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ご依頼を受けた時の話

7月頭頃まで続いていたご依頼が完了したので、その話をしたいと思う。

ご依頼としては、大学・教授経由で来た展示会の広報物の制作依頼だった。
大学生あるあるなのだが、教授から「これやらない?」とお仕事をいただけることがある。
実に有難いことだと思う。

さて、このご依頼の件。
結論から言ってしまえば、(精神的に)ボロッボロの状態で完了した。

アイデアを出して「さあ制作するぞ!」という時点で違和感はあった。なんとなくやり辛さを感じていたのである。モヤモヤとした感情が常に心の隅に存在していた。

実は教授からビジュアル案を提案されていたのだが、自分の好みで先行してしまい、教授の案を破棄してしまっていた。この後ろめたさは尋常ではなかった。
教授のアドバイスをどう取るかは各人の自由であるし、学生として正しい判断だったかは分からない。しかし、常日頃教授の指導に従順だった私は大きな罪悪感を感じていた。

今思えば、この違和感は正しかったと思う。

大方完成してきた頃、教授にデータを見せに行った。その時このように言われたのである。

「面白くない」
「昔のデザインみたい」
「その方向性は一番難しいやり方」

「昔のデザイン」というのは作品展の雰囲気的に決して悪いわけでは無かった。しかし、これは私の後付けの考えであり、言われた時は割とショックだった。

何より「面白くない」という感想。
私のデザインは全くもってつまらなかったのである。

何を一番見せたいのか分からない。
単調。
構図が、ただ文字を並べたみたいに見える。
…指摘を受けてよくよく見返せば、私もこのような自己評価がポンポン出てきた。

努力が全て崩壊したような気持ちになった。
私が今まで学んできた事・時間は、本当に私の中にあるのか?
私は成長できているのか?
本当にこのままデザインを続けて良いのか?

一度気持ちが沈むと際限なく落ちてゆく私である。この時の心は受験生時代くらい疲弊していた気がする。

だが、私の良いところは心が疲弊して強いストレスがかかっても、その状態で割と耐えられる所である。
そして何より、負けず嫌い。

それから毎日残業生活が始まった。(私は、大学で居残り作業をすることを「残業」と勝手に呼んでいる)粘って粘って粘り続けた。
途中、データ提出を1日延期してもらうという仕事にあるまじき行為までして、とにかく今できる最大限の実力を発揮した。

構図も最後まで粘って、最後の最後で大修正を行った。
クライアントからしたらたまったものではなかったと思う。恐らく学生だから許される行為だった。本当に申し訳ない。

それでも、なんとか完成できた。
できることはやった。
その時感じたのは、とてつもない達成感と安堵だった。

その時出来うる最大限を実行したことと、では完成度としてどうなのか?ということは全く違う観点だ。
完成度としては、きっとまだまだ未熟だろう。
プロの目線から見て絶対に荒削りだと思うし、何より破綻している箇所もあるかもしれない。

しかし、今回の依頼で私の弱みが鮮明に浮かび上がったと思う。

私の弱みは「デザインの良し悪しの根拠が言語化できないこと」だ。
良いデザインだと思っても、どうして良いのか、その具体的な要因が言えない。「なんとなく良い」と感じていても、その根拠をデザインの構成要素から見つけられない。
だから自分のデザインで置き換えた時、選択に納得を得られないのである。

「この構図は正しいのか?」
「これは美しく見えるか?」
…こういった客観視が曖昧なままここまで来てしまったというわけだ。
だからご依頼中ずっとモヤモヤしていたのか、と後々になって気づかされた。

どれだけ周囲に「よく頑張ったね」「凄いね」と言われても、心の底から納得はすることはないだろう。もっと早く弱点を補填できていたら…と思ってしまうこともあるかもしれない。
それでも、この依頼があったから良いデザインが作れたのだと、これから先思うことができたなら、とても嬉しい。

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