夏目漱石「こころ」下・先生と遺書四十八「Kの死とたくらみ」1

「勘定して見ると奥さんがKに話をしてからもう二日余りになります。その間Kは私に対して少しも以前と異なった様子を見せなかったので、私は全くそれに気が付かずにいたのです。彼の超然とした態度はたとい外観だけにもせよ、敬服に値(あたい)すべきだと私は考えました。彼と私を頭の中で並べてみると、彼の方が遥(はる)かに立派に見えました。「おれは策略で勝っても人間としては負けたのだ」という感じが私の胸に渦巻いて起りました。私はその時さぞKが軽蔑している事だろうと思って、一人で顔を赧(あから)めました。しかし今更Kの前に出て、恥を掻(かか)せられるのは、私の自尊心にとって大いな苦痛でした。

「奥さんがKに話をしてからもう二日余り」というのがなかなか微妙なのだが、婚約成立の四日後あたりに奥さんはKに話をし、それから「二日余り」経ったということ。

「その間Kは私に対して少しも以前と異なった様子を見せなかったので、私は全くそれに気が付かずにいたのです。彼の超然とした態度はたとい外観だけにもせよ、敬服に値(あたい)すべきだと私は考えました。」
「二日余り」も、「私に対して少しも以前と異なった様子を見せなかった」K。「少しも以前と異なった様子を見せなかった」だけでもKの心中が察せられるが、「私に対して」という部分が一層Kの重い心を表している。
「自分の心は以前とは全く違ってしまった。信頼していた友人。その裏切り。」
先生に対する反感は、当然あるだろう。
「なぜ先生は、友人の自分に何も話さないのか。わざと話さない理由は何なのか。友人自身は自分を裏切ったことをどのように思っているのか。裏切りの自覚が足かせとなって話せないのか。それともそのようなことは何も考えてはいないかもしれない。平気で自分を裏切り、先生は、自分の苦悩をあざ笑っているのではないか。」
そのようなことを、Kは考えていただろう。Kのこころには、たくさんの言葉、先生への質問がわだかまっている。
Kにもし先生への反感がないのであれば、先生に対して素直に、「婚約したんだって? おめでとう。隠してるなんて、水臭いじゃないか」と邪念無く言ったはずだ。つまり、Kが先生に何も言わないのは、やはりKの心にはわだかまりがあるからだ。

一方、先生の方も、「全くそれに気が付かずにいた」という状態だった。Kも婚約を知ったと知らされた先生は、さまざまなことを思ったはずだ。
「Kは、何も言わない自分をどう見ていただろう。裏切者。偽善者。エゴイスト。友人を愚弄する卑怯な奴。もしかすると、何も気づいていない自分を、バカな奴だと思っているかもしれない。」
そのようなことを、先生は考えていただろう。
「私はその時さぞKが軽蔑している事だろうと思って、一人で顔を赧(あから)めました。」

ここから先は

9,088字

¥ 300

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?