夏目漱石「こころ」上・先生と私二十二「先生が干した椎茸なぞを食うかしら」
「母は不承無性に」以降の部分は、実家の母親がする態度と言葉だ。この言葉は、それを聞いた息子を不快にさせる。夫の態度を息子のためと解説する母親。夫の態度の理由を、自分は何でも知っているという様子がうかがわれる。また、この言葉には、私もお前が頼りだという意味が含まれている。さらには、息子にこう語りかけることで、実は夫に対して言っている言葉だ。
簡単に言うと、言わなくてもいい言葉。それを言ってしまう母親に、息子は不快になっただろう。
「青年の客観的な目からは、「父の挙動がさして虚勢を張っているようにも思えなかった。」
この青年は家族を、冷静に客観的に見ている。
次に、青年の家族構成が示される。
「兄はある職を帯びて遠い九州にい」て、「万一の事がある場合でなければ、容易に父母ちちははの顔を見る自由の利きかない男であった。」
「妹は他国へ嫁とついだ。これも急場の間に合うように、おいそれと呼び寄せられる女ではなかった。」
「兄妹きょうだい三人のうちで、一番便利なのはやはり書生をしている私だけであった。」
この「便利」というのは、(用事があってもなくても)すぐに呼び寄せられ、何かを頼むことができるという意味だ。
青年には多少、不満があったと思われる。他の兄弟は何もせずに、自分だけが学生という理由で「便利」に使われてしまうことに。
青年は、結果として、「母のいい付け通り」帰ってきた。しかしそれは仕方なくである。しかし、「学校の課業を放ほうり出して、休み前に帰って来たという事が、父には大きな満足であった。」
息子をできるだけ自分たちの手元に近づけたい、そばに置きたいという気持ちが表れている場面だ。
父親の、「これしきの病気に学校を休ませては気の毒だ。お母さんがあまり仰山ぎょうさんな手紙を書くものだからいけない」という言葉の意味は、次のようになるだろう。
「母親が大げさに心配をしているが、実はたいしたことはない。それほど騒ぎ立てることじゃないんだ。お前が学校を休むほどのことではない。自分は呼ばなくていいと思っていたが、母親が勝手にお前を呼んでしまった。」と、父親は言いたいようだ。
しかし青年の目には、「父」の「大きな満足」が映る。息子が、学校よりも父親である自分を優先したことへの満足感。
父親の、言葉と本心のギャップ。それを見抜いている青年。父母の演技とわざとらしいセリフは、もうすでに青年にはわかりきった陳腐なものであったろう。そしてそのような青年の成長に気づかない父母という構図。
つまり、「これしきの病気に学校を休ませては気の毒だ。」は、「最近、俺も調子が良くないから、お前が学校を休んで帰ってくるのは当然だ」という意味だし、「お母さんがあまり仰山ぎょうさんな手紙を書くものだからいけない」は、「お母さんはバカだから、何でも大げさに騒ぎ立てる。でも、その手紙によってお前が帰ってきたのは当然だ」という意味だ。
父親(と母親)は息子を、自分のもの、所有物だと思っている。自分の考え通りに操作することが可能だと思っている。
しかし青年はもう大学生だ。すでにものごとを自分で考え、成長している。それに気づかない両親の愚かさ。
「あんまり軽はずみをしてまた逆回ぶりかえすといけませんよ」
父は虚勢を張り、「今まで敷いていた床を上げさせて、いつものような元気を示」す。息子の、「あんまり軽はずみをしてまた逆回(ぶりかえ)すといけませんよ」という優しさに対し、「なに大丈夫、これでいつものように要心さえしていれば」と、「愉快そうにしかし極めて軽く受け」る。
父親は、息子の気遣いを喜んでいる。しかしそれを「極めて軽く受け」る。「なに、お前が心配するほどのことではない。俺は大丈夫だ」という意味だ。息子に対し、まだ幼い考えの存在と見ている父親。「威厳ある自分からすると、これはいつものことだ」という威勢・虚勢。上から目線である。
そう考えると、これほど子ども扱いし、自分たちで自由に何でも決めてしまっていいと考えている両親に対して、従順に従い、温かい言葉をかける青年の方が、たいした人・大人だ。エラい。
「実際父は大丈夫らしかった。家の中を自由に往来して、息も切れなければ、眩暈めまいも感じなかった。ただ顔色だけは普通の人よりも大変悪かった」のところなど、父親をちゃんと見守っている。
さらには、「万一を気遣って、私が引き添うように傍に付いていた。私が心配して自分の肩へ手を掛けさせようと」するなど、いまどきよくできた息子だ。
(明治時代だけど)
青年の故郷の場所は明かされないが、そこから東京に出してもらい、生活と勉強をさせてもらっているという感謝の気持ちが、この青年にはあるのだろう。青年は、父親を見守り、手を添え、心配している。父に対する子としての愛がある。
その一方で、両親の息子に対するこのような状態が続けば続くほど、息子の心は両親から離れていく。息子はいつまでも両親の「子供」ではない。所有物扱いは、精神的に成長しつつある息子には迷惑だ。
そうして実際に、病む父を置いて、青年は先生へと向かう。
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