夏目漱石「こころ」下・先生と遺書五十五「記憶して下さい。私はこんな風にして生きて来たのです」
この先生の自殺の理由の説明を聞いて、納得できる人はどれほどいるのだろう。
「死のう死のうと思ってたけど、明治天皇の死がいいきっかけになったよ。妻への愛を貫くよりも、自死の方がカッコいい。妻には気の毒だけど、時々物足りなそうな眼で眺められるのはイヤだし、このまま生き続けるのも時代遅れでダサいから、妻の言った通り殉死しちゃいまーす!」
中学生かな?
この手紙を書いているのは、おそらく40歳ぐらいの人なのだ。
詳しく見ていきたい。
「死んだつもりで生きて行こう」とは、世の中に出て人と交わる活動をしないという意味。自分には、その「資格」がないと、先生は自覚している。
先生が「どの方面かへ切って出ようと思い立つや否(いな)や、恐ろしい力がどこからか出て来て、私の心をぐいと握り締めて少しも動けないようにするのです。そうしてその力が私にお前は何をする資格もない男だと抑(おさ)え付けるようにいって聞かせます」。
世に出る資格がないという声を感じ、先生は、「ぐたりと萎(しお)れ」る。「不可思議な力は冷ややかな声で笑」い、世に出る資格がないことは「自分でよく知っているくせに」と言う。
この声の主は、先生自身の良心・倫理観なのだろう。先生は今、自らの内なる声に苦しめられている。「冷ややかな」嘲笑。「自分でよく知っているくせに」という、自己を追い詰める皮肉。自分への侮蔑。
この先生の状態は、苦悩というよりも心の病気だ。ひどく思い詰めて考えている。まるで自分を無理やり死へと向かわせようとしているかのようだ。自殺という結論ありきの思考過程。自殺礼賛。
外見からは、一見、「波瀾(はらん)も曲折もない単調な生活を続けて来た」ように見える「内面には、常にこうした苦しい戦争があった」と、青年に訴える先生。自分の良心との「戦争」。その戦いに負けた者には、死が待つと、先生は規定する。そして、勝敗は初めから決まっている。先生に勝ち目はない。なぜかというと、先生には、負い目があるからだ。自分のエゴのせいで友人は死んだと、自認している。罪の意識がぬぐえない。そのようである以上、自分の内なる良心との戦いに勝つことは不可能だろう。
また、この部分の表現から、先生は、戦争のような状態を戦い続けてきたのだと自賛しているように読める。俺は俺で苦しい戦いを続けてきたのだということは分かってくれ、と読めるのだ。しかしそれは、決して自慢できるような内容のものではない。だから、自分の戦いを誇るような表現で訴えられた青年は、反応に困っただろう。人によっては、苦笑しか返すことができないだろう。
「私がこの牢屋(ろうや)の中(うち)に凝(じ)っとしている事がどうしてもできなくなった時、またその牢屋をどうしても突き破る事ができなくなった時、必竟(ひっきょう)私にとって一番楽な努力で遂行(すいこう)できるものは自殺より外(ほか)にないと私は感ずるようになったのです。」
この倫理的犯罪者が投獄される牢屋を作り、そうしてその中に先生を入れたのは、先生自身だ。全ての身動き・行為・行動を固く禁じられてしまった自分と設定することにより、結局自分は自殺の道しか残されていないのだということを、自分自身に説き伏せようとしている。先生はどうしても、自分を自殺させたいのだ。自分で自分を説得し、自殺させようとしている。これは心の病に陥ってしまった者がたどる道なのだろう。先生は今、自殺することしか頭にない。
「あなたはなぜといって眼をみはるかも知れませんが、いつも私の心を握り締めに来るその不可思議な恐ろしい力は、私の活動をあらゆる方面で食い留めながら、死の道だけを自由に私のために開けておくのです。動かずにいればともかくも、少しでも動く以上は、その道を歩いて進まなければ私には進みようがなくなったのです。」
自分に残された道は自殺しかないと思い込んでいる先生。視野は狭窄(きょうさく)となり、他の方法が全く考えられなくなっている。そこまで自分で自分を追い詰めている。
以前も述べたが、先生は、すぐ隣にいる奥さんに話せばよかったのだ。他者に話すことで、心が幾分かでも和らぐことはよくあるだろう。また、利発な奥さんは、夫に有益なアドバイスをしたはずだ。先生にとっては、会話が大事だったし、必要だった。ディスコミュニケーションは、その人の視野も考え方も、すべて狭めてしまう。他の選択肢が見えなくなる。先生はこの時、このような状態に陥っている。自分では気づけないことでも、他者との会話によって、問題解決のヒントだけでも得られるかもしれない。ひとりで悶々と思い悩むことは危険だ。
先生は、人に頼れない人だ。すべての人間は悪だと決めつけ、他者との交流を断ってしまう。自分を愛してくれている奥さんも、その中に入れてしまう。自分自身も悪そのものだと規定してしまう。すべての人が信じられず、自分も信じられない。だから自分の行く末は、自分一人で考えるしかない。負のループに陥る先生。
このような人は、その負の感情が反転し、他者を傷つける方向へ走ってしまうこともある、大変危険な状態だ。自己否定は、簡単に他者否定に反転する。自己の命の否定は、他者の命の否定につながる。このように考えると、先生は、自分を傷つけるだけで終わってよかったともいえる。
「私は今日(こんにち)に至るまですでに二、三度運命の導いて行く最も楽な方向へ進もうとした事があります。」
実際に自殺を実行しようとしたことが今までにも何度かあったことが示される。
「しかし私はいつでも妻に心を惹(ひ)かされました。」
この「心を惹(ひ)かされました」という受身形は何なのだろう。「自殺をしようと考えた時にいつも妻を思い出しました。妻のことを考えるとどうしても自殺することはできませんでした。」 なぜこのように言えないのだろう。これでは、お嬢さんがいるせいで自分の自殺するという意志が妨げられてしまったという風に読めてしまう。それではあまりにもお嬢さんがかわいそうだ。先生を心から心配し、なんとか先生が元のように戻って欲しいと望んでいる人だ。先生自身、奥さんを愛しているはずではないのか。奥さんは先生を心から愛し、信頼している。先生の苦悩も自ら引き受けてくれただろう。そのような奥さんを後にひとり残し、自分だけがさっさとあの世に旅立つことは、決して許されることではないだろう。
もっともここは、「妻に心を惹(ひ)かれる」という、少し恥ずかしい内容を述べた部分なので、わざと受身形にしたのだろうが。
「そうしてその妻をいっしょに連れて行く勇気は無論ないのです。妻にすべてを打ち明ける事のできないくらいな私ですから、自分の運命の犠牲として、妻の天寿を奪うなどという手荒らな所作は、考えてさえ恐ろしかったのです。私に私の宿命がある通り、妻には妻の廻(まわ)り合せがあります、二人を一束(ひとたば)にして火に燻(く)べるのは、無理という点から見ても、痛ましい極端としか私には思えませんでした。」
先生は次のように考えている。「もし自分が死んでしまったら、後に残された妻はとてもやっていけない。その後の人生をどう生きていっていいかわからなくなってしまうだろう。そうであるならば、自分と一緒に死へと旅立つのも、一つの選択肢だ。」
一方、お嬢さんも同じように考えるだろうか? それは甚だ疑問だ。
そもそも先生は、全ての真実の告白をまずお嬢さんにすべきだ。それを全てすっ飛ばしていきなり一緒に死のうと考える。その思考の道筋が私には分からない。まずは告白が先だ。そしてともに悩み懺悔の道を歩むのだ。それが普通ではないか。それがお嬢さんの幸福ではないか。それに対して先生はいきなり心中をイメージしてしまう。
またなぜ先生は離婚ではなく心中を考えるのだろう。もし私がお嬢さんだったら、心中は絶対に拒否する。その選択肢は1%も自分の心にはない。死に対する恐怖が、先生をかわいそうだと哀れむ心をはるかに超えるだろう。隠された秘密を何も知らされずにいきなり自分が殺される。いくら相手を愛していても、この心中は納得できない。先生の思考と論理はあまりにも飛躍しすぎている。あまりにも突飛で、他者には理解し難い。そしてそれは、お嬢さんも同じだろう。
また、お嬢さんを死なせるということを「勇気」という語で説明する先生の気が知れない。
そもそも、「考えてさえ恐ろしかった」・全く考えも及ばない事柄をこのように述べるということは、やはり心のどこかにお嬢さんと一緒に心中するという選択肢があったということを表してはいないか。それとも青年や当時の読者は、このような状況に陥った夫婦は心中するだろうと予測するのが普通だったので、あえてそれを否定したのか 。
お嬢さんは、先生の所有物ではない。それが現代の読者の感覚だろう。
それとも、当時の離婚は、夫の自殺よりも不幸なことだったのだろうか?
「同時に私だけがいなくなった後の妻を想像してみるといかにも不憫(ふびん)でした。母の死んだ時、これから世の中で頼りにするものは私より外になくなったといった彼女の述懐(じゅっかい)を、私は腸(はらわた)に沁(し)み込むように記憶させられていたのです。」
お嬢さんが頼る相手は自分ただ一人しかいないということを「腸(はらわた)に沁(し)み込むように記憶させられていた」のであれば、先生は、心機一転自分を変革し、お嬢さんと共に新たな道を歩むべきだった。 自分がいなくなった後のお嬢さんが「不憫」だと言うが、今現在すでにお嬢さんは十分に不憫だ。むしろ今の方が不憫さは勝っているかもしれない。なぜなら今先生はとても頼りなく、苦悩の淵に沈んでいる状態だからだ。今の先生はまるでお嬢さんを相手にしていない。何も話さず、ただ自分一人で苦悩している。お嬢さんにしてみれば、なぜ自分に何も話してくれないのだろう。そんなに自分は頼りにならず、また、信頼できない存在なのか、と思っているはずだ。お嬢さんは、先生における自分の存在意義を失いかけている。
「私がここにいる必要はあるの? 私はなぜここにいるの? 私って何?」
まさに、「私は誰? ここはどこ?」状態だ。
これから世の中で頼りにできる人は先生しかいないと言ったお嬢さんを本当に大切に思うのであれば 、先生がやることはただ一つだ。しかしそれが先生にはできなかった 。お嬢さんの望みは叶えられなかった。
先生はいま、自分の不幸にしか目が向いていない。死に取りつかれる先生。
先生は、友人を裏切り自殺させてまで獲得したはずの愛するお嬢さんを、不幸にした。
「私はいつも躊躇(ちゅうちょ)しました。妻の顔を見て、止(よ)してよかったと思う事もありました。そうしてまた凝(じ)っと竦(すく)んでしまいます。そうして妻から時々物足りなそうな眼で眺められるのです。」
先生がお嬢さんを少し責めているように読める部分なのだが、先生にお嬢さんを責める資格も理由もない。なぜなら、お嬢さんがこのような目で先生を見るのは当たり前で、全く不自然ではないからだ。先生は東京大学を卒業している有為な青年であるはずだった。お嬢さんや奥さんの期待は、とても高かっただろう。その期待に反して堕落した生活を送っている先生の様子を見て、期待した分だけ、その落差にふたりは大きく失望したのだ。お嬢さんはまだ若く生気に富んでいる。自分でも何かしら活動しなければ心が収まらないだろう。お嬢さんも女学校を出ている。当時の女学校は良妻賢母の養成機関であったようだが、様々なことをそこで学んだ。それを家庭や社会で活用・応用したいと考えていても不思議ではない。立身出世し社会で立派に活躍しているはずの夫と共に、自分も何がしかの活動ができると思っていた。従って、お嬢さんの失望には、先生に対するものだけでなく、自分の未来も奪われてしまった失望も含まれている。夫が混乱の中にある不幸だけではなくて、自身の活動の内容や範囲も狭められ奪われてしまった不幸。それをお嬢さんは感じているだろう。役人となり洋行を命ぜられドイツに渡った太田豊太郎のような人物もいる。(森鷗外「舞姫」) それに付き添う自分の姿を夢見ることがあっても不思議ではない。そこまでは望まないまでも、社会や世界で活躍している夫の姿を現実のものとして見てみたいとお嬢さんは考えていたはずだ。
このようなお嬢さんに対して、現在の先生の姿を改めて振り返ると、全く情けない男としか見えてこないだろう。何をそんなに悩んでいるのだ。その悩みの中身は何なのだ。なぜ自分に話さない。そういう思いが繰り返しお嬢さんの心にはよみがえってくる。そうして今夫は何やら心の病にまで罹っているようにも見える。お嬢さんは思ったはずだ。一体自分はどうしたらいいのだろう。何が夫のためにできるのだろう。しかしその答えは得られない。夫はたった一人で自分の殻に閉じこもってしまっている。どうにも助けてあげられない。お嬢さんの苦悩は深く濃い。
「記憶して下さい。私はこんな風(ふう)にして生きて来たのです。始めてあなたに鎌倉で会った時も、あなたといっしょに郊外を散歩した時も、私の気分に大した変りはなかったのです。私の後ろにはいつでも黒い影が括(く)ッ付いていました。私は妻のために、命を引きずって世の中を歩いていたようなものです。あなたが卒業して国へ帰る時も同じ事でした。九月になったらまたあなたに会おうと約束した私は、嘘を吐(つ)いたのではありません。全く会う気でいたのです。秋が去って、冬が来て、その冬が尽きても、きっと会うつもりでいたのです。」
この男の人生・歴史を「記憶」することは、なかなかつらいものがある。人生に失敗した男の言い訳ばかりの長々とした説明。先生はどういう気持ち・意図で、これまで語ってきたのだろう。反面教師にせよということか。
「鎌倉で会った時も」、「郊外を散歩した時も」、「気分に大した変りはなかった」。「私の後ろにはいつでも黒い影が括(く)ッ付いてい」た。
「自分はこんなにもずっと苦しみ続けている。そんな俺って偉いよね」、とでも言いたいのか。
この、先生に対するモヤモヤは、自分が引き起こした困難に鬱々とするだけで、この手紙を書いている中年男性が、時を置いたにもかかわらず、全く自己批判をしないところから来ている。なぜ先生は、過去の自分を振り返る過程で、問題点を整理し、その原因や理由を検証し、建設的な改善策・対策を立てないのだろう? 先生ひとりがダメになるならまだいい。お嬢さんがいる。愛する人の幸せを真に望むのであれば、その人のために自分を変える努力をすべきだった。この人は、友人の死から、何も学んでいない。人として、成長していない。自己批判の言葉が無いということは、手紙を書いている現在も、その当時と同じような考えであるということになる。自己分析が自己改善に繋がらない先生。
また、先生が責任を取る方法は、本当に自殺することしかないのか。自分の命をもってしか償えないことなのか。自殺すれば、Kに許されるのだろうか。確かにKの自殺現場には、先生に対する恨みが、濃く漂っていた。「俺は先に行くが、お前が来るのをずっと待っている」という意志・意図が明確な自殺現場だった。
それに対して、先生は、どうすべきなのか。自殺だけが残された道か。
ここで想起されるのは、前に先生自身が気付きかけていた、公への奉仕による懺悔の道だ。むしろ社会に出て、積極的に「人間」のための活動をすること。それにより、今まで得られなかった他者からの感謝や充実感も得られるだろう。
つまり、Kの恨みを何か別のものに転化することはできなかったのかということだ。自分の命を捧げることでしか、Kにある意味報いることはできないのか? Kは、先生の命を貰えば、本当に納得するのか? 「お前は俺に、あんなにひどいことをした。だからお前が死ぬのは当然だ」。そう墓の中で、今でもKは考えているのだろうか?
自分の犯した過ち・罪をどう償うかは、とても難しい。相手が許してくれなければ・納得しなければ、問題は解決しない・収まらないだろう。そうすると、Kが先生に真に望んだことは何なのか、ということになる。その命がもらえれば満足するのか?
一方で、Kの方にも、友人の裏切りを理由とする自殺の必要性・必然性があったのかという問題・疑問がある。
このふたりの男は、それぞれがそれぞれに苦悩しているように見えるが、その苦悩の必然性の思考過程、出された結論が、すべて間違っている。誤答ばかりの解答用紙を二枚も見せられた青年と読者は、そこから何を学べばいいというのか? 私には、先生の遺書を前に困惑する青年の姿が見える。
青年がこの遺書の公開に踏み切ったのには、さまざまな理由が考えられるが、今回のこれまでの考察から言えることは、青年自身、先生から「記憶」を求められたこの解答用紙の解釈について、他者の意見を求めたかったのかもしれない。先生は、自分のせいで死なせた友人を、「K」という、自分にはよそよそしいと感じられる名称で呼んでいる。それを皆さんはどう思うのか? 先生のこの苦悩に似た人生を、皆さんはどう「記憶」するのか? 青年自身、その答えが得られていないのではないか。だから公開に踏み切った。そう考えることも可能だろう。
先生は、「妻のために、命を引きずって世の中を歩いていたようなものです。」と言う。
これを聞いたお嬢さんは、どう思うだろう。夫に対して申し訳ないと思うだろうか。「自分がいたせいで、あなたは自分の意志としての自殺を止められていた。」 そう思うだろうか。
「妻」がいたから、自分は自分の「命を引きずって」生きてきた。
この言い方は、お嬢さんに対して大変失礼だ。「本当は引きずりたくなかった。早く引きずるのをやめたかった。」ということだし、「引きずる」自体が失礼で下品な言い方だ。
先生は、自分が困難を重く抱えて生きてきたことを表現したかったのだろうが、その言い方が、ここでも間違っている。先生の言葉の選び方に、私はたびたび違和感を覚える。
「あなたが卒業して国へ帰る時も同じ事でした。九月になったらまたあなたに会おうと約束した私は、嘘を吐(つ)いたのではありません。全く会う気でいたのです。秋が去って、冬が来て、その冬が尽きても、きっと会うつもりでいたのです。」
この表現に、まるで悲劇のヒロインにでもなったかのような演技・わざとらしさを感じるのは私だけだろうか。「自分はこんなに頑張った。だからせめてその努力だけは認めてよ」 女々(めめ)しい先生。(この表現は、今は、使ってはいけないか?)
ここはよく話題になる部分だが、私は以下のように考える。
とりあえずは、先生が何をどう考えたかを、そのまま受け取る必要があるだろう。
明治天皇の崩御
→「私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました」
→自分は「最も強く明治の影響を受けた」人間だ。だから、明治天皇の崩御後も、自分が「生き残っているのは必竟(ひっきょう)時勢遅れだという感じが烈(はげ)しく私の胸を打ちました」
→先生は自分の考えを、「明白(あから)さまに妻にそう」言った。
→「妻は笑って取り合いませんでしたが、何を思ったものか、突然私に、では殉死(じゅんし)でもしたらよかろうと調戯(からか)いました。」
先生にとって明治天皇の存在は、明治という時代の象徴であるだけでなく、その根幹となる「精神」そのものだった。だから、そのような存在が消えたということは、「明治の精神」も消えた・終わったと感じられた。自分の中にも、同じ「精神」が存在している。天皇亡き後、自分も、自分の精神も、同じように消え去る運命にあるだろう。このまま生き残っているのは、時代遅れだと強く感じた。ということ。
ここで先生は、自分という人間の存在意義の喪失を、明治天皇の崩御に重ね合わせている。「天皇が亡くなった、であれば、自分も生き続ける意味はない。」というふうに、天皇の死をきっかけとして自殺へと背中が押されたことを示している。天皇の死が、先生の自殺の引き金を引いたことになる。
この考え方は、明治という時代の時代性、その時代に生きた人々の考え方・価値観によるところが大きい。だから現代の読者には、なかなか簡単には理解・首肯しがたい部分だ。
また、この、「明治の精神」とは何なのかの説明が欲しいところだ。しかし、この物語においては、それがなされない。先生の自殺に関わる物語の重要な場面に提示される概念が説明されないという欠落は、先生の心情理解を阻害するだろう。それとも当時の読者には、「ああ、あのことか」とピンと来たのだろうか?
明治天皇崩御については、「中・両親と私」に既に前振りとして示されており、青年の父親がその報に接して取り乱している場面が描かれていた。しかし、現代社会の我々には、天皇の死が突然提示され、しかもそれが先生に突き付けられていた銃の引き金を引くことになったと言われても、特に高校生には、あっけにとられるというのが正直なところだろう。長く親しまれる作品であるほど、享受する読者は時代で変わるので、これは仕方のないことだ。
精神的支柱ともいえる存在の喪失は、とても大きな出来事であり、それは自分の身体から、まさに背骨が抜かれてしまったかのような気持ちになっただろうことは、推測・想像できる。この考え方や価値観の違いに戸惑うとともに、より根本的な戸惑い・疑問は、あれほどまでに長期間にわたって悩み苦しんできた苦悩の片を付ける瞬間がここなのかということだ。先生は、自殺の最後の決断をするきっかけ・瞬間を待っていた。しかしそのことに天皇の崩御が使われては、明治天皇に失礼ではないかとさえ思ってしまう。友人を裏切ったという罪の意識の解消のきっかけに、天皇の死が使われている。その不自然さ、違和感がどうしてもぬぐえない。つまり、天皇崩御が、先生にいいように使われてしまっている。それを自殺の動機としてはいけないと思うのだ。先生が、天皇のために、日本のために、世に出て何かを為したのであればまだわかる。
次話で先生は、乃木大将の殉死を、自分の自殺の正当性の根拠とするのだが、それもいかがなものかと思う。それは、乃木大将の殉死の理由と自分の罪を、同列・同等に考えていることにならないか。
結局先生にとって、自殺実行の動機付けは、何でもよかったのだ。いかにもそれらしい理由があれば、それに乗って、自殺を決行する。そのもっともらしい理由付けのために引き合いに出されてしまった形の天皇と大将は気の毒だとさえ言えるだろう。
先生の自殺という私的な行為の動機付けに、公(おおやけ)が持ち出される違和感。その二つがどうしても釣り合わない。現代の読者には、カッコつけようとしてズッコケてしまったように見える先生。
当時の社会で、「明治の精神」を「時勢遅れ」と規定することは、許されたのだろうかとも思う。
明治天皇の崩御の後に生き残っているのは時勢遅れだという先生の言葉に、お嬢さんは「笑って取り合」わなかったが、「何を思ったものか、突然私に、では殉死(じゅんし)でもしたらよかろうと調戯(からか)」う。
先生は、具体的には妻からの「では殉死でもしたらよかろう」という促しによって、自殺に向かうことになる。だからこのお嬢さんの言葉は、先生にとっても、お嬢さんにとっても、この物語にとっても、非常に重い意味を持つ言葉となった。この言葉に背中を押されて、先生は実際に死ぬことになるからだ。
これまでも先生は、他者の促しによって自分の行動が決定される場面が多々あった。特にお嬢さんの何気ないひとことが、実は問題の核心を衝いていたことがあったし、今回のこの言葉も先生に対する重要な促しになっている。この物語においてお嬢さんは、意図せず、重要な役割を果たす。
先生は、自分で決められない人なのだ。自分で判断して行動に移すことができない。しかしそれでは、自分という存在が無いに等しい。
たまに決断して行動する時に、必ず間違った選択をするトラブルメーカー。ふだんは動けず、動くと失敗し、他者との軋轢が死を招く。だから先生に関わった人は皆、不幸になっている。
そのような人の何を「記憶」すればいいのだろう。失敗から学べということか。それを言われた青年は、手紙に書かれた失敗例ばかりに、頭は混乱しているだろう。
この人は「先生」の名に値しない。
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