芥川龍之介「羅生門」を読む4~奇妙な語り手

 作者はさつき、「下人が雨やみを待つてゐた」と書いた。しかし、下人は、雨がやんでも格別どうしようと云ふ當てはない。ふだんなら、勿論、主人の家へ歸る可き筈である。所がその主人からは、四五日前に暇を出された。前にも書いたやうに、當時(たうじ)京都の町は一通りならず衰微(すゐび)してゐた。今この下人が、永年(ながねん)、使はれてゐた主人から、暇を出されたのも、この衰微の小さな餘波に外ならない。だから「下人が雨(あめ)やみを待つてゐた」と云(い)ふよりも、「雨にふりこめられた下人が、行(ゆ)き所がなくて、途方にくれてゐた」と云ふ方が、適當(てきたう)である。その上、今日の空模樣も少からずこの平安朝の下人の Sentimentalisme に影響した。申(さる)の刻下りからふり出した雨は、未に上(あ)がるけしきがない。そこで、下人は、何を措いても差當(さしあた)り明日の暮(く)らしをどうにかしようとして――云はゞどうにもならない事を、どうにかしようとして、とりとめもない考へをたどりながら、さつきから朱雀大路にふる雨の音を、聞くともなく聞いてゐた。
 雨は、羅生門をつゝんで、遠くから、ざあつと云ふ音をあつめて來る。夕闇は次第に空を低くして、見上げると、門の屋根が、斜につき出した甍(いらか)の先(さき)に、重たくうす暗い雲を支へてゐる。

(青空文庫より)

「作者はさつき、「下人が雨やみを待つてゐた」と書いた。」
このお話の語り手・書き手は、自分を「作者」と呼ぶ。「作者」と言えば、通常、その物語を創作した人=芥川龍之介ということになるが、ここではそれとは違う見方を示したい。自分を「作者」と呼ぶ奇妙な語り手がいるという見方だ。つまり、この話は、「作者」である自分が作った物語であると規定する語り手がいるという見方だ。「物語」には、創作が入る。すべてが事実とは限らない。
「なめとこ山の熊」でも述べたが、この設定により、語り手は、より自由に物語る翼を手に入れる。事実とは違う、少し虚構も交じっている、もしかしたら、おかしなところもあるかもしれない。しかしそれは、この物語の「作者」である自分の創作なので、あまり気にしないでね。と言っていると、読者は受け取ることができ、また、そう受け取るべきだ。
ここで「作者」が突然顔を出すことについては、さまざまな考察があるが、私は以上のように考える。この読み方は、テキスト論的立場ということになるのだろうが、語り手が自分を作者と呼ぶ面白さが、この読み方にはある。ちょっと変わった、おかしな語り手だ。

ここでさらにおかしい・おもしろいのは、「作者はさつき、「下人が雨やみを待つてゐた」と書いた。しかし、下人は、雨がやんでも格別どうしようと云ふ當てはない」と、「さつき」言った言葉を、「作者」自身が否定するところだ。否定するのであれば、あなたは「作者」なのだから、初めから書き直せばいい・語り直せばいい。なぜそうしないのか、という問題が、新たに生ずる。
物語の読みとしては、わざとこのように言い直す形にすることによって、下人の「雨がやんでも格別どうしようと云ふ當てはない」状態を強調していると読める。下人は、「主人から」「四、五日前に暇を出された」。「明日の暮らし」に窮している状態だ。それを強調するために、わざと言い直すという形を取ったと読むことはできる。

しかしこの読みは面白くない。私なら、次のように読む。
この「作者」は、下人とともに生きている。下人のすぐそばでその様子を観察し、それをその場でそのまま書いている。下人の時間と同じ時間に生きているのだ。だから、先ほど言った表現はあまり良くないと思いなおせば、それを取り消して、今、正しい表現に変える。それが「作者」にとってはむしろ自然なのだ。
「今日は、刻限が遅いせいか」や、「今日の空模様」などは、過去のことを現在形で語る手法とも言えるが、この語り手は、下人のとても近くにいる。下人の「どうにもならない」「明日の暮らし」を、一緒になって考えている。
この言い直しは、それを感じさせる。

「ふだんなら、勿論、主人の家へ歸る可き筈である。所がその主人からは、四五日前に暇を出された」
この辺りから、下人の情報が述べられ始める。 下人は主人に使われる使用人・店員のようだ。店の主人から4、5日前にリストラにあった。下人は4、5日の間、どこで何をしていたのだろう。それは読者の想像に任されることになる。また、長年使われていたというところから、かなり若い時期から、もしかすると幼い頃から下人は働いていたということがわかる。仕事の内容については何も示されないのだが、これまで真面目に働いていた下人の姿が想像される。今や 洛中も悪の世界に成り下がっている。クビになった下人がこの後どうやって命をつないでいくかということは、下人にとってとても大きな問題だ。明日からどうやって生きていくかに下人は悩む。
下人に貯えは無いようだ。これまで住み込みで働いていた主人の家からは追い出されてしまった。住むところを失い、食べることにも困った状態。 何も口にせずに数日経っているかもしれない。 帰るべき場所がないということはまさに、 行きどころがないということになる。

以上から想像すると、主人から暇を出されてしまった下人は、この4、5日の間洛中をあちこちさまよい歩き、一晩寝られそうな場所で横になり、口にできそうなものを口にし、そうして雨に降られて、今、この羅生門の下にたどり着いたということになる。
この時の下人には目的地がない。 行くあてがないのだ。

これは、非常に悲しむべきことであるが、現在の若者にも通ずることだ。 思ったような収入が得られないため、家賃が払えず、実家から独立することができない。自立しようと思えば、住み込みで働くか、会社が用意した寮に入るしかない。自分でアパートを借りてそこに住むことができないのだ。家賃を払う余裕がない。だから退職すると、途端に住む場所を失ってしまう。現在の若者は、それだけ低い賃金で働かされている。だから夢や希望を持つことができない。それはこの時の下人と同じだ。「明日の暮らし」で精一杯なのだ。時代は進んでいても、このような状態である不幸。

そのように見てくると、「當時(たうじ)京都の町は一通りならず衰微(すゐび)してゐた」から、「今この下人が、永年(ながねん)、使はれてゐた主人から、暇を出されたのも、この衰微の小さな餘波に外ならない」と言われてしまっては、下人の立つ瀬はないだろう。下人にとっては、とても大きな「餘波」だ。生活・生死がかかっている。
もちろんここは、困窮しているのは下人だけではないことを表しているのだが。

「下人は、雨がやんでも格別どうしようと云ふ當てはない」=「「雨にふりこめられた下人が、行(ゆ)き所がなくて、途方にくれてゐた」と云ふ方が、適當(てきたう)である」と作者は説明する。
今晩一晩暮らす当てがない不安・不自由を感じるところだが、下人は「途方にくれてゐた」という状態だ。後にも説明されるのだが、この下人は、それほど不自由や不安を感じていないようだ。困ったというよりは、どうしようという感じ。若さゆえか。
確かに下人は「 Sentimentalisme」の状態にあるのだが、雨上がりを待つような待たないような様子であり、「差當(さしあた)り明日の暮(く)らしをどうにかしようとして」「さつきから朱雀大路にふる雨の音を、聞くともなく聞いてゐた」。困りきっているということでもない。
ここでもやはり下人の態度は大楊(おおよう)と言ってもいいだろう。

「申(さる)の刻下りからふり出した雨は、未に上(あ)がるけしきがない。そこで、下人は、何を措いても差當(さしあた)り明日の暮(く)らしをどうにかしようとして――云はゞどうにもならない事を、どうにかしようとして、とりとめもない考へをたどりながら、さつきから朱雀大路にふる雨の音を、聞くともなく聞いてゐた」
語り手・「作者」は残酷に規定する。下人の「明日の暮(く)らし」は、「どうにもならない」と。無理だ、改善のしようがない。だから、今下人がしている「考え」は「とりとめもない」ことだ。考えても無駄なことを考えている下人。いよいよ彼の「明日の暮らし」は窮まる。下人にできることは、「さつきから朱雀大路にふる雨の音を、聞くともなく聞」ことだけだ。

「申(さる)の刻下りからふり出した雨は、未に上(あ)がるけしきがない」
「雨は、羅生門をつゝんで、遠くから、ざあつと云ふ音をあつめて來る。夕闇は次第に空を低くして、見上げると、門の屋根が、斜につき出した甍(いらか)の先(さき)に、重たくうす暗い雲を支へてゐる」
私はここを読むといつも、次のようなイメージがわく。
羅生門近辺を写していた映像の範囲が次第に狭められ、ますます羅生門を打つ雨は強くなる。あたりの闇はさらに濃くなり、死の世界は、その勢力を、下界へと拡大しつつある。カメラは、羅生門にズームインする。
羅生門は死と悪が凝縮した場所となる。


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