夏目漱石「こころ」下・先生と遺書五十四「私は死んだ気で生きて行こうと決心した」

「その内 妻(さい)の母が病気になりました。医者に見せると到底 癒(なお)らないという診断でした。私は力の及ぶかぎり懇切に看護をしてやりました。これは病人自身のためでもありますし、また愛する妻のためでもありましたが、もっと大きな意味からいうと、ついに人間のためでした。私はそれまでにも何かしたくって堪(たま)らなかったのだけれども、何もする事ができないのでやむをえず懐手(ふところで)をしていたに違いありません。世間と切り離された私が、始めて自分から手を出して、幾分でも善(い)い事をしたという自覚を得たのはこの時でした。私は罪滅(つみほろぼし)とでも名づけなければならない、一種の気分に支配されていたのです。
 母は死にました。私と妻(さい)はたった二人ぎりになりました。妻は私に向って、これから世の中で頼りにするものは一人しかなくなったといいました。自分自身さえ頼りにする事のできない私は、妻の顔を見て思わず涙ぐみました。そうして妻を不幸な女だと思いました。また不幸な女だと口へ出してもいいました。妻はなぜだと聞きます。妻には私の意味が解(わか)らないのです。私もそれを説明してやる事ができないのです。妻は泣きました。私が不断(ふだん)からひねくれた考えで彼女を観察しているために、そんな事もいうようになるのだと恨(うら)みました。
 母の亡くなった後、私はできるだけ妻を親切に取り扱ってやりました。ただ、当人を愛していたからばかりではありません。私の親切には箇人(こじん)を離れてもっと広い背景があったようです。ちょうど妻の母の看護をしたと同じ意味で、私の心は動いたらしいのです。妻は満足らしく見えました。けれどもその満足のうちには、私を理解し得ないために起るぼんやりした稀薄(きはく)な点がどこかに含まれているようでした。しかし妻が私を理解し得たにしたところで、この物足りなさは増すとも減る気遣(きづか)いはなかったのです。女には大きな人道の立場から来る愛情よりも、多少義理をはずれても自分だけに集注される親切を嬉(うれ)しがる性質が、男よりも強いように思われますから。
 妻はある時、男の心と女の心とはどうしてもぴたりと一つになれないものだろうかといいました。私はただ若い時ならなれるだろうと曖昧な返事をしておきました。妻は自分の過去を振り返って眺めているようでしたが、やがて微(かす)かな溜息(ためいき)を洩(も)らしました。
 私の胸にはその時分から時々恐ろしい影が閃(ひら)めきました。初めはそれが偶然外から襲って来るのです。私は驚きました。私はぞっとしました。しかししばらくしている中(うち)に、私の心がその物凄(ものすご)い閃きに応ずるようになりました。しまいには外から来ないでも、自分の胸の底に生れた時から潜んでいるもののごとくに思われ出して来たのです。私はそうした心持になるたびに、自分の頭がどうかしたのではなかろうかと疑ってみました。けれども私は医者にも誰にも診てもらう気にはなりませんでした。
 私はただ人間の罪というものを深く感じたのです。その感じが私をKの墓へ毎月行かせます。その感じが私に妻の母の看護をさせます。そうしてその感じが妻に優しくしてやれと私に命じます。私はその感じのために、知らない路傍の人から鞭(むち)うたれたいとまで思った事もあります、こうした階段を段々経過して行くうちに、人に鞭うたれるよりも、自分で自分を鞭うつべきだという気になります。自分で自分を鞭うつよりも、自分で自分を殺すべきだという考えが起ります。私は仕方がないから、死んだ気で生きて行こうと決心しました。
 私がそう決心してから今日(こんにち)まで何年になるでしょう。私と妻とは元の通り仲好く暮して来ました。私と妻とは決して不幸ではありません、幸福でした。しかし私のもっている一点、私に取っては容易ならんこの一点が、妻には常に暗黒に見えたらしいのです。それを思うと、私は妻(さい)に対して非常に気の毒な気がします。

(青空文庫より)

「その内 妻(さい)の母が病気になりました。医者に見せると到底 癒(なお)らないという診断でした。」
「妻の母」にしてみれば、せっかく東大卒の有望そうな青年と自分の娘が結婚できたと喜んでいたのに、期待に反して自堕落な生活を送っているように見える婿に対して、忸怩たる思いがあったはずだ。そうして今、自分は、病に倒れ、死の淵に沈もうとしている。まさに死んでも死にきれない思いだったろう。大切な一人娘を、こんな男にやるんじゃなかったと思っていただろう。無念のうちに奥さんは死ぬことになる。

一方これはお嬢さんも同じで、今、唯一頼りになる存在は、夫ではなく母親になっている。その頼みの綱が切れてしまうことに、失望、恐れを感じていただろう。これから自分はどうなるのか。夫はどうなるのか。私たち夫婦はどうなるのか。この家はどうなるのか。そのようなことを心配し、憂慮している。

だから先生は、せめて「罪滅(つみほろぼし)」のために、「力の及ぶかぎり懇切に看護をして」やる。
「これは病人自身のためでもありますし、また愛する妻のためでもありました」
先生にしてみれば、奥さんにもお嬢さんにも罪はない。自分がこのような状況を作り出してしまった。すべては自分のせいだ。自分ひとりの罪によって、他者も不幸に巻き込んでしまっていることに、申し訳なく思う気持ちが、先生にはある。

「もっと大きな意味からいうと、ついに人間のためでした。私はそれまでにも何かしたくって堪(たま)らなかったのだけれども、何もする事ができないのでやむをえず懐手(ふところで)をしていたに違いありません。世間と切り離された私が、始めて自分から手を出して、幾分でも善(い)い事をしたという自覚を得たのはこの時でした。私は罪滅(つみほろぼし)とでも名づけなければならない、一種の気分に支配されていたのです。」

先生は、この道を進めばよかった。贖罪のための奉仕。そのきっかけを、奥さんの看病から得ることができたのだ。なぜこの道を進まなかったのだろう。
また、なぜ、「罪滅(つみほろぼし)とでも名づけなければならない、一種の気分に支配されていた」などと言うのだろう。「罪滅(つみほろぼし)」でも何でもよい。家で腐っているよりは、世の人のために自分の持つ力を発揮した方が、自分のためにも、お嬢さんのためにも、世の中のためにもはるかに良い。それを、「一種の気分」とか、「支配されていた」とかと言わなくていい。その「気分」はとてもよいものだし、その気分にむしろ完全に「支配されて」しまったほうが、先生のためにも家族のためにもよかった。
しかし、自分を破滅させる「気分」に支配されてしまう先生。

「もっと大きな意味からいうと、ついに人間のためでした。」
これまでの先生にとって「人間」は、自分のエゴのために隙あらば他者を裏切り蹴落とす存在だった。そしてそこには自分も含まれる。そのような先生が、義母を看病することによって、人間に対する新たな目を開く可能性があった。
すべての人は利己主義だ。しかし、たとえそうであっても、「人間のため」に自分ができることをしよう。自分には、「何かしたくって堪(たま)らな」い気持ちが確かにある。今までは、ただ、「何もする事ができないのでやむをえず懐手(ふところで)をしていた」だけだ。自分の力を発揮するチャンスがなかった。自分は、「世間と切り離された」ように感じていたが、奥さんを看病することで、「始めて自分から手を出して、幾分でも善(い)い事をしたという自覚を」得ることができた。これを「人間のため」に発展させていこう。
このように先生は考えるべきだった。先生は、Kの死を乗り越える答えを、ちゃんと自分で見つけていた。
人の看病や死に際し、自分の考え方や人生観が変わることはよくある。先生は、自身の困難だけに目を向けていたが、ここで他者へと意識のベクトルが180度転換する兆し・可能性があった。義母の看病を「人間のため」と表現するのはやや大げさにも感じられるが、そのような様子を表しているのだろう。
先生は人のために何かをし、人のために涙を流すことのできる人だったはずだ。しかし、Kも先生も、お嬢さんへの恋によって、良心が失われ、エゴがあらわになってしまった。恋とはつくづく恐ろしい力を持つものだ。

「母は死にました。私と妻(さい)はたった二人ぎりになりました。」
これは、先生の「一人ぽっち」感の昂進(こうしん)と、やがて先生は自殺し、後に奥さんがたった一人残されることを暗示する。

「妻は私に向って、これから世の中で頼りにするものは一人しかなくなったといいました。」
自堕落な生活を送っている夫は、全く頼りにならなかった。お嬢さんが頼りにできたのは、母親だけだった。その頼みの綱が切れた以上、夫にしっかりしてもらわなければならないという気持ちと、母を失った悲しみの気持ちの表れ。

「自分自身さえ頼りにする事のできない私は、妻の顔を見て思わず涙ぐみました。」
お嬢さんの期待に反して、先生は、とても頼りない反応を見せる。これではお嬢さんは安心できない。今後について、更に不安になっただろう。
Kの死に際しては泣かなかった先生が、お嬢さんのために泣く。自分は自分が頼りにできない。自分で自分が信用ならない。そのようなふがいない自分を、それでも頼らざるを得ない妻への憐憫(れんびん)の涙。
ここで先生は、一念発起すべきだった。このままではいけない。自分も妻も不幸になる、と。妻を不幸にすることは、先生の本意ではないだろう。であるならば、先生は、これまでの考えと人生を変えなければならなかった。
だから、涙を流したり、「妻を不幸な女だと思いました。また不幸な女だと口へ出してもいいました」ということではダメなのだ。先生はなぜ自分を変えようとしないのだろう。義母の死は、 先生自身の変革のチャンスだった。これでは、「不幸」をもてあそんでいる、奥さんへの愛は偽りだ、と言われても仕方がない。
「これからが不安だ」と、自分に頼ろうとする相手に対して涙を見せることによりさらに不安にさせ、「不幸な女だ」と、 相手の不安にダメ押しをする。 こんなダメ男は、夫の資格がない。一刻も早くお嬢さんと別れるべきだ。先生は自分から身を引くということをしても良かった。自殺という形ではなく、離婚という形もあった。つまり、奥さんの未来に対して責任が持てないのであれば、離婚する、というのも、愛の形の一つだ。「 自分はダメになってしまった。だからこのまま自分と一緒にいると、あなたもダメになってしまう。あなたへの愛はあるが、ここは私が身を引く。離婚しよう」とお嬢さんに伝え、自分が持っている全ての財産をお嬢さんに与え、先生はひとりになることもできた。お嬢さんにとっては、夫に失踪・自殺されるよりも、その方がどれほど良いかわからない。
更に言うと、Kの影に怯える日々を続けた当初から、つまり、まだ奥さんが生きてるうちに、離縁しても良かった。その方が、奥さんの寿命も伸びたかもしれない。奥さんの病気には、当然、心痛・ストレスが影響している。

「妻はなぜだと聞きます。」
このお嬢さんの言葉は、「なぜあなたは、そんなことを言うの」という意味だ。
「自分は愛する人と結婚をした。予想に反して夫は乱れた生活を送っている。しかしその理由は分からない。教えてもくれない。母は死んだ。これから頼りにできるのは、以前とは人が変わってしまった夫だけだ。これらに苦悩する自分に、なぜ『不幸な女だ』と、ことさらに言うのか。それはあまりにもひどい」
以上のような意味だ。

「妻には私の意味が解(わか)らないのです。」
先生の方が全く解っていない。お嬢さんの気持ちと言葉の意味を。先生は、なぜ自分は「不幸」なのかの理由をお嬢さんから問われたと思っている。お嬢さんには何の罪もないのに、Kの自殺に苦悩する自分との生活を強いられていることへの憐れみが、先生の言う「不幸」の「意味」だ。

先生は、「私もそれを説明してやる事ができない」ために「妻は泣きました」と理解しているが、そうではない。お嬢さんは、先生が落ち込んでいる理由を知らないことも悩みの一つだが、先生がその訳の分からない困難を乗り越えることができていないことへの悔しさもある。
だからお嬢さんは「恨」むのだ。「不断からひねくれた考えで彼女を観察しているために、そんな事もいうようになるのだ」と。自分のこころを理解してくれていない夫への批判の言葉。

「母の亡くなった後」、先生は、「できるだけ妻を親切に取り扱って」やる。「当人を愛していたからばかりでは」なく、「箇人(こじん)を離れてもっと広い背景があったよう」だ。「ちょうど妻の母の看護をしたと同じ意味で、私の心は動いたらしい」のだった。
義母の死の際と同じく、ここにも、先生の人生の転換点になりうる場面があった。固く自分を閉ざしていては、物事は進まない。「広い」世界へ「心」を「動」かさなければならない。先生は、そうすべきだった。

先生の、「箇人(こじん)を離れてもっと広い背景が」ある、「できるだけ」「親切」な「取り扱」いにより、「妻は満足らしく見え」た。
「けれどもその満足のうちには、私を理解し得ないために起るぼんやりした稀薄(きはく)な点がどこかに含まれているようでした。しかし妻が私を理解し得たにしたところで、この物足りなさは増すとも減る気遣(きづか)いはなかったのです」。
夫の親切に妻は満足する。心が満たされる。しかしお嬢さんには、そこに、夫を「理解し得ないために起るぼんやりした稀薄(きはく)な点がどこかに含まれている」。それが「物足りなさ」だ。この時先生は、お嬢さん個人というよりも、もっと広く人間全体に対する愛によって、お嬢さんを愛し、親切に接している。
「妻が私を理解し得たにしたところで、この物足りなさは増すとも減る気遣(きづか)いはなかった」というのは、お嬢さんが先生の人間愛を理解したとしても、それだけでは満足できないということ。それが、「女には大きな人道の立場から来る愛情よりも、多少義理をはずれても自分だけに集注される親切を嬉(うれ)しがる性質が、男よりも強いように思われますから。」の意味だ。
お嬢さんが求めているのは、自分だけに注がれる愛であり、今先生が行なっている、人間全体への愛では、「物足りない」・不満足だろう、ということ。

お嬢さんは、とても利発な人だ。Kの自殺や先生の変化を疑問に思っている。それが解決されなければ、お嬢さんも、自身の苦悩から解放されないだろう。だから、先生から、すべての真実の告白を受ければ、それらの疑問は雲散霧消するだろう。そうして、あらためて、先生という存在を認め、ともに、Kへの弔いの道を歩むだろう。先生への愛や先生からの愛は、その時自然にふたりを満たすに違いない。
だから先生が危惧している、今先生から注がれている愛だけではお嬢さんは満足できないというのは、お嬢さんを見くびった考えだ。お嬢さんが求めているのは、先生の告白だ。ふたりの愛は、そこからまた始めればいい。

「妻はある時、男の心と女の心とはどうしてもぴたりと一つになれないものだろうかといいました。」
お嬢さんは苦悩している。いま夫がこのような状態であるのは、自分のせいなのではないか。夫はそうではないと答えるが、はっきりとした理由が分からない。夫は自分に何も話してくれない。なぜ話してくれないのだろう。何かをひどく思い詰めている夫。しかし自分は手を差し伸べてあげられない。そうしたくてもできないもどかしさ。夫の沈痛な表情を眺める毎日。それは、自分の思い描いていた結婚生活とは、まるでかけ離れたものだ。なぜこうなってしまったのだろう。誰のせいなのだろう。私のせい?
お嬢さんは、そのようなことを考え続けている。悩んでいるのは、先生だけではない。夫を気遣うお嬢さんの心痛の方が、よほど深い。そのことに、なぜ先生は気づかないのだろう。どうして二人でこの困難を乗り越えようとしないのだろう。

先ほど「女には」という先生の発言があったが、女性蔑視とまでは言わないが、先生には、女性を下に見る傾向がある。パートナーとして、共に問題解決を行なう意志を持った相手とは見ていない。
この物語の基層には、先生のこの考え方が反映していることは、以外に重要だ。先生は一人で戦おうとしている。自分一人だけで考え、悩み、問題に対しようとしている。しかし先生にはすぐそばに自分を愛してくれているお嬢さんがいる。先生は自分の苦悩の解決を彼女と共にしようとは考えない。「女には」それは無理だと思っているからだ。
か弱く美しい存在だから、お嬢さんを保護すべきだ、守るべきだ、と先生は考えている。 そうであるならば、真剣にお嬢さんを守ろうと努力すべきだ。先生はその努力を怠っている。先生はお嬢さんも不安と苦悩の淵に沈めている。

「私はただ若い時ならなれるだろうと曖昧な返事をしておきました。」
まだ若く様々なことに考えが及ばない頃であれば、簡単に相手に迎合することができるという意味だ。 しかしそれは表面的な、その場で考えた理由付け なので、曖昧なという表現になった。
「妻は自分の過去を振り返って眺めているようでしたが、やがて微(かす)かな溜息(ためいき)を洩(も)らしました。」
このかすかな溜息は、お嬢さん自身、自分と先生との若い頃からこれまでの歴史を振り返ってみたが、自分と先生の心がぴったり一つに重なったことは一度もなかったので、それで思わず溜息をついてしまったのだ。
そもそも、人と人との心・気持ち・考えが、完全にぴったり一致するということはありえない。それぞれがそれぞれに自分の思いを心に抱いている。それは先生とお嬢さんの間でも同じことだ。 まだ若い頃には、恋の情熱のあまりに、自分と相手とがぴったり一つに重なることができると簡単に考えてしまいがちだが、それはなかなか難しいことだ。だから人は、自分の考えを持ち、相手とコミュニケーションを取ることによって相手の考えも認め、そして問題にどう対処するのかの方向性を探っていく。そのような作業が、たとえ夫婦の間であっても、言葉によってなされる必要がある。先生とお嬢さんもその作業が必要だった。 しかし先生は何も話さなかった。それでなくても先生は、例えば Kに対してもそうだったように、とても大切なことを相手に伝えない。相手とコミュニケーションを取ることを避けてしまう。そこに先生の失敗・問題がある。コミュニケーションを取らなければ、自分が何を考えているかを相手に伝えることはできず、相手に知ってもらうこともできない。相手が何を考えているかを知ることもできない。するとそこに問題が発生してしまう。話し合えば解決できたかもしれないことが、そうしないことで、さらなる問題の肥大化につながってしまう。
先生は困難の解決のための行動を、とても億劫がる。面倒くさがるのだ。しかしそれがKの命を失わせ、やがて自分の命も失い、後にたった一人お嬢さんを取り残すことになる。先生は、やらねばならないことをやらなかった。すべき行動をしなかった。
夫婦になると、互いに自分の意見を言わなくなることが多い。よく言えば、阿吽の呼吸ということになるのだろう。必要な会話がたくさん省略される。 そのような面も、先生とお嬢さんの間にはあっただろう。しかし先生が抱える問題は、会話なしにはどうしても解決しない。先生ひとりで悩み、考えていては、その態度が真面目であればあるほど、死に引きずり込まれるだけだ。
お嬢さんの、「男の心と女の心とはどうしてもぴたりと一つになれないものだろうか」という問いは、こころの底の部分でどうしても解り合えない・理解不能な夫への苦悩があらわれた言葉だった。

先生には、お嬢さんがいた。義母の看病や死を経験し、お嬢さんへ愛を与えることで、他者へと心が開かれる可能性があった。しかし先生は、その芽を摘んでしまう。

「時々」「閃(ひら)め」く「恐ろしい影」に、先生は「驚き」「ぞっと」する。やがて先生の心は「物凄(ものすご)い閃きに応ずるように」なる。その閃きは、初めは自分の外にあるように感じ、後には「自分の胸の底に生れた時から潜んでいるもののごとくに思われ出して来た」。その時先生は、「自分の頭がどうかしたのではなかろうかと疑」う。しかし、「医者にも誰にも診てもらう気には」ならなかった。
素人ながらも先生のこの様子は、心の病になりかけているように思われる。少なくとも、カウンセリングが必要な状態だ。姿や形のない何ものかへの恐怖。しかも先生の心はそれに敏感に反応・感応し始めている。大変危険な、心の状態だ。
さらに悪い事には、それが「自分の胸の底に生れた時から潜んでいるもののごとくに思われ出して来た」ことだ。人間の生まれ持つ「人間の罪」・原罪までも、自分の身に染みて考え始めている。心療内科への通院加療が必要だろう。
ここで先生は、「医者にも誰にも診てもらう気には」ならない。大切な行動をしないのだ。

「人間の罪というものを深く感じた」先生は、それによって、「Kの墓へ毎月行か」される。また、「妻の母の看護をさせ」られる。さらに、「妻に優しくしてやれと」命じられる。やがて、「知らない路傍の人から鞭(むち)うたれたいとまで思った事もあり」、「こうした階段を段々経過して行くうちに」、「自分で自分を鞭うつべきだ」、「自分で自分を殺すべきだという考えが起」る。
先生は、「仕方」なく、「死んだ気で生きて行こうと決心」する。

先生に少し厳しい言い方をする。
「人間の罪」とは、当然ながら、人間すべてが持っている罪だ。先生自身の罪をそのように規定してしまうと、「だからエゴから来る親友の裏切りという自分の罪も、仕方がなかった・避けようがなかった。なぜなら、それは、人間すべてが生まれながらに持つ罪だからだ」、ということになりはしまいか。
また、「行かせます」、「看護をさせます」、「優しくしてやれと私に命じます」、という言い方も、とても気になる。誰かによってそうさせられているという表現だからだ。これでは、自らの意志ではなく、仕方なくそうするよう強要されていると読める。先生にとって懺悔は、自らの意志ではないのか? 本当に反省したから、墓参りをするのではないのか?
この、中途半端・不完全な責任の取り方の表現に、納得がいかない。
もっと言うと、自殺という方法も、自分勝手で無責任、中途半端な責任の取り方だ。先生はいい。勝手に逝けばいい。しかし、後に残されたお嬢さんはどうなる。わけもわからず夫は堕落し、果ては失踪・自殺。まったく、やってられない。ふざけるなと言いたいところだろう。妻を愛していたのではないのか? 愛する人を不幸に落としてもいいのか?
私には、先生は、理解できない。 

「自分で自分を殺すべきだという考えが起ります。私は仕方がないから、死んだ気で生きて行こうと決心しました。」
有名な表現だが、先生の意図とは180度違う意味で、先生はこの後の人生を歩むべきだった。
先生は、今までの「自分を殺すべき」だったのだ。他者との大事なコミュニケーションをせず、自分のエゴに走る。他者を信頼せず、人間すべてが持つ罪だと責任逃れする。そのような過去の自分を殺すのだ。
そうして、真に「死んだ気で生きて行こうと決心」すべきだった。これまでの自分を改め、お嬢さんとともに懺悔の道を歩く。それこそが、先生に求められる「決心」だった。
だから、自分という存在そのものを抹殺してどうする。そんなことは、誰も、神も、求めていない。墓の中で先生を手招きし続けるKも、真に変革を遂げた先生の姿を毎月見れば、やがていつかは許してくれるだろう。
「あの時は、俺もお前も若かった。自らのエゴに走ってしまった。しかしお前は、自分の罪をちゃんと認めてくれた。お嬢さんを大事にしろよ」
そう言ってくれるはずだ。

「私がそう決心してから今日(こんにち)まで何年になるでしょう。私と妻とは元の通り仲好く暮して来ました。私と妻とは決して不幸ではありません、幸福でした。しかし私のもっている一点、私に取っては容易ならんこの一点が、妻には常に暗黒に見えたらしいのです。それを思うと、私は妻(さい)に対して非常に気の毒な気がします。」

この手紙を書いている現在は、先生が「死んだ気で生きて行こうと決心」してから「何年」も経っていることが分かる。
先生は、「私と妻とは元の通り仲好く暮して来ました。私と妻とは決して不幸ではありません」と言うが、お嬢さんは違うだろう。先生の「もっている一点、私に取っては容易ならんこの一点が、妻には常に暗黒に見え」、それによってお嬢さんの人生も、暗く染められている。だから「仲良く暮」らす毎日には、灰色の紗がかかっている。完全に心が解放されるわけではない。一瞬の幸福の後に、こころに影が差す。そのような毎日を過ごす奥さんは、次第に憂鬱の雲が厚くなっていく。楽しくても真には楽しめない。先生は「決して不幸では」なかったのかもしれないが、奥さんは「不幸」だったろう。悪い意味で奥さんは、先生(の説明)に巻き込まれている。
たとえ「一点」の「暗黒」であろうと、それは周囲にじわじわ滲み出し、やがて心全体を灰色に覆うだろう。常に何かが気にかかる人は、心から楽しむことはできない。

「私は妻(さい)に対して非常に気の毒な気がします。」
この「気の毒」が、「同情」の意味で使われているとすれば、この語の用い方は不審だ。ここには、「申し訳ない」とか、「謝りたい」とかが来るべきだ。「気の毒」というのは、他人行儀で突き放した言い方。第三者から見て、そのように思われる、という意味の語なので、先生の思考の過程や言葉の使い方に不審を抱く。夫が「妻」に「同情」するというのはおかしい。夫婦は同情の関係ではない。
ただ「気の毒」には、他者に余計な迷惑をかけて悪かったという軽い謝罪の気持ちを含んだ意味もあるので、そちらの意味であれば納得できる。ただし、「軽い謝罪」だが。

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