「デューク」(江國香織)を読む3~センター試験に挑戦!

 公衆電話からアルバイト先に欠勤の連絡をした女性がテーブルに戻ると、「じゃあ、今日は一日暇なんだ」と少年が「ぶっきらぼうに言った」。この少年の受け答えは、ややきざな感じがする。初対面なのになれなれしい。(これも伏線なのだが) だから普通であれば、女性は警戒すべきだし、早くその場を去るべきだ。ところが、不思議なことに女性は、少年との交流を続ける。
 一緒にいるだけでなぜか落ち着く相手。二人は喫茶店を出、坂の上のプールに入ることになる。誘ったのは少年。女性が言うとおり、「十二月の、しかも朝っぱらからプールに入る」のは、「酔狂」でしかない。「泳げないの」(?)と「さもおかしそうな目」で少年に見られた女性は「しゃくになり、黙ったまま財布から三百円出して、入場券を買ってしまった」。少年からちょっかいをかけられ、それに反応してしまったのだ。「少年はきびきびと準備運動を済ませて、しなやかに水に飛び込んだ。彼は魚のように上手に泳いだ」。青年の活発・活動的な様子に、女性も「ゆっくり水に入る」。「プールの人工的な青」、「カルキの匂い」、「反響する水音」が「とても懐かしかった」。
 次の場面で女性は不思議な体験をする。「突然ぐんと前に引っ張られ」、「まるで、誰かが」「頭を糸で引っ張ってでもいるように」、「どんどん泳いでいた」。「すっと、糸を引く力が弱ま」り、「慌てて立ち上がって顔を拭くと、もうプールの真ん中だった」。「三メートルほど先に少年が立っていて、私の顔を見てにっこり笑った」。超常的な何かの力が、女性に作用した場面。しかし女性はそのことに恐怖を感じない。それどころか、「私は、泳ぐって、気持ちのいいことだったんだな、と思った」。本文に明らかには述べられないが、これは少年の持つ不思議な力だ。少年は、女性を泳がせることで、鬱屈から彼女の心と体を解放したのだ。

 プールを出た後、二人はアイスクリームを食べる。「泳いだあとの疲れ」の「心地よ」さ、「アイスクリームの甘さ」が「舌にうれし」いこと。それらを少年は、女性に思い出させてあげる。少しの心の解放や安心を得た女性は、それらをもたらした少年への興味が増す。「私の横を歩いている少年は背が高く、端正な顔立ちで、私は思わずドキドキしてしまった。晴れた真昼の、冬の匂いがした」。女性が少年に対して完全に恋に落ちた場面。

 とてもいい場面で恐縮なのだが、ここでセンター試験の問題。
「問3 傍線部B「彼が指さしたのは、プールだった」とあるが、これに続くプールでの出来事の叙述は、この小説の中でどのような働きをしているか。
①強引な「少年」に反発を感じていた「私」が、「少年」の指導によって泳ぐことを教えられるということで、「少年」が「私」にとって不可欠な存在となることを表している。
②泳ぎの嫌いな「私」が、「少年」に導かれてプールで童心に帰る体験をさせられるということで、「私」が純真さを取り戻すことを暗示している。
③悲しみに沈んでいた「私」が、忘れていた水の感覚の素晴らしさを「少年」に教えられるということで、「私」が悲しみを癒す方法を手に入れたことを表している。
④泳げないはずの「私」が、「少年」の神秘的な力によって泳ぐことの快さを体験させられるということで、「少年」が特別な存在であることを暗示している。
⑤元気をなくしていた「私」が、「少年」によって泳ぐことを疑似的に経験させられるということで、「少年」の存在の不確かさを表している。」

①について。多少無理に真冬のプールに誘った少年だが、結局入場券を買ったのは女性自身なので、「強引な「少年」に反発」までは感じてはいない。「「少年」の指導によって泳ぐことを教えられる」場面もない。「「少年」が「私」にとって不可欠な存在となる」ところまではいっていない。ということで①は✕。
②について。女性は、泳ぎが嫌いなわけではない。そもそも泳げないし、「十二月の朝っぱらから」だから拒否反応を示したのだ。また、女性は、「童心に帰」ってはいない。「懐かしかった」だけだ。「純真さを取り戻す」も言い過ぎ。またそれを「暗示して」はいない。✕。
③について。「忘れていた水の感覚の素晴らしさ」に難がある。女性は泳ぐことによって、「泳ぐって、気持ちのいいことだったんだな」と思う。これを先ほどのように言い換えるのは微妙だ。また、女性は「悲しみを癒す方法を手に入れた」とまでは述べられていないので✕。
④について。これが正解のようだ。しかし、このプールの場面の主眼は、体を思いっきり動かす快さや、それによって憂鬱が幾分かでも解消できるということを、少年の導きによって女性が再認識することができた点にある。これ抜きに、この場面は語れない。「「少年」が特別な存在であることを暗示」することが、プールの場面のテーマではない。確かにそれも表している。(ただし、「特別」の意味が曖昧だが)    しかしそれが重要なのではない。その点に、この正解の選択肢に対する不満を感じる。つまり、青年の持つ不思議な力によって、女性が再生されようとしていることが大事なのだ。その前者ではなく後者に重点がある。
 本文には「自慢ではないけれど、私は泳げない」とある。しかし、「ぐんと前に引っ張られ」て、私は「どんどん泳いでいた」。それからふたりは、「ひと言も言わずに泳ぎ回り」、「壁の時計」が「お昼」を指すまで泳ぎ続ける。それまで全く泳げなかった人が、突然「どんどん」「泳ぎ回」るようになることがあるのだろうか。このあたりは物語自体への不審を抱く。
 この正解の選択肢には、「少年」が「神秘的な力」を持つという重要な要素が書き込まれる。それはやや唐突と感じるほどだ。この物語は、確かにそのように読むべきなのだが、前触れもなくいきなり超能力の持ち主であることが選択肢によって明示されることに、解答者は驚きを禁じ得ないのではないか。言い方を変えると、作問者はこの物語をこのように読解しているようだが、その根拠はと言われると、少年は「糸」を手に持っているわけではないし、「三メートルほど先」に「立ってい」るだけだ。だから、その糸の持ち主は誰かはわからない。ほかの選択肢とはかなり異質な④なので、不正解ではないかと疑った受験生は多かったのではないか。
    また、「特別な存在」の「特別」の意味がやはり不明瞭だ。少年が特別な力を持つ事を表してしるのか、女性にとって特別な存在になりかけているのかがわからない。選択肢を紛らわしいものにしようという意志は感じられるが、意味がぼんやりしすぎている選択肢だ。
⑤について。「泳ぐことを疑似的に経験させられる」が✕。女性は実際に泳いでいる。また、「「少年」の存在の不確かさ」は表していない。少年は実際に存在している。

 問3は、正解が本質から外れていることと、その意味が不明瞭なことが不満だ。また、女性が泳ぐことができたのは少年の神秘的な力のおかげかどうかが、この部分までの本文からははっきりとは読み取れない。これはもちろん、物語としてはそのように読むのだろうが、ここまでの部分での読みの許容範囲がどこまでなのか、作問者はこの物語をどう読んでいるのかが推測しにくい。
    先ほども述べたが、他と比較してこの正解の選択肢だけが異質なので、受験生は選びにくいだろう。

    受験生は、本文を正確に読み、作者の意図を理解するだけでなく、同じ本文を作問者はどう読んだのかも問題と選択肢から推測しながら解答しなければならない。作者と作問者のふたりを相手に読解と解答を進める必要があるのだ。そこが、ただの読書とは異なる点だ。作者と作問者の意図に沿って読まなければならない。だから、作問者の読みと自分の読みが異なると、不正解ということになる。文章を深く読むことができる人は、往々にして選択肢に悩み、結局不正解になるという現象が起こる。そのレベルの読みでいいの?とか、そのレベルでの答えを求めていたのね。ということが多い。国語の解答の難しさは、このようなところにもある。読み慣れていない人も難しいし、読み慣れた人も、どこにポイント合わせればいいか、何を求めているかに迷う。

    今回のセンター試験の問題は、結局消去法で正解にたどり着くのだが、疑問を多く感じた。さらに言うと、消去法で正解にたどり着くという問題作成は、やめるべきだ。それは、からめ手、はぐらかしであり、何か卑怯な感じがする。正解の選択肢は、正面から堂々と示すべきだ。それでは皆が正解してしまうという問題や選択肢は、本文の読解が浅く、選択肢作成の工夫が足りないと思う。
「本文のこの部分はこういうことを表しているということを、あなたはちゃんと読み取れていますか?」という問題にすべきだ。選択肢の表現の誤りで見分けるのではなく、読みの深浅を測る問題を作成するために、作成者には、本文の丁寧な読みと、真正面からの作問を期待したい。

(つづく)

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