裏山遊びが私の原点!原体験と仕事リレー#2
私の原体験と仕事。
仕事は管理栄養士。
なんだけど、、
実は私は食べることが好き!
以外は特に管理栄養士を希望してたわけではなかった。
仕事としてやってたら
管理栄養士というより
「食が人と人をつなぐ仕事」というところに惹かれて今に至る。
■ほんとは薬剤師になりたかった・・!???
親族は医療関係者ばかりの家系で
大学受験、さぁどうする?
というとき、両親には
心理学部へ行きたい!を否定され
資格が大事!と言われ
じゃあ、臨床心理士!と決めたら大反対。
結局薬剤師を推薦されて
これは自分の意志なのかどうか
今思えばよくわかっていないまま
“志望校”を決めて大学受験に臨んだ。
自分でもうすうす分かっていたけど
心の底から湧いてきたモチベーションじゃないから
文化祭や友達との遊びに逃げていた、、笑
要するに、
自分の進路は人任せにしていた
そして人のせいにしていた
結局薬剤師になるための大学はすべて落ちて
“滑り止め”とされていた大学に進むことになった。
これが私が管理栄養士になった経緯。
期待はずれでごめんなさい・・
ちゃんと後で今につなぎます・・笑
私の中でのくらーい時代は小学校3年くらいから
高校くらいまでかな・・
私立にいかせてもらっていた私はとにかく
定期テストの点数によって
“自分”という人間を評価されている
と感じ続けていた。
点数が良い→褒められる
点数が悪い→怒られる
これに違和感ばかり感じて
自分の思いどおりにならないこと、できないことは
逃げたり、人のせい(環境や親)にしていた。
■嫁姑問題と私
更に・・
うちは、母からみると姑に当たるおばあちゃんと
一緒に暮らしていた。
私の家族以外に
祖母・祖父の親族や
父の親族などが身近にいて
母はその中で
1人寂しい思いをしていた。
その寂しさが
たぶん、私にむかってきた。
母が感じるプレッシャー
孤独が
私の行動を制限することもあった。
『今日はおばあちゃんと何話したの?』
こんな些細な母からの問いかけが
すごく重かった・・。
私の振る舞いによっては
母を傷つけてしまうことがあり
自分の言動には小さいなりに
細心の注意を払って接することが
通常モードになっていった。
息苦しかったなー。
友人関係でもこの感覚が発揮されてしまって
自分とというより仲介して過ごすことが得意になった。
そんな感じでどんどん
私ってなんのために生きてるんだろう・・モードになっていった・・。
わー暗い話・・笑
こんな私に変化が訪れたのが
大学時代。
『もう人のせいにするのはやめよう』
と決めるきっかけになったのは
今の夫に言われた一言。
『親だって人間だから。自分のことは自分で決めて、何だってなれる。』
というようなことだったかな・・。ちょっとあやふやだけど・・
『色々あったからできない』
が『色々あったけどできる』気がした瞬間だった。
でもね、こんな過去の自分の葛藤があるから
これから話す原体験が
より今の仕事に影響する想いにつながってるなって思う。
だから、この暗い話も原体験。
■これが私の原体験!
そんな大人の私を救ったのは
間違いなく幼少期の体験!
私は東京の東大和市生まれ。
家の裏はすぐ山で、ちょっと歩けば多摩湖があった
東村山じゃないけど、
『庭先は多摩湖。』
ほんとそう。
幼稚園おわると友達と
近所の山で遊んだ
春はたけのこほったり(あ、、ちゃんと許可されたところね・・)
おばあちゃんに教えてもらって山菜採って
てんぷらにしたり、煮付けたり
夏は近所のおばあちゃんに
畑に連れて行ってもらって
もぎたての野菜をもらったり
そのおばあちゃん、にわとりも飼っててね
秋は落ち葉で焼き芋したり
たけのこ掘り1つとっても
どうやって掘ると成功するかだけで
何日も楽しめる!
山菜をとってきて
食べたときの感動!
ただの草が、食べられるんだ!!みたいな・・
落ち葉で焼き芋は
その後の火遊びにつながった
どの葉っぱ、どの木が
一番よく燃えるのか
最終的に
友達とチームを組んで
先に水が沸騰したほうが勝ち!という
ゲームにまで発展した。
水を何の容器にいれるのか
どうやって配置するのか
どのくらいの量にしたら良いか
条件はどうしたら平等になるのか
今思い出してもワクワクする♪
幼稚園や公園では
砂場で山と川作り
これ全部、大人いなかったのね。
自由に遊んでた。
どこにも正解がなくて
だれが正解とかじゃない
自分たちが作ったもので楽しむだけ
ただ楽しい!!!が生きる力。
これが今でも私の大事な感覚になっている。
■おばあちゃん
それで今の仕事につながる体験は
その中でもおばあちゃん。
山と食をつなげてくれて
私がご飯をとぐだけで
『あっこのごはんおいしいねー』
と言って食べてくれた
それだけで
私は大人になってからも
『私は料理がうまいんだ!』
という根拠のない自信になってた。
ホントは料理は
ずーっとしてなくて
ほんとに下手だったんだけど
『私は料理は得意なはず』という
自信だけはあって料理も頑張ってみれた。
■それで管理栄養士って?
そんなことで
私は子ども時代のこの根拠のない感情って
後の人生に大きく影響するんじゃないかなって思っていて
この先、人生でいろんなことがあっても
無条件に自分や人が好き!楽しい!と思える感覚があったら
きっと大丈夫!どんなことも最終的に前にすすめるって思うから
食を通して子どもたちには
そんなことを伝えたいし
赤ちゃんには・・
離乳食で
毎日目安量にあと●g足りてない!!って頑張っているお母さん達に
その●gより、子どもが何をしたいのか?を見てあげることのほうが
きっとママも赤ちゃんもハッピーだよってことを伝えたいなと思ってる。
もちろん、その●gに含まれる栄養をしることで
安心するならそれも大切で、伝えたいし
料理が苦手なら、苦手でいい。
育児の中で食を通して
ママやこどもたちと
一緒に楽しめるように。
その楽しむという幸せが少しでも社会の幸せにつながっていくといいな。
・・・・
〜プロフィール〜
永澤瑛子 ながさわあきこ
プリンセス好きで女子力高めの3歳女子と
よく笑いよく泣く0歳女の子のママ。
管理栄養士 離乳食アドバイザー
保育園、都内小児医療センター、保健センターで
母子栄養相談などを担当。
現在は離乳食のことを伝える教室をしています。
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