君が言う(ダスト・エッセイ)

 コロナにかかってしまった。久しぶりに長い間体調が悪い。高熱と喉の痛みに苦しむ。寝たきりで、ひたすら、頭を働かせなくても楽しめる動画を消費している。

 考え事も、妄想も続かない。続くのは、睡眠か、ただただ流れる映像を鑑賞することだけ。ディストピア小説で読むような、考え事をしない、ひたすら受け身で消費していくだけの状態は、まさにこんな感じなのかと痛感する。ネットサーフィンすらたいして続かない。思考の肺活量が、全くない。こんな状態を、脳死だと言った人がいた。その表現が、自分の劣った脳みそやテクノロジーの進歩による人間の変化を表すものとして、僕にとってはピッタリだった。今思えば、いくらでも言い表されていそうだが、そう僕の前で言った人は科学者ではなく、時代の変化を的確かつ迅速に描く文学者でもなく、正直よくいそうな、気だるそうに大学に通う女子学生だった。



 思い出すのは、僕が初めて、頷く、という単語を知った日のことだった。たしか小学2年生の時だった。ホームルームか道徳の時間か、とにかく、クラス全員が教室にいて、しっとりした空気が漂う時間に、担任教師が問いかけた。相手の話を聞いて、うんうんと、首を縦にふることをなんと言うか。それに答えたのは、後にギャルになる、クラスで一番男子に好意を持たれる、おしゃれ番長的な女子だった。けして勉強が得意なわけではなかった。教師の問いかけに対して、すっと真っ直ぐ手を挙げて、落ち着いた声で答えたその時の横顔を、よく覚えている。


 ギャップ萌えのようなものだった。僕の中に新しい世界観を広げてくれた言葉、それを、まさか、君が言うのか、と。悔しさに近い感情も湧く。心のどこかで、君にそんなことができるわけがないと、思い込んでいたからに違いない。彼女たちの中にある奥行きのようなものも感じる。もっと奥の方に、味わい深い経験や想いがあるのじゃないかと思わせる。知りたくなる。


(2023年4月20日投稿)

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