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貧乏くさい人には、なりたくないよね。

「貧乏」であることは、いい。

でも「貧乏くさい」のは、イヤ。

では「貧乏くさい」ってどういうことか。お金がなくても貧乏くさいと感じない人は居るし、逆にお金持ちなのに貧乏くさい人も意外にたくさん居る世の中。何が違うんだろうか。

私が個人的に「貧乏くさい」と感じることをいくつか挙げてみる。

時間、人間関係、身のこなしすべてに余裕がない。
話し方や表情に「品」が感じられない。
他人と群れたがり、声がやたら大きい。
台所が汚れるのがイヤだからと自炊をしないで外食する。
大型スーパーのゲームコーナーで子どもにお金を与え勝手に遊ばせる。
金と暇があればできることを自慢する。
無料サンプル・招待券・割引券が大好き。
本を読まない。
消えてしまうものにお金を使わない。
所有物が多く、必要ないものばかりたくさん持っている。
ハイブランドや高学歴などハイスペックであることを重要視する。
セールを行っている店で血眼になって安いモノを探す。

・・・こんなところだろうか。反論もあるとは思うが。

貧乏は「目の前にある事実」だが、貧乏くさいのは生き方・・・つまり「その人そのもの」ともいえる。と思えば、金銭的、物質的には決して貧乏じゃないのに貧乏くさい人が一定数居るのもわからなくはない。

個人的に思うのだが、自粛期間中にゴルフ三昧で沖縄で新コロ感染が発覚した俳優も、多目的トイレで不倫とも言えないような行為をやらかした芸人も、共通するのは「貧乏くさい」のである。どちらも、やれインテリだのグルメだのモテるだのとメディアでさんざんもてはやされてきたのだが、言ってることは薄っぺらいし、いいところに行ってウマイもん食ってるんですというアピールが、私はどーにも貧乏くさくしか見えなかった。

貧乏くさい人は、多くを望みすぎ、もっともっと、と自分の存在をアピールし、他人に羨ましく思われたいために「いかにも豊かなように」振舞う。永遠に終わらない無限地獄のようなもの。

貧乏な人は、足ることを知っている。何でも感謝し、満ちることを知っている。豊かになればそれはそれ、でも豊かに見せるような振舞いはせず、日々をささやかに、楽しく暮らしている。

ま、貧乏な人はお金を得れば物質的には貧乏ではなくなるわけだが、貧乏くささは、いくら大金を持っていても内からにじみ出てくるものだと思うので、そりゃ直らないわな。

「襤褸は着てても心は錦」とまではいかなくても、貧乏くさい人にはなりたくない。日々のゴハンを作り、おいしいなーと思いながら食べ、本を読めることやネットを使ってブログや記事が書けること、少ないながらも仕事ができることに感謝し、日々をみみっちくも楽しく生きていきたいと思う。

向上心がまったく無いのもつまらんが、うまいもの食べて、いい本を見つけて、ダンナが元気で、「ま、こんなもんでいいんじゃない?」と思えることもまた、大切だったりする。幸せのハードルが低いと毎日が楽しい。

身の丈を超えた上を目指すこともなく、かといって下を見下ろすこともしない、今立っている場所で、幸せを見つけて過ごす。貧乏でも。

・・・と、もっともらしいことを言ってはいても、ワタシだって何週間も本を読まなかったり、ついサンプルもらっちゃったり、お金が無いと口にしちゃったり・・・と、やらかしてしまうこともある。50歳もとうに過ぎたことだし、改めて貧乏くさくならないよう・・・自戒をこめて。



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