スピリチュアルな思い出話をしましょうか。
ハッシュタグに#スピリチュアルカウンセラーとか、張り付けているポンコツ開運鑑定師のいやさかねえさんです^ ^
スピリチュアルてそもそもなんなん? 目に見えんモノや価値観が変わっていくという風の時代に突入した2021年だからこその話をしたいと思います〜。
信じるも信じないもあなた次第(笑)
実は、小さい頃なんだか人に視えないものが視えていました。 気配に敏感で、わたくしをよく知る幼馴染み達は築100年を越えた古〜い我が家で、凍りつくような体験をした事もあったと思います。
その古い家の一室にとてもひんやりとして夏でも冷たい部屋があり、暑い日は「ここで寝なさい」と言われるのが恐怖でした。 (後日取り壊した時に判明、そこに潰した井戸がありました)
だって落武者が這い出てくるんですよぉお😭
誰に言っても信じてくれないし、襖の向こうでは《きゃはは》と笑う子どもの声とか、パタパタ走るちっちゃな足とか(それはあまり怖くなかったから座敷童子だったのかしら?)現れる家でした。そして私の頭の上には、よく蛇が落ちてきました😰なぜか。 でも蛇なんて居ないよ嘘つくな!と叱られてました…。
変なモノが視えるというとやはり人から嫌われるので、その内視えないフリをしたり、視えないと思い込もうとしていたらすごく視力が落ちました💦 もう力づくで視えないようにしたかったんでしょうね。
そんな子ども時代、落ち着く所は近所の大宮八幡様の海が見える丘でした。 美しい日の出が極東の鶴見崎から登るのがよく見える場所。
魔は太陽が祓うのを何となくわかっていたのかな? 海が、島がよく見える小高い所が好きでした。今でも好き!
そんなわたくしは家族縁が薄く、実の母とは早く死に別れています。(父親とは早くに離婚その後亡くなっています。) 36という若さで脳内出血で亡くなった母でしたが、亡くなる日、出かける前にわんわん泣いて止めました。いつもはそんなことしない子どもだったのに、この日はどうしても行かせたくなかった…。結局出かけた後、まもなく車の中で亡くなっていました。
また、とても尊敬していた先輩が26という若さで亡くなる直前に、当時入院していたわたくしの見舞いに来てくれてなぜか帰したくなくて、パジャマの上に上着を羽織り近くの喫茶店まで抜け出して長いこと色んな事を語りました。
「元気出せ!頑張れよ」それが先輩の最後の言葉…。 胸が締め付けられるほど別れるのが悲しかった。 先輩の訃報を聞いた時に「ああ、やっぱり」と思いました。
それから30で縁があって結婚し、九州から遠く離れて沼津まで行った訳ですが、これまた一年経たずに夫と死に別れることになりました🥲
女の33歳(数え)といえば本厄、19の歳には病気で死にかけたし、まあまあ波瀾万丈でございます。
前後しますが結婚直前、夫の父親つまり舅が末期の膵臓癌と判明し、当時は家族告知のみでしたから夫も姑も天地を無くしたように大騒ぎ。それで独立せずに同居する事を選んだ新婚生活でしたが、夫は海外赴任が多く半年も一緒に居たでしょうか?
しかも持病持ちのわたくしは既に31になり、当時は懐妊する可能性もかなり低かったのですが。或る日突然!
あ!妊娠した‼️
と、思いました。で、慌てて産婦人科に行きましたら、うーん気のせい(笑)と言われたのですが、「絶対妊娠したから!!」と強気で言うわたくしに困ったんだろうなー、医師から「じゃあね2週間後に来て😅」と帰されてしまいました。
そして指折り数えて2週間待っていた夜のこと、夢を見たのです。
ぐねぐねとトロンとした?真っ暗な空間にふわりと現れたひとりの老人…老婆?ん?男?女?若いの年なの? 形もよくわからない白い人が頭に直接響く声で
「そろそろ、その人形(ひとがた)に魂を挿れてやろう」
と、ハッキリ言いました!!
そして左手に持った杖のようなモノをヒュッ‼️とわたくしに向かって振り下ろしたのです。
杖の先から怖しいほどの光の玉がわたくしのお腹にグワァアッとすごい勢いで入ってきました。
《畏怖》とはまさにあのような感情だと覚えています。美しいとか眩しいとかそんなものを超えた異次元の光は雷のような畏れ多いものでした。
わたくしはガバッと起き上がり、隣ですやすや寝ていた夫に「ちょっと!!やっぱり妊娠した!産まれるよ!神様から子ども授かったから‼️」と夫を叩きながら叫びました。
すると夫は寝ぼけ眼で「うん。良かったねぇ。男の子だから。元気な子だよ〜」とのほほんとした声で答え、また眠ってしまったのです。 しばらく私の体は震えが止まりませんでした。
そして実際妊娠していましたし、妊娠8ヶ月の時、30歳の夫は子どもの顔も見る事なく、末期癌の舅よりも先に、あっけなく虹の橋を渡ってしまいました。
敢えて性別は聞いていませんでしたが、勝手に名前もつけててお腹に居る時から「こうちゃん、こうちゃん」と呼んでいたので、彼を亡くしたあとのわたくしとしては「これで女の子産まれたらどうすんだオマエ💢名前はコウ美かよ?」な気持ちでしたが、産まれてみればホントでっかい玉のような男の子でした。
「なんかもう人生って神様の掌なんじゃん?」とか当時、やさぐれながら考えてた事を思い出しますw
でも舅がとても喜んでくれたので亡くなる前に孫を見せられて本当に良かったとも思いました。舅は息子が産まれて4ヶ月の頃に亡くなりました…。亡くなる前日まで介護も一切させず、「ありがとうね。」とわざわざ電話を病院からくれて…とても嫌な予感に駆られて病院に飛んで行ったら既に意識がありませんでした。
夫が亡くなる前にも嫌な予感はありました。 あの時、もっと早く病院に行ってくれていたら…もしかしたら…と今でも考えることがあります。いつもどうにもならないもどかしさ。悲しさよりも悔しくて、予感があったのに何の助けにもならない無力な自分を嫌悪するばかりでした。
だけど過去には戻れません。そんな後悔と悲しみに打ちひしがれて出産した日から11日後の1995年1月17日、阪神淡路大震災が起こりました。沼津でもかなり大きな揺れを感じました。
赤子を抱いて裸足で外に飛び出して、舅から叱られましたのを覚えています。離れていてもこんなに怖かったのに、当事者は、そして親を子どもを大事な人を無くしたのは、わたくしだけではないのだと。もっともっと怖い思いをしている人が大勢いるのだと気付きました。
自分の悲しみに囚われているのではなく、目の前にいる赤ちゃんのために明るく生きよう。神様から預かった大事な子を一生懸命育てようと腹を括った日でもありました。(まぁあまり成功してない子育てですけど😅)
そんな風に、わたくしは何度かの危機の時、頭に直接響く声を体験しています。 それはわたくしやあなたが生きる事に迷った時に、心の内から現れてくる「幸魂」であるのかもしれません。
苦しい時や辛い時こそ「幸わえたまえ」と八百万の神はわたくしたちにエールを送ってくれている気がします。
そしてのち、八百万の神オラクルカードに出逢ったのですが、その時わたくしの目は一枚のカードに釘付けになりました。
そのカードは天御中主神アメノミナカヌシが真ん中に座す造化三神のカードです。
男でもない、女でもない独り神、どこからともなく宇宙に現れ、山や海や森など自然の神様をお産みになるとすぐにその身を隠した生命の根源の神。
夢の中でわたくしに息子の魂を授けてくださったのは、まさにこの神様‼️だと直感しました。
全ての根源はあなたの中にあります。
《調和・融合》
だから今わたくしが、守護神鑑定や星の理を学んでいるのは、偶然ではなく必然なのです…。道はすべからくひとつの理を示しているのでしょう^ ^
26歳になる息子の誕生日を前に、これまでの人生を振り返り、こんなわたくしに出来ることはなんだろうと思い馳せ、少し不思議な体験談を綴ってみました。
長いお話を読んでくださり、ありがとうございます。
天晴れいやさか✨✨✨
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