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「人は一人では生きられない」真の意味に感じたこと

こんにちは!
ママリ編集部のMaikoです。

毎日暑いですね~!
梅雨入りが遅れているとのことですが、梅雨も嫌だけど、梅雨入りしないのも問題なのだな…と身をもって感じているこの頃です。皆さんも体調管理には十分気を付けてお過ごしくださいね。

今回は、最近読んだ書籍の感想をお伝えしたいと思います。
読んだ書籍は『境界のメロディ』

この作品の著者は、Kis-My-Ft2の宮田俊哉さんです。
宮田さんが3年かけて執筆した処女作です。
あらすじは下記。

 メジャーデビュー目前にして相方のカイを事故で亡くしたキョウスケは、音楽から距離を置き無気力に生きていた。しかし事故から3年。突然カイがキョウスケの前に現れる。
「生きていても、何もやらずに止まったままだったら、死んでるのと一緒じゃん」
 生前と変わらない歯に衣着せぬ物言い。そして思わずつられて笑顔になってしまう強引さ。キョウスケはカイに説得され再び音楽の世界と向き合い、共に音を重ねる喜びを感じる。でも、カイとの幸せな時間は永遠ではなくて――。

 2人の音が交わるとき世界は色を取り戻す――。

宮田俊哉(Kis-My-Ft2)が贈る、少年たちの痛切な音楽×青春小説

メジャーデビュー目前にして、カイが事故死してしまったことで、一緒にデビューするはずだったキョウスケをはじめ周りの人たちが悲しみの底に落ちます。しかしそこから3年が経過したある日、突然キョウスケの目の前に、亡くなったはずのカイが現われます。そして、キョウスケをはじめ無自覚にも前に進めなくなってしまった友達や仲間、家族が再び一歩を踏み出す瞬間が描かれています。


暗闇から始まる物語

この物語の最初はカイが亡くなった後の三回忌から始まります。とても暗くて気持ちがずんって落ち込みます。カイを失ってからピアノを弾けなくなったキョウスケの気持ちを考えるととても悲しくてつらく、読んでいるだけで涙が出てきます。

カイは本当にいるのかただの幻想か?

物語は、亡くなってしまったはずのカイが突然キョウスケの前に現れたところから大きく動き出していくのですが、読んでいて思ったのは、果たしてカイは本当にいるのかな?ということ。

もしかしたらキョウスケが悲しみの底から作り出してしまった幻影な気もしています。でもどちらかなのかは読み進めても分からないし、そこが重要ではないことも感じます。
大切なのは、カイが現われたことによってキョウスケの行動や考えが変わり、周りの人を巻き込み、みんな前を向くようになるという事実。

人は誰かによって生かされている

さらに『境界のメロディ』を読んで感じたのは、人は必ず誰かに支えられて生きているのだなということ。誰かの言葉や行動が、自身の言動力になっているんですよね。あれをしよう、これをしよう、とその時は自分で判断したかもしれないけれど、その判断のきっかけや判断軸はきっと誰かがいるはずで。人は一人では生きられないというのは、つまり無意識にも必ず誰かを参考にすることで判断し過ごしているということなんだなと感じました。

同じようなテーマで切り取ると、中山七里さん著者の『護られなかった者たちへ』という作品も近しいな、と感じ、人間が人生を歩むうえで人と人とのつながりは欠かせないものであるということを改めて感じます。

誰かを支える人生でありたい

物語の最後はカイに関わった全員が前を向いて歩きだします。そしてカイ自身もまた前を向いて歩きだします。最初は暗かった雰囲気も、最後はとても晴れやかで、まるで雨あがり後すぐに光が差し込んだ時のようにキラキラした印象で終わります。

この物語を読むことで、私はこれまで、誰かの背中を押したり、大きな一歩を踏み出すきっかけを作ったりという経験があっただろうか?と改めて考える機会になりました。

自分が死んでしまったとしたら…?と考えると一番最初に脳裏をよぎるのは家族で、家族のために自分はまだ死ねないな、と思います。そして同時に、「あれはダメ」「これはダメ」と言うよりも、励ます言葉を選び、一歩を踏み出すきっかけを作れる存在であることを意識していきたいなと思いました。

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